遠藤が早大に対し、一回戦、三回戦を完投勝利して勝ち点をあげた。 東大にとって、勝ち点は97年秋の立大戦以来1年ぶりだが、一人の投手が同一チームに対して完投で2勝するのは、85年秋に市川武史投手が立大一回戦、三回戦を完投勝利して以来。 遠藤投手は、今年の春季リーグ戦でも早大一回戦に先発投手として登板、完投勝利しているが、一人の投手が同一チームから年に3勝するのは、83年に大越投手が早大相手に3勝(うち2勝は完封勝ち)をあげて以来のことで、15年ぶりの快挙となる。 『赤門旋風』と呼ばれた81年春から数えると、東大が昨年までの17年間にあげた勝ち点の数は16。内訳は、立大が10、早大が4、法大、慶大が1ずつである。ほぼ1年に1つのペースだが、1シーズンに2つの勝ち点をあげたのは81年春のみで、それ以降にはない。 早大戦での勝ち点は83年秋以来だが、実は80年代初頭には、立大よりもむしろ早大に対して分がいい時期があった。特に81年春から83年秋までの6シーズンに限ってみると、この期間における早大戦の勝敗は8勝6敗。6シーズンのうち実に4シーズンにわたって早大から勝ち点をあげていたのである。 81年からの5年間は、通算で勝ち点9、勝率も2割5分近い数字を残すなど、東大野球部の歴史の中でも特筆に値する期間であった。この期間の主力選手としては、通算10勝をあげた大山投手(学芸大付高)、通算8勝をあげ、日米大学野球にも出場した大越投手(新潟高)、高校時に甲子園大会出場の経験をもつ市川武史投手(国立高)、84年秋に首位打者を獲得した立迫選手(浦和高)などが挙げられよう。 だが、これら主力選手が卒業した86年春以降、東大は勝ち点はおろか、白星自体から遠ざかってしまう。リーグ戦30連敗、そしてこれに引き続いて70連敗の記録を作ったのもこの時期だ。東大が次に勝ち点をあげるのは、これから8年を経た93年秋のこと。当時は70連敗を脱してまだ2年余り、1シーズンに1勝できるかどうかのチーム力だったが、この勝ち点の相手は早大でも立大でもなく、勝ち点が実に40年ぶりにもなる法大で、ファンやマスコミを驚かせた。 長いトンネルを脱した東大は、94年春以降、高橋、尾崎、佐治らの活躍で3シーズン連続で立大から勝ち点を奪う。特に94年には『赤門旋風』以来の年間8勝をマーク、17季ぶりに単独最下位の位置を返上した。東大は、96年秋以降も林、氏家、遠藤らが中心となり、3シーズン連続で立大から勝ち点をあげる活躍を見せている。 勝ち点をあげるには、傑出した一人の投手力・打撃力以上に、チームとしての総合力が要求される。このところ、勝ち点をあげるケースが多くなってきた背景には、試合に出ない選手までをも含めたチーム力の向上があると言えるのではないだろうか。東大野球部には、それらの結晶としての勝ち点を一つでも多くあげることができるよう、頑張ってもらいたい。 |