文部省科学研究費補助金重点領域研究「人間地球系」の成果報告会が6月11日、本郷安田講堂において行われた。「人間地球系」研究チームが目指しているのは、「総体としての環境」を考えたうえで個々の環境問題の解決を目指す方法論を考えるというもの。この日は、大学教授ら7人が講演し、参加者は約400人。大学関係者のほか一般人の姿も目立った。 |
まず、「人間地球系」総括代表の安井至・東京大学国際産学共同研究センター教授(センター長)が開会の挨拶を述べた。同代表は「『人間地球系』という研究は、平成5年度から9年度の5年間にわたり、文部省のほぼ唯一の大規模環境研究チームとして活動を行った。この研究チームが目指したことは、人間活動と地球とのバランスをもう一度考え直して、『総体としての環境』を考えたうえで、『人類社会の持続性維持』のために、個々の環境問題の解決を目指す方法論を考えるというもので、単に、技術的・科学的な研究だけではなく、社会システムヘの提案などを含むものを目指した」と語った。しかし、同代表は、環境問題の本質的解決は難しいという。解決に進むには「正しくかつ進歩的な意識を持った人々が、人口の1%以上存在していることが条件」とし、日本の「120万人の意識を変える」ことが必要と説いた。そのためには学会誌への投稿や一般図書の発行だけでは限界であり、「人間的なネットワークを作っていくことが最終的な解決への近道である」とし、「本日のシンポジウムがその起点になることを期待する」と挨拶を述べた。
最初の講演者は、本学大学院博士課程を修了後、本学助教授を務めたこともある農林水産省農業環境技術研究所・川島博之氏。同氏は「地球環境の変動と食糧供給危機」というタイトルで、来世紀におけるわが国の食糧供給危機について語った。
本学医学部OBで現在、大阪大学医学部教授の森本兼曩氏は「ライフスタイル・ストレスと環境・健康」と題し、不健康なライフスタイルからの脱出を説いた。
また、本学薬学部OBの内海英雄・九州大学薬学部教授は「科学物質の生物・環境への負荷を評価する」というテーマで、有害物質による環境汚染の恐ろしさを説き、その予防的対策を発表した。
最後に、代表の安井至教授が「技術による環境問題の解決と市民の役割」について語った(2面に講演の抜粋)。同教授は「マスコミが流すセンセーショナリズム的な環境情報だけではなくて、単行本や講演会、さらには、インターネットなどを活用して、正しい判断ができる市民を目指していただきたい」と主張した。
今春新設された大学院「新領域創成科学研究所」は16日、来年度の修士課程学生の募集要項を発表し、19日より配布を始めた。募集要項によると、受け入れ予定人員は全体で94人で、先端エネルギー工学専攻11人、複雑理工学専攻30人、先端生命科学専攻53人という内訳になっている。入試は専攻別に日程が分かれており、先端生命科学が8月18日から21日、先端エネルギー工学と複雑理工学複雑系実験系が8月25日から28日まで、複雑理工学複雑システム系が9月2日から4日にかけてそれぞれ行われる。合格発表は9月25日に一斉に行われる。
入試科目は、筆記試験と口述試験があり、筆記試験は一般教養科目、外国語、専門科目と3つの分野に分かれている。どの専攻も外国語は英語だが、一般教養科目、専門科目は専攻ごとに分かれている=表=。
専攻名 | 筆記試験科目 | 受入予 定人数 | |||
一般教育科目 | 外国語 | 専門科目 | |||
先端エネル ギー工学 | 数学,物理学 | 英語 | 小論文 | 11名 | |
複雑理工学 | 複雑実験系 | 数学,物理学,地球科学 から2科目選択 | 英語 | 小論文 | 30名 |
複雑システム系 | 数学 | 数理工学,計測制御工学,情報科学 (基礎的問題6問中2問を選択) | |||
先端生命科学 | 英語 | 小論文 | 53名 |
募集要項は本郷キャンパス工学部2号館内の新領域創成科学研究科学務掛で、平日の午前9時半から12時と、午後1時から4時までの間配布している。また、郵送での申し込みも受け付けている。郵送を希望する場合、切手390円分を貼った返信用封筒(A4用紙が入るもの)に、住所・氏名を明記し 〒113-8691 東京都文京区本郷7-3-1 東京大学新領域創成科学研究科学務掛(封筒の表に「募集要項希望(志望専攻名)」と朱書きのこと) まで郵送。問い合わせは03-3812-2111(内線8810〜8811)まで。なお、ホームページ(http://www.k.u-tokyo.ac.jp)でも案内を行っている。
キャンパス情報 |
歴史は語る(22) |
――選挙制度を中心に――
初期は政府による選任 「沢柳事件」契機に選挙へ |
前回は、「総長」という呼称が、「綜理」や「総理」という名を経て出てきたことを述べた。今回は、「総長」の選挙制を中心に見てみる。
今から考えれば、「総長」を選挙で選ぶということは当たり前のように感じるかもしれないが、昔はそうでなかった。総長の選任は政府によって行われていたのである。具体的に言えば、加藤弘之氏や渡辺洪基氏を任命したのは森有礼文部大臣(当時)や、伊藤博文首相(当時)だったのである。
東京大学で総長選挙が実現したのは、1918年(大正7)7月、山川健次郎氏が教授全員の選挙で選ばれた時だった。
ところで、実質的に学内推薦の総長を一番早く獲得したのは京都帝国大学なのである。有名な「沢柳事件」の後であった。この事件は、1913年、文部大臣の任命で京都帝国大学に赴任してきた沢柳政太郎総長が、医・理工・文の各分科大学教授7人に対し名指しで辞表の提出を求めた事件である。当然、各教授たちはこの総長の決定に対して強い反発を起こした。そして、「教授の任免を分科大学教授会の意向を抜きにし総長がとり計らうことは大学の自治の観点からして不当である」という学内世論がわき起こり、法科大学教授助教授全員の辞表提出にまで発展してしまった。
そこで、東京帝国大学法科大学の穂積陳重氏・富井政章氏の両教授が調停役になり、奥田義人文部大臣(当時)との話し合いが行われ、「教官ノ任免ニツキ、総長ガ其ノ職権ノ運用上、教授会ト協定スルハ差支ナク且妥当ナリ」という覚書を取り交わすことで決着した。
この事件以降、大学の意向ぬきの総長選任は揺らぎはじめたのである。そして、それは東京帝国大学にも多大な影響を及ぼしたのであった。
1918年6月29日付で、帝国大学制度調査委員会は「総長推薦ノ件」「学長推薦ノ件」の2項を、山川総長の手をへて岡田良平文部大臣(当時)に上申し、総長任命は「推薦ニヨリ選任トスルコト」「推薦ハ教授全体ニテ直接選挙トスルコト」などをはっきりと提言、学長(学部長)についても教授互選を申し入れた。これに対して、臨時教育会議でも特段の議論は行われなかったようで、むしろ「選挙」を肯定するような記録しか残っていないという。
そして1919年7月、東京帝国大学は「総長候補者選挙内規」を制定し、文部大臣に上申。これに基づき各学部教授が投票を行った。そして、山川健次郎氏が改めて選挙制による初の総長候補に推薦されたのである。
最後に、この総長選挙で極めて珍しいことが起きたのでそれを述べておく。それは1988年(昭和63)2月、理学部の有馬朗人教授と教養学部の本間長世教授が、決選投票で586票対586票と同数になったのである。そして、「くじ引き」が行われ、有馬朗人教授が総長に選ばれたのであった。
実は、この「くじ引き」はきちんと成文化されている。「東京大学総長選挙選考内規」(1949年11月1日評議会議決)のなかに、候補者がだんだんに絞られて決選投票に残る2人を決めるとき、最終予定者を決めるときの二段階において「得票同数のときは、くじで決める」と明記されているのである。
(参考 『プロムナード東京大学史』 寺崎昌夫著 東京大学出版会 1992年)
梅雨に入って雨の多い日が続いている。「毎日雨ばかりでやーねー」というクラスメートの声が聞こえてくる。確かに梅雨は洗濯物も乾かないし、じめじめしてすっきりしない▼高校生の時、電車とバスを使って学校に行っていたが、梅雨になると電車の中は混雑するし、むしむししていて、汗をべっとりとかくし、制服はぬれるし、いやなイメージばかりだった。でも、最近になって考えが変わった。梅雨もいいなあと思うようになった▼学校に行く途中に、あじさいの花が咲いている所がある。あまりの美しさに思わず足を止めてしまう。あじさいは静かにしとしとと降る雨と深まった緑の中にあるからこそ、こんなにも映えるのだなあと思う。雨と深い緑とあじさいの組み合わせは何ともいえない。一体誰がこんな組み合わせを考え出したのだろう?そんなことを考えていると、心が和んできて、今日も一日がんばろう!という思いが湧いてくる▼この間、傘を持たないで学校に行ったら、帰るときになって雨が降り出してしまった。いつ止むか見当がつかなかったので、仕方なくぬれて帰ることにした。外に出る瞬間、ちょっと勇気がいった。でも歩き始めたら結構気持ち良かった。雨と友達になったような気がした。もう家に帰るだけだったので、髪の毛や服を心配する必要がなかった、ということもあるだろう。それにしても、初めて雨に打たれる気持ち良さを味わい、雨の温かさを感じてうれしかった▼日本には四季がある。移り変わる自然は私たちを飽きさせない。そんな自然を見ていると、日本に生まれて良かったなあと思う。毎日忙しく生活していると、なかなか外に眼を向ける心の余裕も無くなってくる。でもそんな時にこそ、ちょっと外に出て自然と触れ合ってみたい。もしかしたら、そこから新しい世界が広がってくるかもしれない。