スペシャルインタビュー
瓜生孝子アリセさん
ブラジルから日本へ留学して来た瓜生孝子アリセさん。一九六〇年に両親がブラジルに渡り、ブラジルで長い間学んできた。リオで地球サミットが開催されてから今年で五年。その間に、ブラジルをはじめ世界の環境に対する意識がどのように変わり、そして今後何が課題となってくるのだろうか。アリセさんに話しを聞いた。
――東大に入ろうと思った動機は?
アリセ はじめから特に東大を選んでいたわけではありませんが、とにかく自分の研究を続けたいと思っていました。しかし、現実には研究を続けるだけの余裕がありませんでした。それで奨学金を受けられる外国の大学を探していたのです。最初はカナダに行きたいと思ったのですが、奨学金を取るのが難しく、また学部のコースしかありませんでした。それで、日本は留学生にも研究の機会と良いサポートを提供してくれるということを聞いていたので、日本にしたというのが一つの理由です。
もう一つの理由はやはり日本の文化と日本語をもっと学びたいと思ったからです。しかし東大に限っていたわけではありませんでした。東大がいい大学であるということをブラジルでも聞いていましたが、植物生態学について詳しいことは何も知りませんでした。それで、とにかく手紙をたくさん出そうと思ったのです。雑誌や新聞の記事で知った教授とコンタクトを取ろうと、日本の大学に合計十通の手紙を送りました。その中でいい返事が返ってきたのが東大の教授だったのです。
しかし日本に来る前、日本語を全く勉強していなかった私は、果してうまくやっていけるだろうかと心配でした。でも、東京には日本語を知らないで暮らしている多くの外国人がいるということを聞いて自信を得て、東京に来ることを決めたのです。
――東大時代を振り返って良かった思い出は?
アリセ 東大に来て自分の研究ができたことは、とてもよかったことだと思います。いろいろな面から見て、とても有意義な体験でした。研究のことだけでなく、日本の文化を学べたという点でもそうです。みんなが日本の文化についていろいろと教えてくれました。日本語も、まだあまりうまく話せませんが、少しずつ学んでいくことができました。特に研究室の友達からいろいろと学ばされました。彼らの考え方、仕事の仕方、さらには技術的な指導まで。実際私の入った研究室は森林植物学で、植物生態学はメインの分野ではありませんでした。それでも分野を超えていろいろな教授の方からサポートしていただき、とても良い環境の下で研究できたと思います。日本とブラジルでは文化が違い、考え方も違いますが、かえってそれがいい経験になりました。ただあまりジョークを言えなかったり、敬語を使えなくて困ったことはありますが、他には特に問題はありませんでした。
――一九九二年にリオで開かれた地球サミットについては?
アリセ あの時私はちょうどサンパウロの公園で環境教育の演習をしていました。私もリオに行きたいと思ったのですが、演習が忙しくてなかなか時間がなかったのです。サミットの前には、「ボイス・オブ・チルドレン」という環境教育の大プロジェクトがあって、私は一番貧しい地域の公園で演習をしていました。その公園にたくさんの子供たちが集っていたのですが、彼らは貧しさのために他にどこにもいくことができず、その公園に集るようになっていたのです。
当時私たちは地球サミット(リオ )に参加できるとは思っていませんでした。しかしこのような貧しい子供たちでも、何らかの形でこのプロジェクトに参加させたいと思っていたのです。特に私たちは、彼らが将来にどんな生活を望んでいるのかが気がかりでした。彼らが何かを伝える機会を少しでも与えたかったのです。それから私たちは彼らのための家を開くことにしました。実際サンパウロはとても貧しくて、私たちも十分にやりたいことができない状況でしたが、とにかくその家に来てプロジェクトに参加するように呼びかけました。そして子供たちに作文やお絵描きなど、彼らの好きな方法で自分自身を表現してもらったのです。丸いテーブルを作って、彼らと話し合う機会を持ち、家族のことや人生のことについて話し合ったりもしました。そのような中から、リオに行ける人が出てきたのです。リオから一人の少女と、ブラジルの各地域から一人ずつ子供たちが会議に参加し、彼らはみんなを代表して話しました。それは私にとっても非常にうれしいことでした。この事はとても小さなことかも知れませんが、少なくともそれが当時彼らが自分自身を表現する一つの道になったのだと信じています。
しかし教育は一つの過程にすぎません。まだ多くの問題が残されています。それらの子供たちの中で果して何人が、自分自身で疑問を投げかけ、自分の将来やとりまく環境について考えられるようになったかはわかりません。これから彼らはどうなっていくのか。彼らが自分自身について知るというということが一番難しいことだと思います。
――地球サミットから五年経ってブラジルの人や環境への変化は?
アリセ しばらく日本にいたので詳しいことはわかりませんが、わかる範囲で言いますと、環境に対する関心が高まってきていると思います。特に若い人たちがこのテーマに関心を寄せて来ています。環境問題に関するテーマを扱うものも増えてきています。例えば、環境に関する雑誌が増えたり、普通の新聞でも環境のトピックを取り扱ったりしています。以前より焦点が合わせられ、強調されるようになりました。それはメルコ・スールの創設でさらに加熱しています。去年の終わりから今年の始めにかけてのことだと思いますが、メルコ・スールの影響でスペイン語の教育が重要視されるようになり、公立の学校では義務教育にも取り入れられるようになりました。これはたいへん歴史的なことです。ブラジルだけがポルトガル語を話し、他の中南米の隣国はみなスペイン語を話しているのですから。今までは英語だけで、しかもそのレベルもそんなに高くありませんでした。もちろん、英語は国際的な言語ではありますが、しかし私たちを取り囲む国々がスペイン語を話しているのですから、それはもっと重要なことだと思います。今までブラジルは南米で孤立した国のようでしたが、今やその壁を言語で越えようとしています。
ブラジルの新しい大統領は、前の大統領より環境問題に取り組んでいるように思います。彼は社会学者で、たいへん心が広いです。例えば二年前にあるプロジェクトを作りましたが、それは大西洋岸の森を守ろうというものです。アマゾンに対しては、他の国からの圧力や関心からみな注意を向けますが、大西洋岸の森に対してはあまり心配されていません。しかし非常に重要な森なのです。その森が海岸を守るのにとても大きな役割を果たしているのです。サンパウロもリオデジャネイロも海の近くに位置しています。そして人口の六〇%以上が都市に住んでいます。それらの森が多くの川と、私たちが飲んでいる水を守ってくれているのです。その森が今、絶滅の危機に瀕しています。その地域には多くの家具産業がありますが、その企業のオーナーが集ってプロジェクトを作りました。それによって森の消失をできる限り少なくしようとしています。また最近ではISOの話題もよく耳にします。まだ十分とは言えませんが、少なくともそのような問題が話し合われるようになったということはとても大きな変化だと思います。
しかしまだ多くの問題が残っています。その根本的なものが教育です。 ブラジルは他の国に比べて、法律が整備されていると思いますが、しかし問題は民衆がそれについていっていないということです。例えば何かインタヴューや世論調査をして、どれだけの人が憲法の存在を知っているかを調べたとしたら、ほんの少しの人だけが「知っている」と答えるでしょう。彼らは自分たちの権利や義務について何も知らないのです。これはとても重要な問題です。彼らは自分たちが社会の構成員であるということや、社会に貢献すべきであるという考えを持たずに育ってしまうのです。
もう一つの変化としてブラジル独自の文化の復興が挙げられます。数年前までラジオをつければ、流れてくるのはほとんどアメリカの音楽でした。しかし最近では以前ほどアメリカ文化の影響を心配しなくてもよくなりました。ブラジルの文化の再評価が始まり、それを守るために田舎にも出かけています。人々が自分たち独自の文化の価値を復興させようとする動きが現れてきています。「我々は自分たちの文化を持っている。文化のルーツを求めて他の国へ行く必要はないんだ」と。このことは私たちがアイデンティティーを求めて遠くへ行く必要はないということを物語っていると思います。 (談)
瓜生孝子アリセさんのプロフィール
ブラジル出身。1992年サンパウロ州立大学卒業。94年本学研究生。95年本学大学院・農学生命科学研究科修士課程に入学。森林学専攻・森林植物学研究室所属で主に植物生態学を研究。97年修士課程修了。専門分野はエコロジーおよび環境教育。
1997 東大新報