――今、何が必要なのか(7)――

危険な性教育推進の実態
 ――性教協 山本直英氏――

山本直英氏、無規範な「性の自由化」狙う

 10年ほど前から性教育の必要性が叫ばれるようになってきたが、その性教育を通して無規範化を推し進めようとしているのが山本直英「人間と性」教育研究協議会(略称・性教協)代表幹事である。
 92年に新学習要領に基づいた指導が始まった。その中で、小学校5年から「性」についての教育内容がより詳しくなるのを契機として、山本直英氏は無規範な「性の自由化」を浸透させようと意図した。
 この山本氏が教育現場では大変重宝され、全国を奔走しその思想を広めているのだ。

過激な性教育で問題となっている性教協

 昨年の7月31日から3日間、山本氏を中心とする性教協は石川県で全国夏期セミナーを開催した。そのなかの模擬授業で「セックスってなあに」「ふれあいとしての性交を『皮膚』から学びたい」「同性愛を考える」など、性教協ならではのテーマ、言葉がずらりと並んでいた。しかも、同セミナーを石川県と福井県の教育委員会が後援していたというから問題である。
 この性教協のリーダー山本氏らが監修・執筆した小学生用副読本『ひとりで、ふたりで、みんなと』(東京書籍)は、発行直後から「学習指導要領に沿っていない」などの理由で、全国の多数の教育関係者から東京書籍にクレームがきたという。例えば、こういうくだりがある。
「(性交は)性的に成長した男女の新たな生命を生み出す営みとしてだけでなく、『コミュニケーション』の一つとして、寂しさから始まる人間への近づきあい、触れ合い、楽しみ合いでもある」。これはまさに愛情を無視した「性交のススメ」だ。
 同書や山本氏監修のビデオ「セックスのえほん」を使い、小学校1年生に「セックス」を教えたということで、一昨年11月には鎌倉の小学校で大問題にもなっている。
 このように何かと問題の多い団体のセミナーを後援したことに対し、石川、福井の県教育委員会には、教育関係者らから多くの苦情が寄せられたという。

責任な「性交のススメ」

 「科学教育」を標榜する山本氏の性教育の特徴は、事実だけを教えて、道徳観を押し付けるべきではないというものである。しかし、既存の道徳観は否定しながらも、「ヒューマン・セクシュアリティ」(「人間の生と性」の意味)という言葉を用いて、子どもに対して「ある一つの人生観」を習得させようと試みている。
 同氏の監修する性教育副読本を見ると、小学生から「性交」「性器」を図示し、実に過激な内容となっている。それでいて、「あなたが、いつ、だれと性交するかは、親や教師の決めることではなく、あなた自身がしっかりと決めることです。そして、その結果についても、すべてあなたが責任をとるべき行為なのです」(『おとなに近づく日々』中学・高校生用、東京書籍)と、無規範で無責任な性交のススメとなっている。
 その性交の動機についても、二人で生きている中で感じられた寂しさは、時には肌恋しい気持ちになります。そんなときに、肌のぬくもりを通して、二人で生きていることを実感できれば、そこには強いパートナーシップもできあがるでしょう。まさに愛撫をともなった男女の抱擁は、とても大切なとっておきのコミュニケーションなのです。ここまで進んできたコミュニケーションとしての触れ合いは、性交という行為に近づきます」(前掲『大人に近づく日々』)と、寂しさを動機とした性交を積極的にすすめている。まさに青少年たちを甘い言葉で性交に向かわせようと誘惑する内容だ。
 その他の山本氏の著書、例えば中学生向けの『性を学び性を生きる』(かもがわ出版、94年)や十代対象の『私とあなたの「からだ」読本』(明石書店、97年)などを見ても、異性の体や性に興味を持たせ、どんどん性交をすすめている。それだけでなく「人権尊重」「共生」という聞こえのいい言葉を使って、不倫、離婚、同性愛も認めよう、と主張している。
 松岡弘・大阪教育大学教授は『エイズ教育と性教育』(東山書房、93年)の中で、「権利と共に義務を、自由と共に規律を教える新しい性教育の確立が求められる」と述べ、性交指導は子どもが模倣する危険があるし、今はそうでなくても、数年後に悪影響が出る「スリーパー効果」を考え、慎重でなければならない。子どもの発達過程に応じた適時性のある教育内容が必要であると説明している。

フリーセックスや乱交の世界めざす山本氏

 山本氏は、目指す理想世界を「エロス・コンミューン」と呼んでいる。「人類が21世紀にかけるユートピアは『エロス・コンミューン』の実現にある。この実現をもって、人間が近代社会で希求してきた自由・平等の理念はほぼ完結する。(略)太古の昔、エロスは抑圧されず、管理されず、自然体でありえたが、今やもろもろの制度と、人間の下半身の中に閉じ込められている。こういう社会では、エロスの発現はえてして非社会的か反社会的なトラブルとなる。(略)エロスとは『すべての人間の根底にある人とのゆるぎない性的なふれあい』であり、コンミューンとは『管理や抑圧や統治されることから自らを解放して、自覚的な個人と個人との共同体』のことである」と説明する(『ヒューマンセクシュアリティ』創刊号、90年10月)。
 このように山本氏は、あらゆる管理、制度を撤廃し、伝統的な結婚観、家族観を解体し、性的に自由奔放な世界をつくりあげようとしている。いわば、フリーセックスや乱交が支配する「性の共同体」を実現しようというのだ。これは、「性教育」を武器にした一種の「社会革命」と呼べるだろう。

性解放思想家の影響大

 山本直英氏を初めとした性教協メンバーが編集している『青年のためのヒューマンセクソロジー』(一橋出版)では、「性解放の思想家は多くいるが、ドイツのライヒや日本の山本宣治などが先駆者として著名である。彼らの生涯と思想について、調べてみよう」と、その過激な性解放思想の由来を自ら明らかにしている。ここに示された性解放思想家、山本宣治とライヒとはどのような人物なのか。

左翼思想の山本宣治を絶賛

 まず、山本宣治(1889〜1929)は、山本直英氏が「彼は私の最も尊敬する人で、日本の性教育のパイオニアです」(前掲『私とあなたの「からだ」読本』)と絶賛する人物だ。彼は生物学者として同志社大学講師を務め、「科学・人権・共生教育としての性教育」を日本で先駆けて提起した。また、結婚制度は奴隷制の一つにすぎないとして、従来の結婚・家族制度を徹底的に否定した。
 同氏は治安維持法に反対し、同志社大学講師の座を追われた。その後、治安維持法で、当時非合法となっていた「共産党」が後押しする「労働農民党」の議員となり、より精力的に治安維持法に反対したが、右翼により暗殺された(『エコノミスト』86年1月28日号、毎日新聞社)。
 彼の死後、幾人かの思想的後継者が現れたものの、出版物の発禁処分などを受け挫折していった。

性解放による社会革命をめざしたライヒ

 一方、ドイツのウィルヘルム・ライヒ(1897〜1957)はフロイトの弟子であった。ところが、欲望を「昇華」あるいは「断念」することで「文化」が形成されると主張したフロイトに対抗し、性エネルギーの全面的解放を唱えた。性エネルギーの放出を阻害するすべての「道徳」、「制度」、「管理」などが性障害や神経症の原因とし、そのような性抑圧の解放が社会革命の根本であると主張した。
 フロイト門下を破門されたライヒは、ドイツ共産党員として性政策運動を展開。性欲を制限するすべての政策を批判し続け、性的満足が社会主義の第一目標であるとした。
 ライヒは、フロイトの思想とマルクス主義を結びつけた「フロイト左派」の代表的人物である。フロイト左派の主張する性革命理論は次の通りである。
 マルクスのいう「原始共産制社会」は、フロイト左派では「母権制社会」(性的抑圧のない社会)とし、資本家による「搾取」は、父親・男性による「性的抑圧」とした。さらには「階級闘争による革命」は、「性による革命」となった。この「性革命」によって、母権制社会を取り戻せれば、性的に完全な自由な世界を取り戻せると信じたのだ(ポール・A・ロビンソン『フロイト左派』せりか書房、83年)。

性革命理論の影響受けた山本直英氏

 共産主義思想に裏打ちされたこの性革命理論は、60年代アメリカの性革命の思想的バックボーンともなり、日本の左翼運動にも影響を与えた。そしてこのラディカルな革命思想が、山本直英氏が推進する性教育の中心に位置しているのである。
 山本直英氏の性教育は、性器は自分のものだからどのように使おうと自分の自由である、という内容である。道徳・倫理というものは性抑圧につながるというフロイト左派同様に、道徳教育を排除し、無規範な教育を説いているのだ。これは、前号で取り上げた宮台真司氏の考え方に、非常に近いものがあることに気がつかねばなるまい。
       (つづく)                (誠)