東京六大学リーグ戦における、東大の今春までの通算成績は224勝1232敗51分。勝率は1割5分4厘である。87年秋から90年秋にかけての70連敗やその直前の30連敗など、勝ち星に恵まれなかった時期がある反面、強豪と互角の闘いを演じ、「初優勝」の期待を抱かせたシーズンがあったことも忘れてはなるまい。 東大は、これまで優勝経験こそないものの、2位が1回、4位は4回ある。 東大が2位になったのは、1946年春のリーグ戦。戦争による中断後、リーグ戦が復活した最初のシーズンで、試合は後楽園球場で行われていた。対戦方式も現在とは異なり、六大学が各々一度ずつ対戦して勝ち数を競うものだった。 東大はこのシーズン、初戦の明大戦に12対5と大勝し、以後早大、立大、法大をいずれも1点差で退けて4連勝。最後に、やはり4連勝と勝ち抜いてきた慶大と優勝をかけて対戦することになった。結果は0対1で惜敗、東大は2位となったが、当時の新聞はこの闘いぶりを「東大の破天荒な躍進」と絶賛。「各選手の一挙手一投足は凡て法に適ひ、別人の観を呈した」と評した。 東大が最後に4位になったのは、81年春のシーズンである。東大はこの時、初戦の法大戦を1勝2敗、続く早大戦は2試合連続完封勝利で勝ち点、さらに慶大戦でも1敗の後2連勝で勝ち点をあげるなど、従来とは見違えるような闘いぶりをみせた。東大が早慶双方から勝ち点をあげるのはリーグ史上初。新聞紙上には「強い東大」の見出しが幾度となく登場し、東大戦が民放で放映されるほどの「東大ブーム」となったという。東大のエース大山は、この慶大戦まで無傷の4連勝。報道陣には「いつも勝つと思われると投げにくい」とコメントし、逆に東大戦に強い他大学選手は「東大キラー」と呼ばれた。「東大初優勝か」の声も期待感の域を越え、次第に現実味を増していった。 続く立大戦の初戦は10対5で東大が快勝。23年ぶりの二ケタ得点に加え、大山投手は完投で5連勝を記録した。第二戦は、六大学一の左腕と言われた立大野口に封じられ惜敗。勝ち点のかかる第三戦は両校エース同士の対決となったが、試合は双方譲らず延長12回0対0の引き分け。第四戦でも大山、野口両エースが白熱した投手戦を演じたが、ついに0対1で東大が惜敗。大山は2試合連続完投も空しく初黒星を喫し、東大史上初の3連続勝ち点はついにならなかった。 最後、明大に連敗した東大は、6勝7敗1分勝ち点2でリーグ戦を終了。この時点ではまだAクラス入りの可能性を残していたが、最終週の早慶戦で早大が連勝し3位に浮上、東大は4位に終わった。なお、このシーズンの5位は立大、6位は慶大だった。 200勝目をあげた91年春以降に限ると、通算24勝131敗、勝率は1割5分4厘で過去の戦績に劣らない数字を残している。中でも94年には年間8勝をマーク。翌春には戦後最高のチーム打率2割5分3厘を記録するなど復活の兆しを見せた。 若手が伸び、層に厚みを増した今季、過去の「強い東大」にどこまで迫れるか注目したい。 |