夏休み明けて



 今年もまた冷夏となり、比較的過しやすい夏でしたが、九月に入って突然暑くなり寝苦しい熱帯夜が続くようになりました。すでに夏休みは終わってしまいましたが、駒場ではすぐに秋休みが始まるので、まだ休み気分が続いている学生も多いのではないでしょうか。

 さて、この夏休み最大の事件は何かと問われたら、おそらく大多数の人がつい先日、夏休みの最後の日に突然やってきた「ダイアナさん死亡」の訃報を挙げることと思います。夏休みの浮かれた雰囲気がこの一報によって吹き飛んでいったような気がします。今も連日連夜これに関連した情報が流されています。


 このダイアナさん死亡のニュースによってかき消されてしまっている感がありますが、日本でも九月に入って立て続けに不幸な事件が起こっています。新学期が始まった九月一日からわずか三日間の間に、四人の中学生が連続して自殺してしまったのです。いまだに理由のわからないものが多いですが、そのうちの一人は次のような遺書を残しています。


 「生きている意味がない。ずっと死ぬことを考えていた」

  無気力と重圧に
  悩む少年少女達


 新学期になれば、再び学校での生活が始まります。これら四人の少年たちに関して、学校で特別いじめを受けていたという証言はなく、人間関係で悩んでいた様子もなかったと言われています。しかし、たとえ表面には出さなくとも、内面では何か大きな悩みや葛藤をもっていたのではないでしょうか。それを表に出さず、ずっと一人悩み続けてきた結果、どうすることもできず、自殺という最悪の決断にいたってしまったのでしょう。


 今回の事件のようにたとえ自殺にまでいたらなくとも、日々の生活の中で目的性と意欲を失って、惰性的な生活に陥っている少年少女はかなりの数に上ると思われます。そのような少年少女たちの最後の歯止め≠ェ外れてしまった時、自殺あるいは犯罪という方向に走らざるを得なくなってしまうのです。そうすることで日頃のストレスや不満を払拭するしかないのでしょう。


 先日も家庭内暴力に耐え切れず、自分の息子を金属バットで殺害してしまった父親の公判が行われていましたが、このケースを見ても、現代の青少年たちに目に見えない、何かとてつもなく大きな重圧がのしかかっているのだということを感じさせられます。


   耐える≠アとを
  失った青少年たち


 現代に生きる青少年ほど、精神的に不安定な状態に立たされている人はいないのではないでしょうか。中学生問題の研究家山田暁生さんは、「今の子供たちは何かに耐えるという『耐性』に欠けており、学校が楽しくないといううっせきが簡単に自殺に結びついてしまう。小さいころから優しく、満たされて育てられているためだが、こういう時代だからこそ、学校や家庭で粘り強く生き抜いていくということを教えていかなければならない」と指摘しています。この指摘はかなり的を得ているものだと思われます。


 人生すべてがいつもうまくいくとは限りません。人生に困難や苦労は付き物です。その時に、それを耐える≠アとを知らなければ、自ら命を絶つことでその苦しみから逃れるしかなくなってしまいます。あるいは自分よりも弱いものを攻撃することや、自己破壊的な快楽に身を落とすことよってその鬱憤を晴らすようになってしまいます。まずは人生に困難なこと、うまくいかないことがあるのは当たり前だという意識を持ち、それを忍耐して好機を待つことを知らなければなりません。


 過去の人類の歩みのなかでも、数々の人物が幸福を手に入れようともがきながら、結局その手をすり抜けるようにして幸福は逃げていってしまいました。幸福をつかんだ人でも、その背後には必ず多くの苦労と忍耐の時期があったのです。なんの苦労もなく、大きな成功を収めた人はほとんどいません。たとえ運だけで成功を手にしたとしても、そのような成功は決して長続きせず、そこから得られるものも皆無に等しいのです。苦労して、努力して勝ち取ったものであるからこそ、それが大きな価値のあるものとなり、永遠に忘れることのできない財産となるのです。


 アメリカのプロゴルファー、B・ジョーンズも次のように語っています。「人は敗れたゲームから教訓を学びとるものである。私は、勝ったゲームからは、まだ何も教えられたことがない」。この精神こそまさに勝利するもの≠ノ不可欠の精神であると言えます。


  偉人の言葉に学
  ぶ困難に勝つ法

 しかし、困難や苦しみは決して喜ばしいものではありません。それを避けようとするのは、人類に共通の感情であるとさえ言うことができるでしょう。だからこそ、そのような困難にどうやって対処していくのかが重要になってくるのです。ギリシャの哲学者エピストクレスは「困難は人の真価を証明する機会である」と言いましたが、このような言葉を語ることができるようになるまでには、多くの経験と忍耐が必要とされるでしょう。

 しかし、そのような経験を今から積まなくても、我々には過去の偉人たちが残していった遺産があります。歴史が様々な教訓を残してくれているのです。だから、過去において困難に打ち勝ち成功した先人たちの歩みを、我々は参考にしていけばいいのです。

 そこで、過去の偉人たちが困難に対してどのような意識で立ち向かい、克服していったのかを、その残された言葉の数々から探ってみることにしましょう。

 困難に打ち勝ち成功した人物として真っ先に思い浮かぶのは、聴力を失うという音楽家として致命的な打撃を受けながらも、数々の名曲を後世に残したベートーベンです。彼の哲学はこうでした。

 「優れた人間の大きな特徴は、不幸で、苦しい境遇にじっと堪え忍ぶこと」
 「最もすぐれた人々は、苦悩をつきぬけて歓喜を獲得する」

 この精神が彼に力を与え、それが今でも多くの人々を魅了する数々の名曲を産み出す原動力となったのでしょう。もしかすると、彼は聴力を失ったがゆえに、これだけ魂のこもった曲を産み出すことができたのかも知れません。 

 その他の偉人たちの言葉を挙げてみれば、

 「偉大な魂は、凡人から常に激しい反発をくらうものだ」(アインシュタイン)
 「苦しみと悩みは、偉大な自覚と深い信条の持ち主にとって、常に必然的なものである」(ドフトエフスキー)
 「天才とは強烈なる忍耐者である」(ゴーリキー)
 「我ら最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるたびに起きることである」(ゴースドスミス)
 「すべての不幸は、未来への踏み台にすぎない」(ソロー)

 このように、歴史に名を残すような人物は、みな等しく苦労と苦難の道を通過してきているのです。そして、それを克服することによって栄光を獲得しているのです。これらは彼らがみずからの人生の中で勝ち取ってきた、一つの「幸福を得る秘訣」であると言えるのではないでしょうか。

  信じる$Sと希
  望が好機呼び込む

 そしてもう一つ、今はたとえ苦しくとも、将来必ず好機がやってくるということを信じる$Sも必要です。この困難の峠を乗り越えれば、その先には必ず大きな幸福が待っている。そのことを信じることで、本当に幸福を呼び込むことができると、多くの宗教者は教えています。宗教者に逆境を乗り越えて成功した人が多いのは、彼らが信じる≠アとを知っていたからでしょう。

 現代は困難も多く、悩みも多い時であります。しかしだからこそ信じる≠アとを失ってしまえば、この世はまったく希望のない荒れ果てた砂漠と化してしまいます。今、人生の先輩たちの言葉の中から我々が悟るべき一つの教訓は、「勝利は最後まで堪え忍び、信じるものの上にある」ということでしょう。

 この精神をいつまでも忘れることなく、困難や逆境をうまく消化して、素晴らしい人生と味わいのある人格を築いていきたいものです。


                 (A・Y)
 

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