★治療医学から予防医学へ★

21世紀の成人病予防

―ガンフリーを訪ねて― 第5回

 「もう少し早くガンフリーに出会っていれば……」と飯島さんは言う。病院で受けた細胞診の針が、すでにガンが発病していた患部を刺激した。検査の時点で直径二センチだった乳ガンが、三週間後の手術時には直径六センチにまで大きくなってしまったのである。

 手術は、大胸筋からリンパ腺までを取り除くというもの。執刀医からは、「浸潤の恐れがありますから全て掻き出しました」と説明を受けたが、「もし二センチのままだったら、ここまでする必要があったのかしら」という気持ちが残る。

MMKの大きな効果

 ただ、手術前にガンフリーと出会い、MMK−GOLDを飲んでいた効果はてきめんだった。「痛みが全くなかったし、出血もわずかでした」と飯島さんは語る。退院したのは手術後六日。その翌日から買い物に車ででかけ、二日後には山梨までドライブに出かけた。「ガンの手術なんて本当にしたのかな、という感じです。ガンにかかった以前よりも体調がいいんです。それに、転移や再発の不安がなくて、精神的にも健康。内外ともに健康でいられる、というところが大きいです」。飯島さんの言葉には、心からの感謝の気持ちがあふれていた。

健診でガンを発見

 Y市民病院では、毎週水曜日に乳ガン専門の先生の外来がある。この日を「乳腺の日」と呼んで、外来は主婦でいっぱいになるという。飯島さんも、一年ないし一年半に一度は、このY市民病院を訪れ、ガン予防ための健診を受けていた。

 飯島さんは五人家族の次女。姉と妹が一人ずついる。母親をガンで亡くしているため、自分にもガンが発病するのではないか、という不安は昔からあった。

 その飯島さんがガンだと分かったのは、今年五月八日のことだった。実は、今年の春、右胸に大豆状のしこりがあることに気づき、「もしかしたら……」と疑っていた。「乳腺の日」だった五月八日、検査を行った時点で「間違いない」と言われた。

 「何年か前にも、胸に水がたまったことがありました。今回もそうで、まさかと思いながら、『ガン以外に水がたまることってあるんですか?』って先生に聞いてみたんです。ところが先生は胸から水を抜くなり『やっぱり。(乳ガンに)百%間違いない!』。その時のショックはすごかったですよ。」

 検査の結果が出るのは一週間後だったが、飯島さんは結果を聞いたらすぐに入院しようと覚悟した。一週間後、荷物をまとめて病院へ行った。

 「検査の結果、二センチの早期乳ガンという診断を受けました。しかし、部屋がいっぱいだと言われてしまって、結局その時は入院できませんでした」。

 病室は飯島さんと同じようなガン患者で一杯だったのである。飯島さんはその日の内に、十種類ほどの検査を受けてから帰宅した。

今の医学は最善か?

 「ガンフリーのことを聞いたのは、この後でした。森先生を紹介していただいて、検診を受けたんです。その時点でガンは四センチ大になっていました。森先生は『細胞診の時の針でガン細胞が騒いじゃったんだね』とおっしゃいました。 そこで、Y市民病院の先生に『細胞診の針でガンが大きくなることってあるんですか』って聞いてみたんです。すると、『それはあるね』と返事されました。『じゃあ、大きくなるのにどうして(細胞診を)するんですか』と聞くと、『切り取ることを前提としているからね』と答えられたんです。

 つまり、MMK−GOLDのように、切らなくても治せる薬があれば、わざわざガン細胞を刺激して大きくする、ということは避ける道も考えられたわけなんですよね。胸を片方取ってしまう必要はなかったのかも知れない……と思うと、今の医学って本当に最善なのかな、と考えてしまいます。」(飯島さん談)

       (つづく)

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映画案内

学校2

先生と生徒のこころの交流描く

 今月十九日(土)から、山田洋次監督の『学校2』が全国公開される。

 前作『学校』は、先生と生徒とのこころの交流を描き、大きな感動を与えてくれた。

 今回の『学校2』は、北海道にある高等養護学校を舞台に、そこで起こる様々な出来事を通して、先生と生徒のこころのふれあいを静かにかつ力強く描く作品。

 リュー先生の担当するクラスでは、固く心を閉ざし一言も口をきこうとしない高志がいた。新任の小林先生のクラスには、片時もじっとせず、教室の外へと飛び出していってしまう佑矢がいた。

 ある日、玲子先生が読み上げていた作文を、佑矢がひったくろうとした。その途端、「うるさいぞ! 静かにしろ!」と怒鳴り声が聞こえてきた。それは、全く口をきいたことのなかった高志の声だった。

 この日を境に、二人は大きく変わっていく。佑矢は高志を兄貴として慕い、高志はどんどん自信をつけていく。

 そして、卒業式が迫ってきた寒い冬の夕暮れ、事件は起きた。高志が佑矢を連れて寮を抜け出したのである。どうやらコンサートを観に旭川へ向かったらしい。リュー先生と小林先生は二人を追って夜の自動車道を旭川へと向かうのだが…。

 リュー先生には前作『学校』でも人間味溢れる教師を演じ、多くの賞を総なめにした西田敏行が扮する。玲子先生にはいしだあゆみ、小林先生を永瀬正敏、佑矢を神戸浩が、高志にはTVドラマ『北の国から』の純役で人気を集めた吉岡秀隆が扮する。

 前作同様、深い感銘と感動を日本中に巻き起こしてくれるだろう。

(10月19日(土)全国松竹系にてロードショー)

健康ちょっといい話(13)

がんと呼ぶ名の死に至る病(上)

 かつて日本テレビ系で「雪舞い」と題するドラマが放映されたことがある。江原真二郎の扮する若手の外科医が佐久間良子(冴子)の生んだ子供の脳腫瘍を手術。手術は成功したが、肝腎の子供は死亡するという物語である。ドラマとしても迫力のある傑作であったが、私は現代医学の実体をよく表現していることにいたく興味を覚えたのである。

 これは脳腫瘍だけではない。池田勇人元首相も「東大病院での切替教授らによる喉頭がんの手術そのものは完全に成功」(塚本憲甫氏談)であったが「突如として胃の大出血を起こして死亡」(比企総長談)した。

 生命は一つであり、医学は人を救うためにあるものであって、手術の技倆を競うものではない。よく「手術は成功したが、死んでしまった」サンプルは多いが、これでは本末転倒である。「早期発見、早期手術」を旗印とした癌研の田崎勇三博士も、そのとおりに実行したががんで斃(たお)れ、国立がんセンター総長の塚本憲甫氏も胃がんを初期に手術したが転移性肝臓がんで死んだというように、がんの専門家ががん死をした事例は数限りなくある。田宮猛雄(国立がんセンター初代総長)、比企能達(同二代総長)、吉田富三(癌研所長)なるがんの権威者ががんで死んだのも記憶に新しい。

 「がんは必ず治る。但し誤診だったら…」と冗談のようにがん学者の間でささやかれることがある。かようにがんで死ぬ人がとみに増え、昭和五年にがんで死亡した人は四万五千五百人であったものが、同二十五年には七万七千四百人となり、昭和四十七年には十二万七千三百人、同五十年には十三万六千三百人を数え、平成七年には実に二十六万二千九百五十二人(厚生省統計情報部)のうなぎ登りとなっている。つまり日本のどこかで毎日七百二十人ずつ、二分に一人の割合でがんのため死亡していることになる。なぜこのように増加の一途をたどるのかといえば、現代医学ではがんの発生原因が不明で、的確な予防法がないからだ。がん撲滅の根本策は世界の医学者の懸命な努力にもかかわらず未解決で、日本でも日本対ガン協会、癌研、国立がんセンター等が生まれて久しいが残念ながら完全な予防法も治療法もない。化学療法も抗がん物質だけで万を超しているが、いずれも強い副作用があり、免疫療法も研究途上にあって、結局、現行医学では外科手術と放射線療法だけということになる。だが、手術も不十分な型で切除するとかえってがんの成長を促進して患者の死期を早める。がん死した田崎勇三博士が、かつて「いかなる名医がいかに周到に手術しても再発は起こる」と告白したとおり、全治は望めない。ラジオゴールド、ラジウム照射、ヨードアイソトープ、X線治療等もみな不確実なものであって、ここにがんが不治だといわれるゆえんがある。

 ごく簡単に述べると、がんとは遺伝的な素因のある組織細胞に化学的・物理的な刺激が加わって発生するというのが通説となっている。がんは血液のがん(白血病)を除いてシコリから始まる。次の段階が皮下出血であり、骨のがんを除いてこの時期にも痛みは出ない。その次には貧血となる。体重は減少し、顔色が悪くなり、がんもこうなると手遅れの状態となる。さらに進めば転移し、原発臓器のがんを切除しても転移先で再発することも多く、がんはようやくその正体を見せる。胃がんとか子宮がんなどは人間が名づけたもので、がんは人間全体を一つの醜い肉塊にしようと狙っているわけで、その突破口として狙った弱点の標的がそれぞれのがんの名前となる。

 がんは末期になると痛みは増大して休止ということがない。痛さのため睡眠不足となって体は衰弱し、痛み止めに強い麻薬の注射を続けると副作用が起きる。かといって副作用の少ない鎮痛剤では効力がない。止むを得ず注射する麻薬のために食欲は落ちてさらに衰弱し、この悪循環ががんの末期症状である。がんの相貌は黄疸症状の加わった土色の生気なき死相で、頬がこけ、目が凹み、体中がむくみ、肋膜や腹膜に水が溜まり、これに休みなき激痛が速度的に加わり、悲劇的な幕切れとなる。(評論家)

       (つづく)

       (評論家)

公開講座 INFORMATION 10月19日分

現代幸福論

「めでたさについて」 菅野覚明 人文社会系研究科助教授

・めでたさの根底をなすもの

 「めでたい」という言葉の背負っている伝統を考えながら、過去の日本人が真の幸福というものをどのような形で思い描き、構想していたかを明らかにしたい。

 私たちは何か「よいこと」があったときに、「おめでとう」という言葉を発する。このときの「よいこと」とは何か、またそこで発せられる「おめでとう」とは何を意味しているのか、さらには「〜おめでとう」という言説そのものの構造や意味はどうとらえられるか、といったことがこの講義の主題である。「めでたい」といえば、私たちは直ちに、お正月、結婚式、誕生日、等々を連想する。そうした、私たちがよく知っているさまざまなめでたさの共通の根底をなすものが、ここでの問題である。

直ちに了解されることは、この「めでたさ」に関わる「よいこと」は、道徳的な意味での「善」ではない。私たちは、普通善行をした人に対して「おめでとう」という言葉をかけることはない。まためでたさは、個人の欲求の成就した主体的状態としての「幸福」(感)と直ちに重なるわけではない。人々それぞれの、その都度の幸福感のすべてについて、いちいち「おめでとう」が適用されるわけではない。しかし、めでたさとして表される「よさ」は、それ自体としてはとらえどころのない「幸福」なるものを、何らかの仕方で形象化したものであるのは間違いないだろう。めでたさとは、過去の多数の日本人の生活の知恵を通して示された、「幸福のかたち」なのである。

 講義では、@「めでたい」という言葉の語学的な意味・用法、A「めでたさ」そのものを主題とした文学・思想テキスト、B主に民俗学の領域で展開されためでたさをめぐる先行研究業績、Cめでたさの対極をなす「あわれ」等の諸概念の内容、等々を手がかりとして、めでたさの構造・内容を考えていくことにする。

 以上を通じて、めでたさの構造を明らかにし、私たちの生の存立構造自体にかかわる「幸福」のありよう、本質をめぐる日本人の伝統的な了解の仕方の一端を探り出していく予定である。

    (講義要項より)

「日本の経済システムと個人の幸福」 奥野正寛 経済学研究科教授

・システムの転換が必要な時

 「幸福」という概念は時代や社会と共に変わる主観的なものです。よく言われますが、戦後五十年間を通じて、我々は「物質的」幸福を追求してきたわけです。

 ところが、少なくとも数字の上では所得水準が世界一になり、価値観も多様化した現代には、プライバシーやゆとりが望まれるようになりました。現代の日本の経済システムや企業のあり方は、このような新しい幸福の概念と両立するものなのでしょうか。

現代日本の経済システムの場合、その利点と欠点とは何でしょうか。メリットとしてはその仕組みの中に、従業員同士の協力や企業間の協調を引き出したり、生産コストの削減や品質の改良を引き出したり、社会の安定と秩序を保つようなインセンティブが強く含まれていることが挙げられます。これに対してデメリットとしては、一度失敗したらやり直しがまずできないこと、創造的・革新的な行動が抑制されること、異なる価値観が許容されにくい仕組みであるといった問題があります。

 問題に対処するのは組織や社会であり、個人としての責任を問われることが少ない代わりに、個人の自主性が抑制されてきたのです。一言で言えば、集団が一つの目標に向かって一斉に行動すること(コーディネーション)が得意であり、個人のやる気が集団の価値観に反する場合、それを阻害してしまうという欠点があるのです。

 戦後、先進国にキャッチアップすることを目標にしていた時代には、コーディネーションという日本の経済システムの長所を生かすことができました。しかしキャッチアップが終わり、今の日本は新しい方向を模索しなければならない時代に直面しています。現代の日本の経済システムはその役割を終え、新たなシステムを作ってゆかなければならない時期に来ているようです。それは、個人の自主性を大切にし、多様な価値観を許容し、リスクがあっても創造性と革新への努力を大切にするシステムです。このようなシステムの転換があってはじめて、老若男女すべてが新しい時代の幸福を享受できるのではないでしょうか。

    (講義要項より)

Book Review(書評)

『朝鮮現代史の岐路』

李景ミン著

 終章を「裏切られた解放」と題した著者の心が痛い。現代、韓国では「歴史の見直し」が進められているが、最も見直さなければならないのは、本書で扱っている解放からの三年間であろう。三十八度線を挟んで北に進駐したソ連軍、南に進駐した米軍、そのいずれもが、朝鮮人自身の独立の芽を摘みとり、米ソに好意的な政権を誕生させた。日本の弾圧下でも細々と続いていた独立運動が、「解放軍」として迎えた両国軍によって、決定的に抹殺されたのである。三年後に成立した南北の政権は、正統性を問われることを恐れ、ともにこの間の出来事を現代史のタブーとして、研究はおろか資料集めすら危険視してきた。本書が世に出たのも冷戦終結という時代的恵みのゆえである。

 日本政府のポツダム宣言受諾を知った朝鮮総督府が一番恐れたのは、満州からのソ連軍の侵攻である。ソ連軍との戦闘を防ぐには、朝鮮の治安、政治機構を朝鮮人に早急に譲渡しなければならなかった。大衆的人気のある独立運動家、呂運亨が総督府の打診を受けたのは八月十四日、そして翌十五日、まさに解放の日に彼は民族主義者から社会主義者まで幅広い独立運動家を網羅した建国準備委員会を発足させた。

 しかし、南に侵攻してきていた米軍は社会主義色の強い建国準備委員会を嫌い、むしろ総督府の日本人や親日派朝鮮人を使って半島南部を統治しようとした。これが民族に根深い亀裂をもたらす。一方、北においてはソ連軍が金日成ら親ソ派を投入して、在来勢力を排除した。ソ連軍が三十八度線を越えなかったのは米国の強固な姿勢による。冷戦は既に始まっていたのだ。民族の独立よりも米ソの覇権争いが優先され、南には親米的な李承晩政権が誕生した。そして、抵抗と混乱の中で、解放後の指導者となるべき多くの独立運動家が殺された。まさに朝鮮史における暗黒の三年間となったのである。(T)

(平凡社選書 二五〇〇円)

赤門クロスワード NO.28

  今回もオーソドックスな問題です。読者の皆さん、頑張って挑戦してみて下さい。クロスが完成したら、二重マスメの文字をABCDEFGの順に並べると、ある小説の名前が出てきます。それが今回の答です。(出題/A・Y)

タテのカギ
1.将棋で双方が前と同じ手を繰り返して、勝負の決まらないこと
2.仙人はこれを食べて生きていると言われます
3.キリスト教徒のこと
4.二十二世紀から来たネコ型ロボット。多くの人に夢を与えてくれました
5.楽で気持ちがいい様子
8.目の周りをふちどった線
13.小さな部屋
15.結局のところ。「――のつまり」
16.強引な様子。「――を言わさず」

ヨコのカギ
1.今、日本・中国・台湾の三国の間で、領有権が争われている「――諸島」
4.とびら
6.一発で三点入ります
7.航空機同士の異常接近
9.魚などが息をするところ
10.これに固執する政治家はたくさんいます
11.故遠藤周作の代表作の一つ
12.江戸時代、子どもに読み書きなどを教えたところ
14.事件、できごと
17.アラビアンナイト「――一夜物語」
18.名古屋・大阪に共通するものといえば? 来春完成予定です

出題者のコメント:皆さんの考えた問題を応募して下さい。
掲載された方には、豪華賞品を差し上げます!


応募方法

誰でも応募できます。
下記のフォーマットを切り取り、電子メールで下記のアドレスまで送って下さい。

答:
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学年(年齢):
紙面に対するご意見、ご感想:

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締め切りは10月25日(金)です。

プレゼント

正解者の中から抽選で10名の皆さんに、「東京大学記念グッズ」をプレゼントします。
当選者の発表は、賞品の発送をもって替えさせていただきます。どんどんご応募下さい。

前々回の解答は「シュウブン」(秋分)でした。

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