「ひ弱」「わがまま」な中学生
社会と家庭の変化に原因あり

ここ10年で急激に変化した中学生

 「プロ教師」三部作で有名な本学経済学部OBの河上亮一氏は埼玉県の市立中学校の教師である。河上氏は教育現場で真剣に闘い、その体験から得たこと、まとめたことを具体的に本やテレビ、新聞などで語っている。
 河上氏が何度も強調するのは、30年前とは生徒がまったく違うということである。特にここ10年ほどで急激に変化しているという。
 最近の中学生の特徴を、河上氏は二つにまとめる。「まず、生徒が非常にひ弱になったことがあげられる。生活の仕方がほとんど身についていないから、行動がギクシャクして非常に苦しそうである。肉体的にも精神的にもひどくもろくなった。がまんができずすぐ参ってしまう」(『プロ教師の生き方』69頁 河上亮一著・洋泉社、1996年)。
 もう一つは、「友人関係の希薄さは目をおおうばかりで、放っておけば他人が何をやっていてもまったく気にならない。集団のリーダーになるような生徒が姿を消してから久しい。自分で考え、自分で行動することができず、言われないと動けない」(前著70頁)。
 ところが、非常にひ弱になった反面、がんこでわがままになった、ともいう。「相手が強ければ自分の殻にとじこもってじっとしているのに、弱いとわかると非常に攻撃的になる。自分の欲望をおさえることができず、どこまでも主張する。さらに、そのときの気分で行動するようになったから、生徒が、いつ何をするか、まったく予測がつかなくなった」(前著70頁)。

いじめ自殺、ナイフ事件へ…

 それでは、「ひ弱」「わがまま」になり、「友人との関係が希薄」になってきた、とは具体的にどういうことなのか。
 河上氏によると、まず「遅刻」「欠席」が増えているという。しかも遅刻や欠席が悪いという思いがなくなってきている。それから、授業が始まっても席に着かない。「忘れ物」は多い。「掃除」をきちんとやれる学校が少なくなっている。掃除用具、トイレ、ガラスなどの「破損」がひどい。傘、自転車などの「盗難」も増えている。もはや、現在の学校では、ものがなくなるのが普通らしい。「タバコ」に対する後ろめたさもなくなってきているという。
 これらの現状は、95年にベネッセ教育研究所が発表した中学生の規範感覚の調査(下図)とも一致し、確かに裏付けられる。
 そしてまた、限界のない激しいいじめ、いじめによる自殺、最近の衝撃的なナイフ事件となって現れてきている、というのだ。

東大生は普通の中学の悲惨な現状を知るべし

 我々東大生は中高一貫の私立進学校から来ている者が多い。そこでは比較的まじめに勉学に励んできており、周りの友人もだいたい同じようであるから、平穏無事な中学時代を過ごしてきた者が多い。だから、普通の公立中学の悲惨な現状がピンと来にくい。学校教育の問題を考えるとき、このような一般的現実をまずよく知ることが必要である。

むしろ学校の管理は弱まっている

 それでは、この中学生の大きな変貌ぶりは、いったい何が原因なのだろうか。よく言われるように、学校における管理教育が強まったから、子どもが伸び伸び育たなくなって悪くなった≠フだろうか。
 しかし、それに対して、河上氏は「まったくの的はずれ」と断言する。「こういう意見を述べる人たちは、共通して、まず現在の学校での生徒の状況をきちんと見ようとしていない。…(中略)…教師の言うことを生徒がきかなくなっている状況、そして、教師の管理は弱まりこそすれ、強くなどなってはいないという事実に気がついていないのである」(『プロ教師の道』67頁 河上亮一著・洋泉社、1996年)。

家庭でしつけされず、わがままやりたい放題

 河上氏は、生徒がそのように変わってしまった原因として、社会と家庭の変化をあげる。「生徒は自分の意志でこうなってきたわけではない。社会の変化の中で自然に育ってきただけである。社会の変化としてまず考えられることは、家庭が小さいときからきちんとしたしつけ≠しなくなったことである。家庭を支えていた社会共同体がほぼ完全に崩壊してしまい、子どもにしつけ≠強制する基盤がなくなってしまったのだ。それによって、親は自分の責任だけで子どもに立ち向かわざるを得なくなった。自分の家だけ厳しくしつけることなどとても無理である」(『プロ教師の覚悟』165頁 河上亮一著・洋泉社、1996年)。
 さらに、近代ヨーロッパが生み出した自立した個人≠ェ理想とされ、「何事も個人第一、個人の自由と権利を最優先すべきだという考え方が支配的になり、子どもの育て方についても、強制するのはよくない、個性を尊重し、伸び伸び自由に育てれば自然によくなる、という考え方が一般化してしまった」(前著165頁)という。
 確かに、これでは、きちんとした"しつけ"など到底難しい。実際、自由・伸び伸び路線の教育がもてはやされた結果、生徒たちはわがままやりたい放題になり、いやなことはやらないという雰囲気が広がってしまったと言えるだろう。

「こころの教育」やってきた

 「心の教育」については、「学校はこれまでずっと一生懸命やってきた」と言う。ところが、この10年で社会と家庭の支持がなくなり、崩れてきた。「社会も、家庭も、カネ第一、自分第一、欲望を満たすことだけがいいことだ、と考えるようになってしまっては、『心の教育』などと言っても白々しくなるのは致し方ないだろう」(「産経新聞」98年3月10日付夕刊)。河上氏は、マスコミの学校叩きに負けず、現場は精いっぱいやっているんだ≠ニ主張する。

親に問題あり

 河上氏は、家庭訪問や、保護者会、学級懇談会などを通して、生徒の親を鋭く観察する。「親は小さい時から、子どもの欲しいものは何でも買い与え、やりたいことは何でも認める方向でしか子どもに対していない。子どもにとっては、欲望を最大限認めてくれる、やさしい、ものわかりのよいパパ、ママなのである。なぐることはおろか叱ることさえしない親たちなのである。していいことと悪いことをきちんと教えないばかりか、生活の仕方や人間関係の方法(しつけ)をしっかり身につけさせることもしない」(前掲『プロ教師の生き方』186頁)。
 また、こうも言う。「PTAの学級役員を決める学級懇談会になると、今年も帰ってしまう親が多く、なかなか決まらなかった。親たちには『他人のために何かをやる価値』が認められなくなっているのだろう。生徒が自分のことしか考えず『大変なことはやらない』『みんなのために何かやるのは損だ』とクラスの仕事や役員から逃げるのも仕方ないというものだ。口で言わなくても、子供は親をモデルとして生きている」(「産経新聞」98年5月19日付夕刊)

子どもに対し、お手本に

 子どものことをあれこれ言う前に、親(大人)はまず自分自身が成長する努力をするという姿勢が必要ではないだろうか。そして、子どもの前に自然と良いお手本になることが最も大事だろう。
 それでは、本来、親はどうあるべきなのか。また、家庭はどうあるべきなのか。次号で考えていきたい。  (つづく)

                (誠)

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