淡青手帳

 脳死は死か否か。

これを考える前にまず、「死」とは何かを考えなくてはならない。

まず考えられるのは心臓が止まった状態である。

しかし脳死の場合にはこれが当てはまらないから難しい。

そう考えてみると明確な定義は見つからない

霊界や魂の存在を信ずる人たちはこう主張するだろう。

魂が人間の体を離れ、霊界に行ってとどまるようになる時、その時が死であると。

この主張に従えば、脳死状態の時その肉体に魂が宿っているかどうかが大きな問題となる。

しかしこれは検証が不可能である

では逆に人間には魂などなく、霊界もないという唯物論的立場から考えてみよう。

そのような立場から言えば、現在の生だけが唯一であり、
肉体の消滅とともにその存在も永遠に消え去ってしまうことになる。

とするならば、一体その「生」にはどれほどの価値があるのだろうか。

人が死とともにその存在が消えてしまう一時的な存在であるならば、
そのような存在自体大した価値もなくなってしまうのではないだろうか。

それは果てしない時間の流れの中でホンの一瞬の間だけ存在し得た、
まるではかない水泡のような存在に過ぎない。

とすれば脳死の問題を論ずることに一体どれだけの意味があるだろうか

脳死の問題を真剣に論ずるというそのこと自体、
実は人間の生命の尊厳性と絶対性とが前提になっているのだ。

それは人間が進化の最終段階として偶然にこの地球上に発生し、
何の目的も持たずに“生れてきた”結果的存在ではなくして、
何らかの目的と意志の下で“生まされた”存在であるということを物語ってはいないか。

そのような存在であるからこそ、その生命に尊厳性と絶対性が賦与され得るのだ

このように人間の存在の目的と意義を深く考えることなくして、
脳死問題にも明確な解答を与えることはできないだろう。


1997 東大新報