哲学を通し真理探究することが義務 まず、シュタイナーの生涯から。 1861年にオーストリア・ハンガリー帝国領(現在はクロアチア領)の小さな村にルドルフ・シュタイナーは生まれた。 シュタイナーは、幼い頃から「霊的(geistig)な次元」に対して、かなり敏感だった。自分の見ている世界が、他人の見ている世界と違うことに気づいていたらしい。 15歳の頃、こづかいをためて、カントの『純粋理性批判』を手に入れ、「節ごとに分けて教科書の中に隠し、授業中に読み続け」、徹底的に読み抜いたという。 おそらく彼には、本気になって勉強すれば、専門的な訓練を受けていなくても、必ずわかるようになるという、自信のようなものがあったのだろう。西平氏は、そう推測する。 シュタイナーは18歳で、ウィーン工科大学に入学した。将来は実業学校の教師になると決めており、生物学・化学・数学などを専攻した。しかし、関心の中心は、哲学・文学であって、奨学金をもらうために専門の勉強もしたが、ウィーン大学で聴講するほうが、よほどおもしろかったという。 影響を受けたのは、ドイツ文学のカール・ユリウス・シュレーアー、ヘルバルト哲学を講じたロベルト・ツィンマーマン。そして、高名な哲学者フランツ・ブレンターノの公開講義であった。 シュタイナーはこの頃、「哲学を通して真理を探究すること」を自分の義務と考え、「霊的世界を直接体験する霊的直感の正当性」について考え続けていたという。 しかし、実生活では、人付き合いもよく、多くの友人の相談相手になっていた。また、その頃から、さまざまな「サロン」にも顔を出している。学生シュタイナーは、その中で、次々と多様な人々と出会っている。
超感覚世界を自然科学の方法で認識 そうした学生生活を終えた後、20代後半の青年期にシュタイナーは何をしていたのだろうか。 実に多彩であるが、まず、ウィーンの財閥シュペヒト家で、四人の男の子の家庭教師を務めている。この仕事を六年間続け、夏には一緒に休暇に出かけるほど、家族のなかに溶け込んでいた。その収入で生計を立てていたらしい。 この家の末息子、10歳になるオットーは、脳水症の持病を抱え、読み書き計算もできない状態にあった。両親はその子の教育を諦めかけていたらしいが、シュタイナーはその教育を任されると、それこそ独学で、30分の授業のために二時間の準備をするほどの努力を続け、少年から全面的に信頼されるようになる。 この経験を通して「教育と授業が、真の人間認識に基づくひとつの芸術になるべきことを悟った」という。これは、後年のシュタイナー教育の出発点になる。 この時期の、もうひとつ重要な活動領域が「ゲーテ研究」であった。それは「ドイツ国民文学叢書」の一冊となる『ゲーテ自然科学論文集』の校訂と、その序文の執筆という、本格的なものであった。 ゲーテの校訂をするということは、ドイツ語文化圏において、知識人としての資格を証明されたに等しい。その仕事を、弱冠20歳すぎの若者に任せるという、異例の抜擢であった。 シュタイナーは1987年までに、全五巻を刊行し、その間に、最初の著作『ゲーテ的世界観の認識論要綱』を発表している。 こうした仕事と並行して、シュタイナーは「霊的集中」を続けていた。「霊的集中」とは、少年の頃から体験していた「目に見えない世界・超感覚的世界・精神的(霊的)世界」についての集中的な観察である。 神秘家も「目に見えない世界」を体験する。しかし、彼らはそれを理性によって捉えることはできないと言う。それに対して、シュタイナーは理性によって認識することが大切だと言う。つまり、超感覚的世界を自然科学の方法で認識すると言うのである。
睡眠や死も四つの組み合わせで解決 ところで、シュタイナーの著作には「エ―テル体」「アストラル体」といった言葉が多く登場する。これは、「物質的な肉体」とは別次元の「体」なのである。 シュタイナーの言う「人間本性の超感覚的構成要素」は四つである。「物質体」「エーテル体」「アストラル体」「自我(私)」(図1)。 「エーテル体」とは有機体をひとまとまりに保つ生命の力。すべてのいのちは、それ独自のエーテル体を持つと言う。しかし、エーテル体は意識を持つことがない。 では、「アストラル体」とは何かといえば、意識を持つ力。植物にはアストラル体がないが、動物にはあると言う。 しかし、動物はアストラル体を持っても、「自我」は持たない。その「自我 Ich」とは何か。それは、物質体・エーテル体・アストラル体に対して働きかける位置にある。それは、もはや「体」ではない。超感覚的な実体。霊的実体であると言う。 シュタイナーは、人間の体験する生理的現象を、この組み合わせから説明している。 たとえば、睡眠。眠っている時、ベッドに横たわっている人間は、物質体とエーテル体を含んでいるが、アストラル体と自我(私)とは含んでいない。そう解釈する。 また、「死」とは、〈物質体〉から、〈エーテル体十アストラル体十自我(私)〉が離れてしまう現象である。「臨死体験」といわれる現象は、いわぱ、一時的にこの状態を体験したものである、と説明する。
長いタイムスパンのライフサイクル シュタイナーの人間観は「生まれ変わり」の人間観である。人生を、死後との連続の中で見ないと、その本質が見えてこないというのである。 では、シュタイナーは、そうしたライフサイクルを、どのように解き明かすのか。先の四つの構成要素の組み合わせによってである。 シュタイナーによれば、物質世界における「誕生」は「母親の物質的な殻から脱皮すること」である。そして、ひたすら物質体の成長に集中するのが「第一の七年期」。それから、七歳の頃、エーテル体が殻から脱皮する。そこから「第二の七年期」に入って、今度はエーテル体の成長が中心的な課題となる。 思春期の、およそ12〜16歳の頃、今度はアストラル体が殻から脱皮し、「第三の七年期」の時期、アストラル体の成長が中心になる。 そして、20歳過ぎにやっと「自我」が脱皮する。 シュタイナー教育のプログラムは、すべて、この七年周期を基礎にする。この発達の法則を見損なっては、いかなる教育的働きかけも成功しないと言う。 やがて、死が訪れる。しかし、死という現象も、構成要素の組み合わせが変わるだけのこと。物質体がエーテル体と分離してしまうことに他ならない。 死後も、図2のように成長のプロセスを経て再び誕生してゆく。 つまり、こういうライフサイクルなのである。「魂(自我・私)」が三重の「体」を身にまとって、地上に生まれ、順に脱皮しながら成長し、成長し終えたところが、「この世」の折り返し地点。今度は順に三つの「体」が衰えて、死を迎え、順に「体」が魂から離れ、魂だけが純粋に残るところが「あの世」の折り返し地点。そして再び、魂が「体」を求め、物質体に宿ることによって、生まれ変わってゆくことになる。 このように、長いタイムスパンの大きなライフサイクルを一つの説明原理で貫いてみせる。
人生は「魂」の成長のための修行の場 すると、なぜこの地上にやって来たのか、が見えてくると言う。すべての「自我(私)」は、それまでの転生の歴史(魂のライフヒストリー)の中で、支払うべき「業」を背負っている。それは、他人に対する「借り」でもあれば、自分に対して償うべき「借り」でもある。そうした「借り」を返済し、成長のために必要な課題を果たすために、この地上にやって来る。 つまり、人生には目的がある。各自が、それぞれ今世で果たすべき課題を持っている。肉体を持っている間に果たすべき使命を背負ってやって来ている。地上の人生は、「魂」の成長のための「修行の場」ということになる。 「最終的には、すべての魂が磨かれていくという境地を目指している、と言っていいだろう」と西平氏は言う。 さて、以上のような話を大学の授業で紹介すると、「先生、本気で話しているんですか」とよく質問されるという。 西平氏は「この話が事実であるがどうか、それは問わないことにしたい」と語る。「私の関心は、そういった生まれ変わりの人生イメージが心理的・実存的にどんな意味を持つのか。また、それによって、人生がどう違って見えるのかということである」。また、「こういう人間観を持っていると、夜一人で考えている時や、おふくろが死んだ時など、少しホッとする」とも。 「もし、シュタイナー教育を否定するなら、どういう人間観を背景にして教育するか、が問い返されるだろう。教育を語る時、必ず何らかの人間観を背景にしているはず」と、語気を強めた。 西平氏のシュタイナー教育研究は、これまで唯物論をべースに教育論を展開してきた本学教育学部に新たな視点を加えるものとして高く評価したい。
《東大新報「こころの教育」取材班》
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