日本国際賞

吉川弘之総長が受賞

人工物工学の持論を提唱

 財団法人・国際科学技術財団(近藤次郎理事長)はこのほど、一九九七年(第十三回)日本国際賞(ジャパン・プライズ)の受賞者を発表した。今回、『ロボット産業の創設と全地球的技術パラダイムの創出』で本学の吉川弘之総長と、ルプメイト・ロボティクスのジョセフ・F・エンゲルバーガー会長が受賞者に決定した。日本国際賞は全世界の科学技術者を対象に、科学技術の進歩に大きく寄与し、人類の平和と繁栄に著しく貢献した人々に対して贈られるもので、国際的にも非常に権威ある科学技術賞である。


 財団法人・国際科学技術財団(近藤次郎・理事長)はこのほど、一九九七年(第十三回)日本国際賞(ジャパン・プライズ)の受賞者を発表した。

 今回は『ガンの原因に関する基本概念の確立』で国際がんセンター名誉総長の杉村隆、米カリフォルニア大バークレー校教授のブルース・N・エームスの両博士が、  『ロボット産業の創設と全地球的技術パラダイムの創出』でヘルプメイト・ロボティクス会長のジョセフ・F・エンゲルバーガー、東大総長の吉川弘之の両博士が受賞者に決定した。

 日本国際賞は全世界の科学技術者を対象に、科学技術の進歩に大きく寄与し、人類の平和と繁栄に著しく貢献した人々に対して贈られるもので、国際的にも非常に権威ある科学技術賞。

 今年度の受賞対象分野は「医学におけるバイオテクノロジー」と「人工環境のためのシステム技術」で、世界各国の科学技術者からそれぞれ百七十件、百三件の推薦があり、そのなかから今回の受賞者が選ばれた。

 『ロボット産業の創設と全地球的技術パラダイムの創出』で選ばれた両博士のうち、エンゲルバーガー博士は、ロボットという機械が産業界全般に革新的な生産性の向上を、もたらすことを早くから予見し、世界に先駆けてその開発と実用化に成功した。そして製造業を中心とする第二次産業の画期的な生産性向上を実現することによって、世界経済の長期にわたる拡大と発展に大きく寄与した。米国ロボット産業協会は同博士を顕彰してロボットの科学と応用に顕著な功績のあった人物に対して、毎年国際産業シンポジウム開催の際に「ジョセフ・F・エンゲルバーガー賞」を授与している。

 一方、生産規模の著しい拡大により地球規模の環境破壊、資源の枯渇、過当競争といった深刻な問題が発生しているが、吉川博士はこうした問題に対し、地球全体の生産性と人工環境が最適になることを主目的とした設計生産工学の研究を行い、ものづくりにかかわる知識体系の著しい専門領域化が問題解決のための知識体系をめざした人工物工学を提唱した。

 また、これを実現するため国際的な共同研究であるIMSダログラム(インテリジェント・マニュファクチャリング・システム・プログラム)を提案して、一九九四年に日本、米国、欧州諸国、カナダ、オーストラリアが参加する国際プログラムとして結実させた。

 なお、授賞式は四月二十五日、東京・三宅坂の国立劇場で行われ、受賞者にはそれぞれ賞状と賞牌が贈られる。賞金は各分野にたいし五千万円。

 本学工学部材料学科の桑原誠・教授のグループはこのほど、セラミックス細線が高感度の応力センサー機能を持つことを発見した。この細線は、直径十から二十マイクロbほどのチタン酸バリウム(BaTiO3)およびバリウムを一部ストチレンで置換した(BaSr)TiO3半導体セラミックス。

 同教授らは、セラミックス界面の電子状態に起因する特異な電子物性であるチタン酸バリウム半導体セラミックスにおける正の抵抗温度係数(PTCR)特性のメカニズムの解明をすすめてきたが、その中で一連の細線の抵抗が曲げ応力に対して大きな変化、一連のピエゾ抵抗効果(物質に圧力を加えることにより電気抵抗が変化する現象)を示すことを見いだした。

 この成果は、科学技術庁の科学技術振興調整費による総合研究『フロンティアセラミックスの設計・創製に関する研究』の一環として達成されたものである。

 チタン酸バリウムなどが示すPTCR特性は、界面状態に依存する特異な電子物性として知られており、温度センサーをはじめ、自己温度発熱体、電流制御素子など多方面の用途がある。桑原教授は、「適当な組成と試料形態および粒界数を選べば、安定でさらに大きなピエゾ抵抗特性を示す材料が得られる。このPTCR特性を利用した温度センシング機能に、この応用センシング機能を併せ持つ微小領域の高感度温度・応用センサーが実現できるのではないか」としている。

※PTCR=温度上昇とともに、特定の温度領域で電気抵抗が一千倍から十万倍といった極めて大きく、かつ急激な増加を示す現象。


東京大学120周年特集(2)

総合図書館

 東京大学附属図書館  大正十二年(一九二三)九月一日の関東大震災は、明治以来ほぼ半世紀を費やして整備されてきた本郷キャンパスに多大な損害を与えた。中でも図書館の全焼は、多くの貴重な蔵書を灰にしてしまった。例えば、旧幕府評定所記録、同寺社奉行記録各十棚、旧幕府時代日鮮交通史料数千冊、マックス・ミューラー文庫二万冊などの歴史的資料が焼失した。

 大学当局にとり、図書館の復興と図書の収集とは緊急の課題となった。九月十八日の評議会では、早くも図書館復旧のための特別委員会が設置されている。また、国際連盟総会で東京帝大の図書復興事業の援助に関する議決がされ、多くの個人、諸官庁、諸外国の大学から図書寄贈の申し入れが相次いだ。寄贈図書数は、昭和二年度末までに五十五万巻を数えるに至ったという。

 このように図書数が増えるにつれ、それを保管・整理する新図書館の建設はますます焦眉の急となった。それを一挙に現実化せしめたのは、大正十三年(一九二四)十二月三十日、アメリカのジョン・デ・ロックフェラーが申し入れた寄付金四百万円であった。ロックフェラーは、寄付金には何ら条件を付けず、支出方法を全て大学に一任した。

 これを受けて大正十四年(一九二五)二月五日、図書館建築委員会が組織され、工学部教授、内田祥三が建築部長の任に就く。直ちに設計に取り掛かった内田であったが、設計案をめぐって、図書館長、姉崎正治との間に激論が展開されたという。

 内田は当時、営繕課長を嘱託されており、本郷キャンパスの建築物復興の中心者であった。そして、ほとんどすべての建物はこの一人の建築家の設計と指導によって完成した。内田の全体計画における理念は、建物のデザインと高さを統一し、軸線によるキャンパス全体の構成の秩序を明快にすることであった。図書館の設計案もこれに基づいたものだった。

 一方、姉崎図書館長はアメリカの大学図書館や国会図書館を視察し、それに基いて内田案の欠点を指摘した。すなわち、各階ごとにその床高を揃えること、書庫と閲覧室との関係を密接にすることなどであった。

 内田と姉崎の間には、「殆ど喧嘩」のような激論が闘わされたらしい。「二人の間で色々議論して、譲り得るものは譲って、今の案ができたのである」と姉崎は当時を回顧している。

 このような経緯を経て設計された図書館は、大正十五年(一九二六)一月に地鎮祭を挙行し、昭和三年十二月一日、竣工式を迎えた。新図書館は鉄骨鉄筋コンクリート造り、地下一階地上三階、中央部のみ五階だった。

 この図書館の完成は、大講堂(安田講堂)の完成とともに、震災からの復興を象徴する記念碑的出来事だった。

参考文献:東京大学百年史、東京大学本郷キャンパスの百年


淡青手帳

 一月十八、十九日とセンター試験が行われた。“古い人”は、「共通一次」と発音するらしいが、幸い淡青子はセンター試験を受けた世代である

 本学、駒場キャンパスでも試験日はロープが張られ、正門でもものものしく身分チェックが行われるなど、緊張した雰囲気の中、多くの受験生がセンター試験を受けていた。卒業研究のために学内に行ったのだが、昼食を食べながら参考書に目を通していた受験生と目が合った。そういうば、私もあのようにセンター試験を受けた日があったなあ、と思い出した

 受験は人生の大きな試練の一つだろう。このために中学、高校と学歴社会の厳しい競争の中を努力せざるをえないのだから。この環境に適応できず、いじめや登校拒否、中退などのドロップアウト組が生まれたとしても何も責めることはできない

 だが、この受験勉強は単なる知識の詰め込みや、受験技術の習得だけにその目的があるのではないと思う。私達一人一人が、この受験勉強に意義を見出し、自分にとってプラスとしていくような発想をしていくことが大切だろう

 すなわち結果ではなく、その過程にこそ意義を見出したい。全力でぶつかったことに対して、結果がどうあろうと悔いてはいけない、と思えるくらい頑張ればいい

 東大は、昔から国家を支え、世界に誇りうる多くの人物を輩出してきた。その一方で、多くの罪の歴史を作り出してきたことも否定できない。これからの時代は、世界に貢献する日本作りを進めていかなければならない。東大は、そのような日本を作ってこそ真に胸を張って誇り得る大学となることができよう。一人一人が、真に誇り得る大学を作ろうと、そのような思いをもって頑張りたい。


東大新報 1997.1.25号