マルチメディア米国の旅(27)

麗澤大学教授 浦山重郎

(8)マルチメディアとゲーム機ソフト

'98年末、次世代ゲーム機戦国時代勃発

 任天堂のソフトに関して重要な事は、「これからは量より質の時代。百人の秀才より、一人の天才が必要なのである」、という山内社長の言葉だ。これもまたソフト販売本数の売上げを見れば、任天堂・エニックス・カプコン・スクウェアの独壇場であることがわかる。

3.第2のゲーム機戦国時代

 ファミコンが一大ブームになった八六年の余波を受けて八七年十月には、新たなライバルが出現した。NEC−HEがPCエンジン(二万四千八百円)を発売した。ファミコンでは出来ないゲームが多く発売され結果としては三百九十二万台を越えるヒットとなったが、カード系、CD−ROM系を合わせて十五種類のハードが購買層を混乱させてしまった。ROMカセットをカード式にしたり、一番早くCD−ROMでゲームを出したりと常に新しいシステムを導入したが、任天堂の牙城を崩すことはできなかった。このゲーム機はハドソン製のチップがふんだんに使われている。ファミコンのサードパーティであるハドソンのファミコンの独断を阻止するような行動に、任天堂は何も言わなかった。というのも八三年のファミコン発売当時、任天堂では一社でファミコンを支える自信はなく、頭を下げて、ハドソン・ナムコ・コナミなどこのころから活躍していたゲームソフト会社に、ソフトを作るように頼んでまわったと言う話がある。だからこれはその時の借りを返すことであったのではないかと思われている。

 セガはSG−1000の後、SG−1000U、マークV、マスターシステムと次々とゲーム機を市場に投入していったが、これが裏目に出てしまった。またどの機体も完成度は低く、ゲームの質も決して良いものではなかった(売上げ総数は百五十万台)。アーケードゲームのセガの高い技術をテレビゲームにも生かせなかったのが敗因といえる。この出来事は、後にサターンの登場でもその時代を経験した購買層に不安を抱かせる結果となった。

 NEC−HEのPCエンジンから遅れること約一年、八八年の十月に16ビットのゲーム機メガドライブ(二万千八百円、以下MD)を発売した。ようやくセガのアーケードゲームがテレビゲームに移植できるようなスペックを持ったゲーム機が登場したのである。任天堂が発売したスーパーファミコンより一年早く投入したブランクは、米国でメガドライブが大きくヒットした要因にもなっている。国内販売台数は三百四十五万台になった。九〇年十月にはゲームギア(一万三千八百円)というカラー液晶画面を使ったポータブルゲーム機を任天堂のゲームボーイのライバル商品として売り出している(百二十五万台の売上)。しかしこれらもまた任天堂の大きな壁を揺らすことはあっても、崩すまでには至らなかった。

 やはりこの時代も制したのは任天堂であった。ファミコンの発売後、ガン、ファミリーベーシック、ディスクシステム、ロボット、などファミコンの活動を広げるものが発売された。しかし今挙げられたこれらの商品は「任天堂の汚点」というほど売れた商品ではなかった。要するに失敗した商品である。

 しかしこの失敗を忘れさせるほどのヒットも同時に作り出してきたのが任天堂であるともいえる。ファミコンが登場した頃、任天堂は早々とアーケードゲームから撤退して、テレビゲーム機一本に市場を絞りはじめた。他のゲーム機の参入で市場に活気がなくなった頃に、スーパーファミコン(以下、SF)を発売し他者を牽制し、またゲームボーイ(一万二千五百、以下GB)を八九年四月に発売し、ゲームウオッチの進化版として大ヒットへもっていった。これはSFの発売が延期を重ねたため、他のゲーム機を買い控えさせるよい作戦にもなった。今でも人気は根強く、国内だけでも千二百万台が売れている。

 SFはPCエンジンからまる三年、MDからも二年も遅れて発売された。定価は二万五千円。その当時、社長はその値段でも満足せずに、『二万円以下で』と強く要望したという。しかしそれは採算が取れないという理由で諦めざるをえなかった。市場に投入したのがここまで遅れたのには理由がある。ファミコン、GB投入時、必ず任天堂は自社開発のソフトを二〜三本用意している(SF発売当時のソフトは、『F−ZERO』『スーパーマリオワールド』の二本)。そのソフト開発の遅れが、度重なる延期を引き起こしてきた。任天堂を研究していく上で、特に評価できる点は、ゲームソフト開発の期限が存在しないというところにあるだろう。「マリオ」を作った任天堂の宮本茂課長はこう言う。「ウチの特長は、開発期限がないことでしょう。いつまでに仕上げようという締切の目標はあるが、それは必ずしも絶対条件ではない。締切がきても、出来が悪ければ発売しない、また途中で行き詰まって半年や一年、そのまま放っておくソフトも結構多くあります」。

 SF発売と同時に発売されたソフトはSFの中身をよく知っている任天堂だからこそ、そしてまた、まず始めにソフトありきと言う任天堂のスタンスを特徴的に表わしたから完成度が高く、またそれがSFの売上に大きく貢献したといえるのである。
       (つづく)
     (S32・法卒)

(注)

ドラゴンクエスト4:エニックスの発売したお化けのソフト。原作堀井雄二、キャラクターデザイン鳥山明、音楽すぎやまこういちという豪華な顔ぶれでつくられたRPG。徹夜の行列、ひったくりなど多くの問題を引き起こすほどの人気だった。TからWまではファミコン、XとYは(九五年十二月九日発売)はスーファミで発売。

カード:名刺大のサイズにゲームが入っている。カードのケースはCDケースと同じ。持ち運びやすい。

15種類のハード:カード系は、PCエンジン、PCエンジンスーパーグラフィックス、PCエンジンコアグラフィックス、PCエンジンシャトル、PCエンジンGT、PCエンジンコアグラフィックスU、PCエンジンLTの七機種。CDロムロム(CD−ROM系)は、CDロムロムシステム、PCエンジンDuo、スーパーCDロムロム、PCエンジンDuo−R、PCエンジンDuo−RXの五種類。

ハドソン:パソコン草創期の頃から業界に参入、ソフト開発の表裏を知りつくし、ハード開発にも強い実績がある。高い技術力は業界内では有名。札幌に本社がある。東京の支社(飯田橋)は札幌の時計台をモチーフにしている。ミツバチマークが目印。社風はユニークであるといわれている。

ナムコ:本社は東京・大田区。ビデオゲームのパイオニア。現在は業務用ビデオゲーム機器と娯楽施設収入、家庭用ゲームソフトが三本柱。コンピュータ・グラッフィック、ゲームソフト開発力の強さで収益は安定している。にっかつを再建中。

コナミ:本社は東京・港区。神戸にも大きなビルを持っている。業務用ゲームから出発し、ファミコンブームの波に乗る。任天堂、セガ、SCE、NEC−HE向けにゲームソフトを開発・販売。子会社での大型ゲーム施設の展開など統合アミューズメントを指向。商業用LSI開発も展開。パチンコ用液晶ゲーム機が急拡大中。

マスターシステム:PCエンジンとおなじく、カード式のゲーム機だった。SG−1000、SG−1000U、マークV、よりも性能はよく楽しいゲームはあったが、やはりぱっとしなかった。

メガドライブ:一九八八年、家庭用ゲーム機初の16ビットCPUマシンとして発売された。米国では、スーファミ以上の人気を博した。マリオに対抗する『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』はセガの看板キャラクターとなった。

スペック:規模、構造、性能をまとめた表。転じて単なる性能の意味で使われる。

ゲームギア:一九九〇年秋に発売した携帯ゲーム機。ゲームボーイのモノクロ画面に対し、これはカラー液晶画面。オプションを加えると、テレビも見ることが出きる。アーケードマシンやメガドライブソフトの移植で、安定した売れ行きを示している。今年秋には米国セガ({{>F31<}}Sega Of America{{>F32<}})がジェネシスNOMAD(メガドライブのカセットが使える携帯ゲーム機。海外ではメガドライブをジェネシスという名に変更して発売している)を発表した。九六年春に発売予定。

ファミリーベーシック:ファミコンでプログラムを作るためのカセットとキーボードのセット。プログラムといってもたいしたことはできなかった。ベーシックはハドソンが作った。

ディスクシステム:ROMカートリッジよりも大容量(当時)な書き換え可能なディスクを使い、任天堂はゲームを発売した。五百円でソフトの書き換えができた。「今後、ソフトは全てディスクで供給する」と宣言したほど、任天堂はこのメディアにかけていた。しかし失敗。ディスクに信頼性にも欠け、任天堂、ソフトハウス、小売店にとっても、利幅の低さは深刻だった。問屋の「中抜き」による反発もすさまじいものだったという。しかしディスクの名作も多数生まれた(「ゼルダの伝説」など)。

ロボット:附属のカセットを使って、ロボットの動きを管理させる玩具。これを買うならからくり人形の方がまだ愛想がある気がする。

バーチャルボーイ:名前通り、3Dの画面でできるゲーム。CPUじはPC−FXと同じものを使用している(ただし互換性はない)。ゴーグルをのぞきこんでゲームを行う。色は赤の単色。雑誌にその臨場感を表現できないのが、販売低迷の理由かもしれない。定価は一万五千円、ソフトは五千〜六千円。しかし九五年十二月現在、ハードは七千八百円、ソフトは千円以下で発売されている。今が“買い”かも。

スーパーファミコン:言わずと知れたファミコンの後継機。発売が予定よりも遅れてたため、PCエンジンやメガドライブよりも性能は良い。デザインもよく、コントローラーも操作しやすい。これ以上言うことはないほどの、世界のベストセラーゲーム機。

F−ZERO:レースゲーム。スピードなどは迫力満点。友人の一人は、「スーファミのソフトの中でも一、二を競うできの良さ」とべたほめ。

スーパーマリオワールド:「スーパーマリオ」のスーファミ版。あとは分からないが、きっと面白い、と思う。

バイオテクノロジー入門

35.DNA多型

山口彦之

DNA多型

 生物の個体間に存在する遺伝的差異はすべてゲノムDNAの一次配列にあるので、ある個体を識別するには、そのゲノムの配列を決定すればよい。だが、現在の技術では、この解析はウイルスのように数千塩基対(bp)の小さなゲノムをもつものでのみ可能であり、二、八〇〇、〇〇〇、〇〇〇(二十八億)bpという長いゲノムをもつヒトでは非常に多くの解析時間がかかる。

 ただし、個々のゲノムにおいてDNA配列の差異が密集しているときには、ゲノムのごく一部分の配列だけを調べれば十分であろう。ヒトの集団から無作為に取りだした二つの相同染色体は三〇〇bpに一つの割合でちがうことが知られているから、一五、〇〇〇bpの断片の配列を調べれば、地球上にすむ無縁の二人は九九・九%の確率で異なるといえる。同じように、ある男がひとりの子の父親なのかどうかを決めるためには、その子、母親、その男についてそれぞれ四、〇〇〇bpのDNA配列を調べなければならない。

 すでに人々の間で差異の存在するゲノム領域で比べると効率よく解析できる。この領域が多型部位である。多型は二つ以上の対立遺伝子が関与する形質で、集団内に少なくとも二つの対立遺伝子が一%以上の頻度で出現する場合をいう。ABO式血液型が遺伝的多型としてよく知られているが、このとき遺伝子そのものではなく、遺伝子産物が解析される。

 血液(白血球は核をもつ)、精液、毛、骨、唾液(口上皮細胞を含む)、尿(腎や尿管に由来する上皮細胞を含む)などの有核細胞が存在する生物試料からゲノムDNAを精製する。生細胞からは高分子量のDNAがえられる。分解DNAを含む生物試料や遺体はポリメラーゼ連鎖反応(PCR)を用いてDNAを増幅したのちに研究できる。制限酵素で消化すると、ヒトのDNA断片は千塩基対以下から数百万塩基対までの様々な長さとなり、ゲル電気泳動で分けることができる。このDNA断片を膜に固定したのち、目的配列と相補的なDNA分子の標識プローブとインキュベートすると、特定DNA断片とその長さわかる。長さ、配列あるいは両方が相互に異なるときには、このDNA断片はいくつかの対立遺伝子をもつ多型ということになる。

 二種類のDNA多型がある。単一塩基対の変化が制限酵素の認識部位内に起こると、制限断片長多型(RFLP)が検出できる。そのほか、制限酵素の認識部位内に起こっていない単一塩基対の変化を検出する方法もある。もう一つのDNA多型はゲノムの特定位置での縦列反復配列数の変異である。反復配列が一〇〜六〇bp長の縦列をミニサテライト、もっと短い反復(二〜五bp長)のグループをミクロサテライトとよんで区別している。
(駒沢大学教授・
     東京大学教授)


門脇尚平の人間観相学(151)

広島大学学長 原田康夫氏

 めまいなどの原因となる耳の平衡神経障害を研究する医学者の間で世界最高級の栄誉とされる「バラニィ・ゴールドメダル」に広島大学の原田康夫学長(六五)が決まった。五年に一人の表彰で日本人としては初めてである。同メダルは平衡神経科学の研究で一九一四年にノーベル賞を受賞したスウェーデンのバラニィの功績を記念して設立され、過去にオランダや英国など九人が受賞している。

 知能線(イ)(ロ)は極端に急下垂し、天性の芸術家である、私は音楽関係では山田耕筰、藤原義江、長門美保、田中路子、古賀政男、藤山一郎、渡辺はまる諸氏他多数の手相を拝見しているが、原田康夫氏はこれら権威者以上の芸術家肌で田中角栄元首相の知能線にも酷似して勘がよい。

 知能線の起点(イ)は長寿の生命線(ハ)(ニ)から著しく離れ、慎重周到であると共に剛毅果断、いざ鎌倉の場合は全勢力が発揮でき、「ゴルジアスの結び目」(困難な問題)も天才的にポイントを発見して解く閃きがある。

 感情線は(ホ)(ヘ)(学者的冷徹さを具備)・(ト)(チ)(献身的)と二段構成で神秘十字型(リ)も刻まれて神仏や先祖の加護が厚く、原爆もきわどいところで避けたという。運命線(ヌ)(ル)、太陽線(ヲ)(ワ)、財運線(カ)ヨが鮮明で栄誉に輝く。事実、「医が育てたテノール学長」のテーマで『日本経済新聞』(平成6年9月19日付)文化欄にも執筆の氏は学長の激務をこなす傍らテノール歌手としても舞台に立つ。トマト、豆類が好物で秀吉・ナポレオン・ダヴィンチを深く尊敬。「好きなことをやれば必ず伸びる」が氏の信念である。

Book Review(書評)

「患者になって見える看護」

長濱晴子著

 本書は、患者自身が納得できる医療を求めて苦闘を繰り広げてきた記録である。

 看護婦として、また看護行政にも携わってきた長濱晴子さんが、突然言い渡された診断が“重症筋無力症”という難病であった。

 六カ月の入院生活では患者としての不安や迷い、心の変化と葛藤をつぶさに伝えながら診断と看護に関わった医師・看護婦に対して、自分の医療経験者としての反省を込めて、病気を「治したい」と願う患者が期待する診断と看護はどうあるべきかを語る。

 期待していた効果が現れず、悩み抜いた末自分に合う治療方法を求めて自宅療養を始めてから、少しでも治癒と健康の回復に役立つと信じたら何でも実行してみる。

 治療方法や技術に関する情報の収集と実践、講演会やシンポジウム、全国筋無力症友の会への参加など自分で病気を治すという信念と自然治癒力を信じ、それを高める努力などをへて、病との闘いから共生へ、感謝への気持ちへと変わっていく。

 自分では避けることのできない病気や事故に遭遇したとき、それにどう反応し、どう目標を設定し、どう行動するか、困難に立ち向かう意志と行動のわかりやすいケーススタディとして読む者の心へ強力なメッセージが伝わってくる。

 私も含め、日常の「忙しさ」にかまけて自己の健康や生活を律しきれない現代人に対する警鐘と受け止めたい。
(東京大学医学部付属病院 副看護部長 新井晴代)
(医学書院 一九五七円)

赤門クロスワード NO.27

  今回もオーソドックスな問題です。読者の皆さん、頑張って挑戦してみて下さい。クロスが完成したら、二重マスメの文字をABCDEFの順に並べると、ある俳優の名前が出てきます。それが今回の答です。(出題/S・S)

タテのカギ
1.オリックス二連覇、やはり最後はこの人のひとふりで決まりました
2.秋場所で全勝優勝
3.物価が継続的に上昇すること
4.――マグロはおいしい
5.砂漠の中の憩いの場所
10.重い荷物を持つときには、――腰にならないように
11.寅さんといえば「――清」
13.地上から飛び立つこと
14.小さい力で大きな物を動かす「――の原理」
16.子どもが望遠鏡のようにして覗くもの

ヨコのカギ
1.伊達公子、――を表明
4.人間の喜怒哀楽が一番出るところ
6.PKOに日本の自衛隊が初めて派遣された国
7.ロシア最後の――王朝
8.名古屋名物「――麺」
9. ←→ 普段着
11.――があったら入りたい
12.最近はあまり見なくなりました、――ぼり
14.――は熱いうちに打て
15.ある現象の起こりうる割合
17.あの人のうわさを――にはさんだ
18.あまり――ばかりこねていると嫌われます

出題者のコメント:皆さんの考えた問題を応募して下さい。
掲載された方には、豪華賞品を差し上げます!


応募方法

誰でも応募できます。
下記のフォーマットを切り取り、電子メールで下記のアドレスまで送って下さい。

答:
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締め切りは10月10日です。

プレゼント

正解者の中から抽選で10名の皆さんに、「東京大学記念グッズ」をプレゼントします。当選者の発表は、賞品の発送をもって替えさせていただきます。どんどんご応募下さい。

前々回の解答は「ハトヤマ」でした。

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