また矢内原学部長の構想によって、キャンパス内に美術博物館が設置され、五一年に初めての展覧会を開いている。
同じ一九五一年、当初から予定されていた後期課程設置の実現として、教養学科が設置された。この時求められたのは、既存の学問体系を超えて学際的にものを探求する精神であるが、この精神は今に変わらず引き継がれ、教養学部の教育や研究の重要な背景となっている。
五三年には学生相談所が開所し、今でも学生たちの様々な悩みに答えたり、学生を対象にアンケート調査などを行っている。またこの年、三鷹寮用地とその建物が大蔵省より本学に移管された。
後期課程にはその後、六二年に自然科学系の内容をもつ基礎科学科が加えられ、七八年には教養学科の発展に伴って、第一から第三までの三学科に改組された。基礎科学科も基礎科学科第二の新設によって、八一年に基礎科学科第一と改称されている。
この間、六五年には井の頭線「駒場駅」と「東大前駅」が統合され、現在の「駒場東大前駅」となるほか、六七年東京大学保健センターの開設に伴って、教養学部学生保健診療所は保健センター駒場支所となり、六七年、アメリカ研究資料センターが設置されるなど、教養学部の施設は徐々に充実していった。
一九七七年五月には九〇〇番教室(講堂)に設置されているパイプオルガンによって、はじめて演奏会が開かれた。このパイプオルガンは森ビル株式会社の前社長、故森泰吉郎氏の寄贈によるものだが、この演奏会以後現在にいたるまで、毎年四回の定期演奏会が続けられている。このパイプオルガンは十二ストップの比較的小さな楽器だが、力強く輝きのある音色をもち、トレムラント装置、カップラー装置を備え、多様な音色配合と強弱法の要求を満たすことができる。そのため、十九世紀以前の楽曲はもとより、複雑な技法の現代曲を演奏することも可能である。演奏会には、内外の高名なオルガニストから気鋭の若手にいたる多くの演奏家が出演し、本学部の教職員、学生だけでなく、外部からも多くの聴衆を迎えて精神的交流と出会いの場としての役割を果たしている。
教養学部を基礎とする大学院は、八三年に四つの専攻(比較文学比較文化、地域文化研究、国際関係論、相関社会科学)からなる総合文化研究科が発足、その後広域科学専攻、文化人類学専攻、表象文化論専攻が加わった。九三年の言語情報科学専攻の新設・重点化を皮切りに大学院の重点化計画が始まり、九四年には広域科学専攻の生命環境科学系が、九五年には相関基礎科学系、広域システム科学系が拡充整備され、理系三系の重点化が完了した。九六年になって文系の六専攻が、超域文化科学、地域文化科学、国際社会科学の三専攻に統合整備され、これによって大学院重点化が完了した。
この間、九二年にはキャンパス内に大学院数理科学研究科が設置されるほか、九三年には前期の仮新カリキュラムが施行され、英語の授業も統一された教材とビデオ教材を用いて画一的に行われるようになり、学外からも大きな反響があった。
九五年には井の頭線沿いに情報教育南棟が新設された。六号館北にある情報教育北棟と、新設の南棟を合わせて、大演習室四室、中演習室四室、小演習室一室、自習室一室があり、授業や自習に大いに利用され、いつも多くの学生で賑わっている。今では学生同士の情報の交換もE-mailを使って行われるようになった。