第906号(2003年12月15日号) |
紅葉シーズン真っ盛りの三連休に京都旅行に行った。新幹線は非常に混んでおり、自由席通路に立ったまま京都を目指した。長い時間立ちっ放しで疲れを覚悟したが、東京―京都間はたったの2時間半の距離だった。 世界は狭くなったとはよく耳にする。確かに、昔は東海道を15日前後かけて歩いていた東京―京都間がいまや2時間半なのだから、世界はずいぶん狭くなった。現代人は文明の発達により、交通以外でもずいぶん多くの時間の短縮に成功した。 かつて私たちは、「時間」をもっとうまく使えるようになればより豊かな生活が送れるようになると考えていた。より速く移動でき、より速く仕事ができれば、より多くのゆとりや家族との時間を持てるはずだ、と。しかし現代、私たちは多くの時間を何かに追い立てられて過ごしており、時間の短縮により得られると信じていた「ゆとり」はどこかへ消え去ってしまった。 ミヒャエル・エンデの『モモ』という小説がある。主人公モモの住む町の人々が「灰色の男たち」に騙されて、ゆとりと引き換えに節約した時間を盗まれてしまい、モモが盗まれた時間を取り戻しに行くという物語だ。現代の私たちにとっての「モモ」、そして「灰色の男たち」とは一体何か、一考の価値はあるかもしれない。
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