OB Special Interview

「日本の高等教育を考える会」

事務局長  小澤 行雄 氏(S22理卒)

家庭再建が先決 真のエリートの育成を


 (おざわ・ゆきお)大正14年2月生まれ。昭和22年9月東京帝国大学理学部地球物理学科卒業後、農林省科学技術庁の研究機関に就職。昭和59年3月、農水省野菜試験場施設栽培部長を最後に退官。同年4月から平成2年3月まで叶シ洋環境開発顧問に。また、昭和59年7月から財団法人日本宗教研究会理事兼会長を務めている。昨年7月「日本の高等教育を考える会」理事兼事務局長に就任。農学博士。



 戦後教育の見直しが叫ばれる今日、今の教育に戦前の旧制高等学校の長所を活かそうと活動している団体がある。昨年7月に発足し、今では1000名近い会員を持つ「日本の高等教育を考える会」だ。戦後教育の欠陥はどこにあるのか。昔と今では社会はどのように変化してきたか。また、今の教育に必要なシステムは何かなど、本学OBで「日本の高等教育を考える会」事務局長を務めている小澤行雄さんに話を聞いた。

3年前から準備して昨年発足

 ――小澤さんは「日本の高等教育を考える会」の事務局長をされていますが、この会の発足の経緯を教えて下さい。

 小澤 会の準備が始まったのは今から3年ほど前のことです。最初に担っていたのは旧制高等学校懇話会というところで、平成8年3月の懇話会総会で、旧制高等学校教育を今後に活かすのはどうしたらいいかという問題提起がありました。その提起をきっかけとして、同年8月3日に、松本市にある旧制高校記念館で「日本の高等教育を考えるシンポジウム」を行ったのです。
 これらの準備行動の上に、平成8年10月に設立準備会というのをつくり、設立発起人の選定、趣旨書の作成などをした上で、昨年の7月9日に創立集会を開いて発足の運びとなったわけです。

真のエリートは使命感強い人

 ――この会の目的はなんでしょうか?

 小澤 我々が意図していることは、別に旧制高等学校を復活させようということではありません。あくまでも日本の高等教育の改革が目的なのです。その中の大きな柱として、旧制高等学校の持っていた長所を、どうやって今の高等教育に活かしていったらいいかを考えています。
 具体的なものとして今取り掛かっているのが、指導者養成コースの再構築です。旧制高等学校の理念ははっきりしていました。それは言うまでもなく社会の指導者の育成です。そしてそのようなコースは、先進国と呼ばれる国ならどこでも持っているのです。フランスならハイクラスのグランドゼコール、アメリカならプリンストンやMITのような大学院大学や、ハイクラスのリベラルアーツカレッジがあって、そこを出た人たちが指導層を形成しています。
 この間フランスの話を聞いて非常にうらやましく思ったのですが、フランスでは大工のエリート、パン焼職人のエリートなどがいて、そういう人たちを社会が高く評価しているのです。そのような社会を日本も早く築かなければなりません。
 日本では東大を出て大きな会社に入ればエリートコースの人と言われます。しかしそれは間違いだと思います。エリートというのは決してある地位に対して言う言葉ではなく、その地位や身分に伴う使命感・義務感の強い人を指して言う言葉なのです。そういう本当の意味でのエリートを育てるコースというのを、日本に再構築したいと考えています。
 それからもう一つの大きな目標は、大衆化・普遍化している現在の日本の高等教育機関をいかにして活性化するかということです。
 大学進学率が同年次の40%を越えている現在、上述の指導者養成コースの再構築と並んで、これは高等教育を考える上で極めて大きな問題です。

他人の能力認め合うことが大切

 ――今の日本社会を見てどのように思われますか?

 小澤 戦後の社会の悪い点は何かというと、悪平等社会にしてしまったことです。
 人間というのは、人格においては平等であるけれど、やはり十人十色なのです。生い立ちとか、環境とか、本人の努力によって、自然と違いができてくるものです。
 それを何でもかんでも一緒だと。そういう教育をしてきてしまったのです。だから今競争と言うと、偏差値の競争しかありません。私の子供のころは、勉強はできないけれども、走ることにかけては誰にも負けない、絵を描くのが非常にうまい、あるいはケンカが強いなどの個性を持った人が多くいて、そしてお互いに尊重し合っていました。今のようにすべての尺度が偏差値にあったのではなかったのです。勉強が得意なやつもいれば、走るのが得意なやつもいて、お互いの能力を認め合っていたのです。
 人間はいろいろな個性があるのが当たり前なのですから、それをお互いに尊重し合うことが大切なのです。そして、その中には使命感の強い指導者がいて当然です。そういう指導者をみんなで盛り立てていくことが必要なのであって、それは差別ではないのです。また平等ということに反するものでもないのです。
 私が子供のころはいじめなんかも経験したことはありませんでした。もし、いじめのようなことがあれば、ガキ大将みたいのがやっつけてくれたのです。ある意味で小学校のころから団体生活というのをやってきたのです。みんなで協力し合っていたのです。
 それが特に最近になって家族が核家族化し、子供の数が減ることで、子供たちが団体生活をする経験というのが少なくなってきました。それが結局他人を思いやれない子供を生んでいるのではないかと思います。

本当の原因は家庭教育の欠如

 ――最近の青少年犯罪の増加の原因はどこにあるとお考えですか?

 小澤 これは家庭教育が無くなったことが最大の原因です。これは私たち自身の責任でもあると思います。というのは、仕事を一生懸命やるあまり、家庭を顧みることができなかったからです。敗戦直後でしたから、早く日本の経済を立て直そうと職場に付きっきりで、子供のしつけは100%妻に任せてしまったのです。これは本当に反省しています。やはり家庭の教育というのは、母親だけでもダメだし、父親だけでもダメで、父親と母親が協力してやらなければならないのです。
 それでもまだ私たちの世代には家庭での教育というのが少しはありました。それが今ではほとんど無くなってしまっています。家庭で基本的な教育を受けていないから、あのような子供たちが出てきてしまうのです。あれは学校の責任ではないのです。今の人たちは、何か不祥事が起こるとすぐ学校の責任にしたり、社会全体の責任にしたりします。しかしそれは違います。結局は自分の責任なのです。愛情を持って子供をしつけていくという、昔からあった家庭の習慣をもう一度取り返していかなければ、あのような事件は防ぐことはできないと思います。
 こころの教育と言っても、まず家庭を築きなおすということをしない限り、こころの教育などできないと思います。アメリカはようやくこのことに気づきはじめています。日本も早く気づいてほしいと思います。

「日本の高等教育を考える会」設立趣旨書

 戦後半世紀有余を閲した今日、わが国はかつてない混迷の時を迎えております。
 顧みれば、敗戦の廃墟の中から立ち上がった祖国日本は、総力を結集して復興に力め、世界第2位の経済大国と言われるまでに成長を遂げました。わが国の国際場裡における地歩はきわめて高く、その使命は重大であります。
 しかしながら、ここ数年来のわが国の国情を直視いたしますとき、私どもは政治・経済・文化の凡ゆる分野において、多くの憂慮すべき事象を看過することができません。日本の国運は急激な下降線を辿るのではないかとの不安も提起されております。
 このような情勢を招致した縁由は数々ありましょうが、最も基本的な要因の一つとして、私どもは戦後の教育とくに高等教育の在り方に想い到らざるを得ません。
 明治以来、私どもの先人たちは「国家百年の計は教育にあり」として、国民教育に深い思いを寄せ、さらに国家的指導者の養成に心を砕き、優れた高等教育体系を作り上げてまいりました。旧制高等学校はこの教育体系の中で独特のものであり、多くの試行錯誤を繰り返しつつも、国の命運を担う逞しい人士を輩出せしめる機能を果たしてまいりました。その教育のひとしく標傍するところは自主・自由の精神であり、自治・共同の実践にあったといえましょう。
 しかるに戦後の新制度における学校教育においては、教師を一般労働者とみなし、人間形成に著しく配慮を欠き、徒に個人主義的傾向を助長するとともに、社会・国家に対する共同体意識の欠如を来し、さらに偏差値重視のあまり自主的判断能力を失わしめるという嘆くべき現実を露呈するに至っております。
 今にしてこの教育の現状に根本的改革を加えるのでなければ、わが国の将来はまことに暗澹たるものと言わねばなりません。私どもは志ある者相携えて「日本の高等教育を考える会」を結成し、凡ゆる角度から高等教育改革の方途を考究して、その具体策の実現に邁進することを決意いたしました。
 すでに一部有志の人々は旧制高等学校懇話会等の組織を興し、真摯に教育改革についての論議を進めてこられたと承知しておりますが、私どもはこうした人々の長年に亘る業績を尊重して、その成果を活用させて頂くとともに、若い世代の人々の意見も傾聴しつつ、教育の現況を憂慮する大勢の方々のご参加を得て、在るべき高等教育の姿を追求して参りたいと思います。
 なにとぞ私どもの趣意をお汲み取り頂き、この会にご参加下さいますよう格段のご協力をお願い申し上げます。
 平成9年1月吉日
■連絡先■ 日本の高等教育を考える会事務局 
〒113-0024 文京区西片2-16-25 エスポワールアオキB03 
TEL 03-3818-6345