「子どもの攻撃性」のすさまじい実態 汐見氏の講義テーマは「子どもの攻撃性」であった。 汐見氏はまず、青少年問題の最近の流れを次のようにまとめた。 「子どもたちの気になる行動(不良、つっぱり、盗みなど)はいつの時代にもあった。非行に関して、戦後、特に三つのピークがあった。第一のピークは1950年頃。第二のピークは1965年頃。そして、第三のピークは1970年代末から。その頃、シンナーが一挙に広がった。小・中学生の自殺も増えた。ちょうど受験戦争が激しくなっていった頃でもある。祖母殺害事件や金属バットで両親を殺害した事件も起こった。浮浪者狩りも起こった。殺しても反省がない。『殺す』ということにリアリティーがない。そして、80年代に校内暴力の嵐が吹き荒れた。校舎の窓ガラスを全部割ったり、卒業式もパトカーに来てもらったりなど、話題になった。しかし、80年代の初めに校内暴力が広まったとき、その原因はよくわからなかったのである。それで校則を強めたり、細かくした。生徒たちはそれに耐えられなくなる。そのストレスでいじめが増えた。中野区でも中野富士見中で鹿川君がいじめられ自殺した」。 ある中学校を現場視察した汐見氏は、いじめのすさまじい実態を目の当たりにしたと言う。公立中学校から本学に入学してきた学生なら、ある程度実感としてわかるはずである。
子どものムカつき・暴力性が普遍化 「教育問題御三家」と言われるものがある。「校内暴力」「いじめ」「不登校」である。 その校内暴力は最近また急速に増えつつある。1990年には全国で3,090件だったのが、95年には5,954件、翌96年には8,169件、97年には28,526件にものぼる。 「ムカつき、イライラ、暴力性が普遍化している。それを私たちは受け止めなければならない」と汐見氏は語る。 不登校も急速度に増えている。中学生は各クラスに一人以上の割合だ。
大人社会がおかしくなっている なぜこのように教育問題が深刻化しているのだろうか。汐見氏はこう断言する。「子どもは育てられる存在だから、子どもに問題があるということは、大人に問題があるのではないかと考えるべきである。大人の社会は健全で温かいが、子どもの世界は暴力的、などということはありえない」。 確かにその通りである。子どもがおかしいのは大人がおかしいからなのである。林道義氏も著書『父性の復権』の中で、「戦中派」と「団塊の世代」までさかのぼって現代の子どもの問題を指摘している。 また、最近は日本でも「家庭内暴力」が増えている。「家庭内暴力と言う場合は、だいたい夫が妻に暴力をふるうことを指す。これは特に米国がひどい。日本でも夫の妻への暴力が90年代に急速に増えてきた。最近、我が国で深刻になってきたのは、親が子どもに暴力をふるうことである。いわゆる『児童虐待』である。米国ではすでに50年代から起こり、60年代初めに医師が報告した」。 「今から10年前に、『子どもに対する虐待』などという言葉が我が国で広まるとは思わなかった。社会全体が大きく変容してきている」と汐見氏は心配する。
ニヒリズムに陥る子どもたち 最後に興味深いデータを挙げ、それについて解説した。 ある民間の研究所が調べたものだが、世界各国の小学五年生の子どもに「成績」「正直」「親切」「勇気」などの項目で自己評価をしてもらった。すると、日本の子どもたちの自己評価が極めて低かったという。つまり、「我が国の子どもは、ありのままの自分に否定的で、自分はダメだ、と思っている」と汐見氏は言う。 その理由を汐見氏は次のように分析する。 第一に、家庭の文化が変質していること。体罰的暴力。評価の暴力。ほめ殺し(やさしい暴力)など。 第二に、仲間集団がなくなってきていること。だから、自分の存在の意味がないと感じることが多い。本当に必要とされたことがない。そして「かったるいぜ」という気分になっていく。 第三に、身体的影響もあるのではないか。食べ物やテレビ・携帯電話の電磁波などの影響もあるかもしれない。 第四に、地球環境の問題がある。人類は昔、いつ死ぬかわからないから、救いを求めていた。現代人は、自分たちだけで生きていけると思っているから、「すがる」ということができない。傲慢になってきている。本当は救済されないといけない。救済されたいのである。だから、イライラしている。 以上のように分析した後、最後に汐見氏はこうまとめた。「子どもたちはニヒリズムに陥っている。だから、そのニヒリズムと対峙できる『人生哲学』をもっと打ち出していかないと、子どもたちを救えない」。 具体論は時間がなくて聞けなかったが、その「人生哲学」こそ、現代教育が最も必要としているものではないだろうか。汐見氏の今後の活躍に期待したい。
《東大新報「こころの教育」取材班》
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