「廃寮問題」法廷へ

明け渡し求め、国が仮処分申請

 建築後六十年以上が経過し、老朽化した本学教養学部の学生寮「駒場寮」の廃止をめぐり、国は二月二十二日までに、寮内に残っている学生と同寮自治会に対し、建物の明け渡しを求める仮処分を東京地裁に申請した。大学側が「廃寮」を決めた後も、学生たちが一年近くも住み続ける“異常事態”は、法廷の場で争われることになった。


 学部側は、先月二十七日付の公示で、建物の明け渡しを求める仮処分を東京地裁に申請したことを掲示。一般学生に、今回の措置に対する理解を求めている。

 大学側は昨年四月一日、老朽化や入寮希望者の減少などを理由に、同寮の「廃寮宣言」を出した。電気やガスの供給を停止し、同寮への立ち入りを禁止した。

 たが、寮を自主管理してきた学生たちは「学生自治の拠点を奪うな」などと反発。近くの仮サークル棟から“盗電”するなど、その後も寮にたてこもり、暮らしている。

 大学側はこれまで、寮に残る学生に退去を求め、教官らが「説得班」を組織して寮内を回ったこともあったが、学生側は他大学の学生なども招き、反対集会を開くなどして抵抗してきた。

 国は昨年九月十日、東京地裁に「占有移転禁止」の仮処分を申請し、寮内に残っている学生を特定。そのうえで今回、“定住者”の四十六人の学生と同寮自治会に対し、明け渡しを求めることにした。

 駒場寮は、旧制一高時代の一九三四年に建てられた鉄筋コンクリート三階建てで、現在三棟が残っている。これまで学生運動や演劇活動の“とりで”としても知られ、一時は七百人以上が暮らしていた。前経企庁官の田中秀征氏や作家の畑正憲氏らも寮生活を経験している。

 現在は寮内のほとんどの部屋が施錠されているが、一部の部屋で、学生が、石油ストーブを持ち込むなどして寒さを乗り切ろうとしている。

 大学側は九一年、同寮を廃止して東京都三鷹市に新設した「三鷹国際学生宿舎」に統合することを決定。跡地にはホールやスポーツ施設などからなる「キャンパスプラザ」を建設する計画(CCCL計画)で、三棟ある同寮の取り壊しと一部施設建設の費用を計上している。

 昨年六月三日には、寮生の盗電行為に業を煮やした学部側が、寮に電気を引き込んでいたコードリールを保管。だが、その後も寮にたてこもった学生たちは、電気コードを引いて盗電行為を続けている。

 さらに九月十九日には、寮生が一〇二号館の教授会室に一時間余にわたって居座り、教授会の準備作業を妨害。また、今年一月十四日には、学外者を含む寮生の一団が一〇一号館に乱入し、制止する教官に暴力を振るい、頭髪をむしりとるなどの暴行に及ぶメンバーもいるなど、自ら話し合いによる解決を否定するような事件を相次いで起こしている。


警告

 東京大学教養学部は、旧駒場寮建物に居座りを続ける学生に対し、かねてより速やかに立ち退くよう話し合いと説得を続けてきましたが、話し合いによる解決の目途が立たないまま、平成九年を迎えました。このまま事態を放置するようなことがあれば、旧駒場寮跡地を含む駒場キャンパス全体の再開発計画を推進することが著しく困難になります。そこで国は、平成九年二月五日、旧駒場学寮を占有している四十六名三団体を相手取って明け渡し断行の仮処分を申し立てました。この申立が認められると、仮処分が執行されます。具体的には、執行官の手によって、身柄および荷物等が強制的に搬出されることになります。

 教養学部は、四十六名三団体に対して、一昨日学部長名で手紙を送り、速やかな退去を呼びかけました。それ以外で旧駒場寮にとどまっている人も、一刻も早く退去し、法的不利益を被ることのないよう警告します。

 なお、新しい住居が見つかるまでの臨時措置として、本年三月二十五日までに限り、三鷹国際学生宿舎の臨時使用を認める用意もありますので、必要な人は学生課厚生掛に相談してください。

  平成九年二月二十七日     東京大学教養学部

二次試験前期日程

志願者数が減少

2段階選抜、来年度見直しの声も

 平成九年度本学第二次学力試験(前期日程)が二月二十五、二十六日の二日間にわたり、本郷・駒場両キャンパスで行われた。志願者数は九千九百二十四人と、昨年より三百六人少なかった。ここ数年、全国的に「国公立回帰」傾向に変化はないとみられているが、数学の平均点格差の影響もあり、私大に流れた受験生が例年以上に多かったとみられる。

 入学試験は、文科各類が駒場で、理科各類が本郷で行われた。初日の二十五日、本郷キャンパスでは、八時二十分の開門前から受験生が長い列をつくっており、開門とともに緊張した面持ちで試験会場に入っていった。

 試験の形式は例年通りで、初日は午前九時半から国語、午後二時から数学。二日目は、午前九時半から文科系では社会、理科系では理科、午後二時から外国語の試験が行われた。

 今回の問題で興味深かったのは英語で、「四コマ漫画がつじつまの合った話になるように展開を考え、説明文を英語で書け」というもの。自らの頭でストーリーを考え、それを表現するものだ。

 ところで、大学入試センター試験の数学の平均点格差問題で、二十八大学四十四学部(文理分割の後期を除く)が予告倍率を超えたにもかかわらず中止を決定したが、本学では二段階選抜を予定通り行った。センター試験の結果が二次試験にも加味されることもあり、「志望校を変えた友人も多い」と話す受験生もいた。来年度以降の大学入試をめぐって見直し論議が活発になるのは必至とみられている。

 なお、前期日程の合格者は三月十日、本郷キャンパスで行われ、後期日程は三月十二日にスタートする。

歴史は語る

東京大学120周年特集(5)

赤門

 前回は「正門」について述べたので、今回は「赤門」を紹介する。

 本郷キャンパスは、江戸時代、加賀藩の上屋敷であったが、赤門はこの上屋敷時代に起源を持つ。

 加賀藩主、前田斉泰(なりやす)が、徳川家十一代将軍・家斉(いえなり)の第二十一女・溶姫(実名=徳川偕子)を夫人に迎えるために、文政八年(一八二五)に着工した表御門が、この赤門であった。江戸時代、諸侯が将軍家から奥方を迎えるときには、朱塗りの門を立てるのが慣例だった。

 前田斉泰と溶姫の婚礼は、文政十年(一八二七)十一月二十七日に行われたが、現在の赤門(正式には御主殿門という)はこの年に竣工されたのであった。当時はこの赤門が唯一のものではなかったが、往時の原形をこれだけ残しているものは他にはない。

 赤門は、明治年間、大正年間に一度ずつ修繕工事を行ったのみで、関東大震災にも倒れなかった。昭和六年(一九三一)には国宝に指定されている。

 第二次大戦中、東京に度重なる空襲があったが、本郷キャンパスはかろうじて被災を免れた。が、昭和二十年三月九日夜の東京大空襲の際、国宝赤門への延焼の恐れが生じた。本郷三丁目から上がった火の手が、大学前へ燃え広がろうとしていたのである。

 そこで、近くにいた数人が赤門を守ろうということになった。しかし、手近にあるのは小さい手押しポンプだけで、二人が両方からポンプを押し、二、三人が水を運んできて、火気と煙が押し寄せてくる側に必死に水をかけたという。

 幸い、門の周りには空き地があり、また本郷通りの向かい側にある高いコンクリート建築が障壁として立ちはだかったため、火が燃え移ることはなかった。こうして赤門は、何とか戦災を逃れることができたのである。

 戦後の昭和二十五年(一九五〇)に重要文化財に指定された。昭和三十六年(一九六一)には解体修理をし、生まれ変わったように立派になった。なお、今では周囲十四b以内での焚火は禁止されている。

 現在は、東大のシンボルの一つとして有名になり、観光客がカメラを向けない日はないようだ。

参考文献:東京大学百年史

淡青手帳

「チョベリバ」「チョベリグ」。これは、最近の“コギャル”が使う言葉というのだからびっくりする。どうやらこれは「超ベリーバッド(非常に悪い)」と「超ベリーグット(非常にいい感じ)」のことらしい。なにやら不思議な日本語ができているものである。なぜこんな言葉がはやるようになったのか

ところで、渋谷のセンター街を歩けば、奇妙な格好をしているコギャルが多い。彼女らはおしゃれなのだろうが、いき過ぎているように見える

今、世の中は、平均化・標準化が進行している。学校の運動会の徒競走で、順番を決めるのも禁止されているところもある。すべて、平等の精神であるというのだ。そのような社会の中にあって、「私」というものを表現することが困難になっているのではないだろうか。本当は「私」の個性を見てほしいのに、そういう社会になっていない

極端な学歴社会の中で、「私」が存在していることを自覚するためには、勉強や、またはスポーツで「良い成績」を修めなくてはならない。もちろん全員がそうなれるはずはないので、結局「私」の存在を自覚し、アピールするためには、自分を着飾ることが非常に大切なのだろう。そうでなければ、「私」は、たくさんの中の一人ということになってしまうのだ

渋谷には奇妙な格好をしている人がいると言ったが、それも結局は「自分は他の人とは違うのですよ」という自己表現に過ぎないのだろう

若者の姿は、社会を映し出す鏡であると言われる。若者の以上のような姿は、平均化・標準化が進行する社会制度への強烈な反発なのではないだろか。今の若者を評価するよりも、その姿を通して社会のあり方を再検討することのほうが重要かもしれない。


東大新報