惑星科学のすすめ

塵とガスが固まる

太陽と惑星が同時生成

2.1  太陽系の特徴とそれから推測される起源

惑星達が集まったのではない

 太陽系の起源については、おそらくギリシャ時代から哲学的に論じられてきたに違いない。トレミーによって大成された天動説的な世界観においては、ただ単に神の創造は完全な円運動によって構成されるとして、多くの円運動を複雑に用いて説明していた。そういうモデルにおいては、惑星の運動は複雑で時には逆行もするため、その起源を論ずるのは簡単ではなかったろう。ところが、チコ・ブラーエとケプラーの観測・計算によって、惑星が太陽を中心とする単純な楕円軌道上を運動しているとして説明できる基盤ができ、ガリレオ、コペルニクス、ニュートンといった天才たちが、現在の美しい太陽系の姿を解明したと思われる。更にその後の天文観測、惑星探査、月探査、隕石などの試料の研究などによって、太陽系の起源を探るための鍵は一層豊富になった。
 では、現在解明された太陽系の特徴を振り返ってみて、その起源を探るヒントとしてみよう。まず前述のように、全ての惑星が太陽を焦点の一つとする楕円軌道を回っているわけであるが、それらがほぼ同一平面上に存在する事である。更に、各惑星の自転方向やその周りの衛星の公転・自転方向も大体はこの平面上で惑星公転と同方向である事である。これらのことは、太陽系の惑星達がどこかから太陽にランデブーして集まってきたのではなく、太陽の周りに平らな星雲のようなものがあってそれから固まってできたのではないかという示唆を与える。
 次に、太陽に近い惑星から順にその特性を見ていくと、水星は小さくて衛星を持たず、金星は地球と同じくらいの大きさで衛星を持たず、地球は衛星(月)を一つ持ち、火星は突然小さくなるが二つの衛星を持ち、その外側には小惑星帯があり、その後はガスを大量に持つ巨大惑星である木星・土星へと続き、一般に衛星の数が多い。この傾向は、太陽系の原始星雲が固体とガスの混合でできていて、太陽からの距離によってそれらの混合率や大きさ、更には衛星の数が決まったという示唆を与える。そのことは、ボーデの法則として知られている、各惑星の太陽からの平均距離がある数列に従っている事とも関係があるに違いない。

微粒子が成長し巨大衝突時代に

 また、月をはじめとする多くの天体の表面にはクレーターと呼ばれる隕石衝突の跡がある。時にはその天体の直径に近いような大きなクレーターも見つかる。クレーターの大きさは実際にそのクレーターを作った隕石の大きさでなくて衝突エネルギーに相関があるので、必ずしも大きな物体が衝突したとは限らないが、現在小惑星帯に残っているような岩石片が多く存在して天体に衝突したと考える事は妥当である。これは、太陽系の固体物質が小さい微粒子から出発したとしても、その過程でそれぞれが大きく成長して、末期には大きい物体同士の巨大衝突が起こる時代を迎えた事を示唆する。そう考えると、自転軸が異常に傾いていたり自転が公転の逆だったりする惑星もあることは、末期に巨大天体が衝突して偶然そうなったと言える。

2.2  太陽系生成論の標準モデル

塵とガスが固まり太陽系に

 太陽系がいかにできたかを漠然と考えるのみならば、カントの星雲説なども含まれるであろうが、定量的にしっかりと太陽系生成論を展開したのは1969年のサフロノフの著書が最初であろう。1970年代になって、日本においては恒星の形成理論で有名な京都大学の林グループが惑星系の生成論を展開した。その後はウェザリルなどが取り組んできたようにコンピューターシミュレーションで多体問題を直接扱うことが主流になってきた。しかし依然として解析的な太陽系生成論は現象の本質を探る面で重要である。
 1980年代に確立された標準モデルと呼ばれる最も一般的な太陽系生成論は、前節で述べたような自然な推測に沿っている。太陽系は、太陽系星雲とよばれる塵(固体微粒子)とガスの混合体が回転をしながら固まって太陽と惑星系が同時に生成したと考える。これは、現在の太陽系が持つ回転角運動量の保存則から導かれる。しかし、初期の太陽系星雲の総質量はわからないので、適当に推定することになる。一般には、現在知られている太陽系の固体質量を足しあわせて塵の質量を求め、ガスの質量は、塵の質量に見合うように太陽系元素存在度から求める。太陽系の元素存在度は、太陽大気と原始的な炭素質コンドライトの組成から求められる。その結果は、太陽系星雲は現在の太陽質量の1.3%増程度の質量になる。そのようなガスと塵の混合体が回転していると、塵の粒子は回転による遠心力と太陽からの重力の合力を受けて、公転面上へと沈んで行く。そうしてできた塵の沈殿層は重力不安定を起こして分裂を始め、微惑星と呼ばれる天体が多くできる。そして微惑星が太陽の周りを公転しながら合体成長して惑星や衛星ができるわけである。その過程で星雲内のガスは散逸していくが、木星型惑星はそのガスを重力で取り込んで現在のような巨大なガス惑星となり、地球型惑星はガスを取り込まず、それらを構成する固体物質内に取り込まれていた揮発性元素が脱ガスして大気ができた。

火星が小さいのは木星の影響

 それでは、火星と木星の間の小惑星帯はなぜできたのであろうか? 微惑星がお互いに合体成長するためには、それらの衝突力が重力による合体力を上回らないようにしなければならない。もし衝突の速度が大きすぎたり角度が浅すぎたりすれば、合体せずに飛散する。太陽の重力のみを受けてすべての微惑星が円軌道を回っていれば、お互いの相対速度は小さいが、異なる楕円軌道の微惑星同士では相対速度は大きくなりうる。木星は非常に巨大な惑星となったので、その周りの惑星は太陽からの重力のみでなく木星からの重力の影響を強く受けて軌道が変化しやすくなり、お互いの相対速度を増すことになって、衝突の際に合体しにくくなった。その結果、小惑星帯には大きく成長し得なかった微惑星のなごりや、成長した後壊れてしまったものがいびつな形の岩石として存在していると考えられ、火星が小さいのも同様に木星の重力の影響の結果だと考えることができる。
        (つづく)

 (昭和63年大学院理学系研究科博士課程修了)


今、防災について(17)

急ぐべき学校プールの耐震化

 「兵庫県南部地震」では大地震発生直後の断水により消火活動が難航した。特に神戸市長田区では27か所から出火し、52万3546平方mが焼失した。これは神戸市焼失面積の63.9%に当たる。また焼死者526人中半数の259名の犠牲者が長田区から出た。長田区は地震発生直後の午前6時迄に12か所から出火し、消防署員は5か所の出火を確認したが、出動できた消防ポンプ車は3台であった。しかし内1台は停電により、シャッターが開かず出動が大幅に遅れた。消火栓は断水により使用できず、消火は防火水槽に頼ったが水はすぐ底を尽き、消防署の前を流れる新湊川の水を塞き止めて使用したが、水量は少なく消火にはそれほど役に立たなかった。夜には1〜2km離れた海水を利用したことも記憶されている方も多いのではないかと思う。
 第二次大戦後の消防は国際警察と分離して、自治体消防として発足したが、自治体によりホースのサイズがあわず、その後特殊な連結バルブが準備された。或いは緊急時の広域応援協定も締結されてきている。しかしながら戦時中は空襲に対して、首都圏であれば近隣の諸県から出勤が予定されており、それでも間に合わなければ福島・新潟からも出動する体制となっていたのである。自治体消防は一時的には戦時中より後退していたのである。
 昭和57年8月12日「伊豆大島近海地震」が発生し、新幹線が3時間位ストップし横浜市内では震度4を記録した。この時横浜市港南区下永谷小学校のプールに亀裂が入りプールの水は全て漏出した。このプールはコンクリート製であった。幸い火災は発生しなかったので、プールの水漏出は問題化しなかった。
 しかし「兵庫県南部地震」の時のような同時多発火災が発生すると、消火栓・防火水槽が使用できず、河川等の自然水利は大都会では減少してきており、学校のプールの消防水利としての重要性は更に増してきている。だが別表に見られるように、神戸市教育委員会の調査では設置校257校中、126校のプールが被害を受けた。その内水槽亀裂62校24.1%に達した。また民間会社の調査による阪神沿線のプール被害の内コンクリート製プールの被害は24校中18校の多きに達している。
 横浜市内の学校プールの耐震化状況は約3分の1位であり、財政事情の悪化もあり年間1〜2校の耐震化に止まっている。消防水利としての利用は消防法により規定され、プールの水の入れ替えにも消防署の許可を要することとなっているが、設置場所が屋上であったり、道路から進入困難な場所にあり消火活動に不向きなプールも少なくない。消防はあくまで施設を使用させて貰うという立場で、消防水利利用の見地から意見を述べる立場にはないようである。またプールの発注は教育委員会の施設担当者がゼネコンに発注しているが、耐震化プールの発注という意識が低いようである。材質についてはFRPを横浜市では採用中止中だが、東京都教育庁では都立高校のみFRPプールの採用を推奨しているがその利点・欠点について理解されているとは思えない。また東京都は特別区のため各区に小中校のプールの建設管理を任せており、プールの耐震化状況を把握している区は少ない。

都市防災研究会 代表補佐 大間知 倫(おおまちひとし)
S33年経卒 TEL045-844-2885>