戦後、軽視された道徳教育

吉川総長でさえ「モラル」に抵抗

 我が国は、第二次世界大戦の敗戦により、戦前・戦中の国家主義、軍国主義が間違っていたとして、戦後は価値観を教える教育を嫌ってきた。
 東大出版会が出した有名な「知」の3部作の一つに『知のモラル』という本がある。その中で東大の錚々たる教授たちが、モラルをはっきり示せていないことに失望する。現代の邪悪なるものを鋭く指摘した吉川弘之前総長でさえ、「わたしたちの世代(筆者注:吉川総長は1933年生まれ)は倫理とかモラルという言葉を聞くと、自ずと身構える習性をもっています。それは、幼い頃に倫理を強制された世代だからであり、その上、その強制された内容が正しくなかったからです」と告白する。
 そのような背景もあり、戦後の教育の中で一貫して抜け落ちていたのが「道徳教育」なのである。だからまず、「教育の目的」がはっきりしていない。日本の教育がどうあるべきか、という点がどうもはっきりしないのである。

道徳教育に日教組が猛反対

 しかし、ずっと道徳教育が放置されていたわけではない。昭和25年、当時の天野貞祐文部大臣が、小学校教育のために教育勅語に代わる国民道徳実践要領のようなものを決めなければならない、という提言をしたのだが、マスコミ、教員組合など世論の総反発を食らった。結局、文部省が最低限のこととしておこなったのが、「道徳」の時間の新設であった。1週間のうちで道徳教育の時間を作ったのだが、これも日教組に猛反対されたという。
 だから、「道徳」の授業は行われているが、中身がほとんどないのが現状だ。小・中学校の「道徳」の時間が有意義だったという学友は極めて少ないのではないか。価値観を教えてはいけないという方針があるから、教師は自分からは「いい」「悪い」は教えない。子どもたちに議論させ、子どもたち自身で価値観をつかみ取っていく。それが民主的な「道徳」の時間の指導の仕方だというのだ。
 しかし、人間的に未熟な子どもたちに話し合いをさせ、善悪を決定させる。これで果たして道徳の基本ができるのか不安である。実際、前々回取り上げた図「とても悪いと思う割合」を見れば、中学生の規範意識の低下はまぎれもない事実だ。

鈴木博雄氏『善悪をはっきり教えよ』

 小学校校長を6年間務めた経験をもつ鈴木博雄氏(常磐大教授)はこう言う。「私は率直に申しまして、子どもたちには、善いことは善い、悪いことは悪いとはっきり教えるべきだ思います。理屈を説明するのは大学生になってからでいい。特に親の場合、小学生低学年位までの子どもの道徳のしつけは、そのようにはっきり言う方が徹底すると思うのです。なぜ悪いかは、子どもが成長するにつれて、自分でじっくり考えればいいのです」(「21世紀に向けての教育改革の展望」PWPA、97年)。なぜ、人殺しはいけないか≠ニいう疑問をもつ子どもが増えているそうだが、善悪を小さいときからはっきり教える必要を感じる。
 また鈴木氏は、「自分の生き方を自分自身で考えるというのは、もちろん非常に大切なことです。しかし、子どもにはまず『人間としてどうあるべきか』、そして次に『日本人としてどうあるべきか』といった程度の共通項は、義務教育の段階で教える必要があるのではないのでしょうか」(同論文)と主張する。

科学教育偏重や受験戦争の害も

 道徳教育が遅れた理由として、鈴木氏はさっき述べた「イデオロギーの対立」のほかに、「科学教育偏重」を説く。
 日本は昭和30年代後半から高度成長時代に入ってきた。そのころから理科教育を重視するようになってきた。ところが、道徳教育や文科系の科目がおろそかになってしまった。「教育全体から見ると、バランスが取れていなかった」というのである。また、そのように理科教育に力を入れたにもかかわらず、その子どもたちが大学に入る頃、理工系を志望する学生の割合は減った。理科の基本は「自然観察」だが、教師自身が自然観察に興味を持っていないから、子どもが理科を楽しく学ぶことができないと鈴木氏は嘆く。
 また、受験戦争の弊害も見逃せない。昭和40年代から受験戦争が激しくなってきて、問題が大きくなってきた。高校生の時期は、本能的に親から離れて自立しようとする。いわゆる「アイデンティティー(自己同一性)の確立」をしようとする。ところが、受験戦争のために、この自己同一性の作業は”大学に合格してからやりなさい”ということになってしまう。鈴木氏は「自分の心を見つめて自分の考え方の根本を固めるという最も重要な教育が抜けてしまっているわけです」と断言する。

教養学部時代に深く自分を考えよう

 幸いにも、本学は最初の2年間を教養学部で学べる。そこでリベラルアーツ教育を受けると共に、自分を考える時間を持つことができる。この2年間をぜひ有効に使ってもらいたいものだ。
 昨年の教養学部報(4月2日号)に《学生にいいたいこと》の欄があり、そこで教養学部の教授たちが1、2年生のために語ってくれたひとことが示唆に富んでいる。例を挙げよう。
「受験生のころのものの考え方をやめて自分でじっくり考えること」(草光俊雄・英語)
「時間がたっぷりある内に、自ら深く物事を考えよう」(小杉正男・物理学)
「専門に限定されず、古典的著作をたくさん読んでほしい」(佐々木力・哲学)
「古典に親しむこと、広い視野で物事をみること」(難波完爾・数学)
「他への思いやりの気持ちを大切にして下さい。書物、友人との語らいを通して思索を深める学生時代にして下さい」(黒田玲子・化学)
 いずれも、最近の駒場生と接する中で感じたことから出てきたアドバイスだけに、含蓄が深い。文3でさえ、最近はほとんど本を読まない学生が多いと言われるが、この秋、良書に触れながら深い思索をしていきたいものだ。
 次回は日教組と日本教育学会の弊害について見ていく。     (つづく)

                (誠)

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