本紙の代表顧問である湯浅明・本学名誉教授が会長を務める「女性科学者に明るい未来をの会」は十三日、優れた研究成果を上げている女性科学者に贈る「猿橋賞」の今年の受賞者に、名古屋大生物分子応答研究センターの高倍鉄子(たかべ・てつこ)助教授(五〇)を決め、発表した。植物が過剰な塩分に耐える分子機構を研究し、塩水でも育つイネの成育に成功したのが受賞の理由。
高倍助教授は、植物の光合成の研究を進める過程で見いだした細胞内の浸透圧の調節などに関係するグリシンベタインという有機化合物が、耐塩性の高い植物に多く蓄積されていることに十年前から注目。この物質をつくる大腸菌の遺伝子を塩分に弱いイネに組み込んだところ、海水の三分の一程度の濃度の塩水でも育った。
高倍助教授は「研究は競争の世界で、男女差や差別を感じたことはない。グリシンベタインの研究は、最近注目されて競争が激しくなったが、塩水の影響で砂漠化が進む乾燥地帯での農業や緑化にこの研究を生かしたい」と話している。
さて、学生がとった具体的な行動の第一は、「プロ企画事前チェックの廃止」要求である。五月祭企画は、前もって学生側の五月祭常任委員会(以下常任委員会とよぶ)がまとめ、学生委員会に提示・説明し、その了解を求めることになっていたが、学生の間から「このような検閲制度を廃止せよ」という要求が強くなってきた。
第二は「学内警備問題」である。昭和四十年ごろからこの問題が表面化し、この年の常任委員会は、「五月祭当日の警察のパトロールに反対し、私たち自身の手で構内警備を」と訴えたが、これに対しては大学側も警察官パトロールを実質的に縮小していった。
第三はこれと平行して発展してきた「名簿提出問題」である。昭和四十年までは常任委員会の名簿は「五月祭ニュース」にも公表され、学生委員会との交渉開始時点で大学側に提出されていたが、その後各学部における自治会の名簿不提出運動と関連し、これを拒否する態度が急速に強くなっていった。
このように、この時期の東大生には、人間不信からくる拒絶反応が目立っており、これが東大紛争へと発展していく素地となった、という意見もある。
東大紛争後再開された昭和四十五年の五月祭は、それまでとはかなり異なったもので、紛争を契機に新しい段階に入ったと言われる。この時には大学側は「五月祭の性格は大学改革問題とも関連するが、とりあえず、本年の五月祭については、できるだけ学生の自主性と創造を尊重する方向で考えたい」ということで、従来の学生側の諸要求に対してかなり大幅な譲歩を示した。
こうして五月祭における学生の主導権が拡張されたが、そうなると、学生内部での権力闘争激化が予想された。
学生内の分裂が最初に表面化したのは昭和四十三年であった。当時無期限スト下にあった医学部自治会は実質的に常任委員会から除外された形となった。そのため、医学部全学闘争委員会は、「警官パトロール実力阻止」を叫び、常任委員会の弱腰をつき上げ、これに対して常任委員会も盛んに応酬した。しかし、この時点ではまだそれは文書合戦に過ぎなかった。
昭和四十五年の五月祭では、常任委員会の統率体制に反対し、その指示に従わないものが現われ、さらに実力による五月祭進行妨害も起こった。すなわち、共闘系集団が大講堂前に坐り込み集会を開始し、その後、フォークダンスの集まりを襲ってこれを中断させ、また、一部は五月祭常任委員会室などに対して投石を行った。
そして、昭和五十年には映画の上映をめぐり鋭い対立があり、大学側の措置により衝突は回避されたが、結果的には上映企画が流れてしまうという事態が生じた。
さて、紛争後のもう一つの注目すべき新傾向は五月祭が巨大化するとともに、その企画が啓蒙的なものから、市民の期待に対応するものへ、さらには市民との対話を中心としたものへと変わってきたことである。そのため、五月祭のお祭りとしての性格が強くなり、縁日的な要素さえも年ごとに目立つようになってきた。最近では、模擬店の数が多くなり、「お祭り」と呼ぶのにふさわしいものになったようだ。
総務庁の調査(平成七年)によると、小学校四―六年生の男子が将来つきたい職業は、
一位が「スポーツ選手」(二五・三%)、二位が「会社員」、三位[商店主など自営業者」。
中学生では「会社員」(八・八%)が一位で、「スポーツ選手」(八・五%)を上回った。
二十年程前は、子供のなりたい職業は、一位がプロ野球選手。
以下スポーツ選手、科学者、野球の監督、パイロット、宇宙飛行士など。会社員が小さな夢というつもりは毛頭ないが、
ただ、子供たちの夢がしぼみ、「頑張っても無駄だよ」という方向に大きく傾いてきているのは確かなこと
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阪神大震災の後、心のケアが必要なのは、被災者だけではなく、ボランティアで集まった若者たちもそうだった。
活動している時は、人の役に生きているという実感があったが、いざ自分の持ち場に帰ってみると、何をするにしても充実感がないという
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総務庁のもう一つの調査によると、社会に対して不満を持った時、
「積極的な行動をとる」日本人(十八歳―二十四歳)は二四・一%であり、
日欧米アジア十一か国中で、ロシアに次いで下から二番目だったという
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ふりかえって、最近新聞をにぎわせている一連の事件に、エリートコースを歩んできた高級官僚が関与している。
当然その中に本学出身の者も多くいる。
本学に入学してくる学生は理想が高く、様々なアプローチの仕方はあるだろうが、
将来は日本を動かそうと考えている人が多いと思う。そのような「大志」を抱ける学生が多いというのは本学の誇りであろう。
ただ、出世していく中で、「大志」がいつのまにか「野望」に変わっていかなければいいのだが。
1997 東大新報