三国志漫話

宇佐 祁 (平成10年理卒)

序 「三国志」までの成り行き

 「漫話」とは雑談のことである。これから中国三国時代の話、つまり三国志の話について、「漫話」したいと思う。その前に「三国志」が生まれるまでの文学史を簡単に紹介する。

中国史上に生まれた文学作品

 中国4千年の歴史から、さまざまの文学作品が生まれた。唐(618〜907)までには詩が流行り、文学史ではこれを「古風」という。有名なのは「詩経」「離騒」等。唐の時代から古風を格律化し、一行五文字の「五言詩」と七文字の「七言詩」として確立した。これを「唐詩」という。有名な詩人は李白、杜甫等。五代(907〜975)、宋(960〜1279)時代は、詩に音楽を付けた。もっぱら音楽は詩のために作られ、詩人は詩を書く前にまず使う楽譜を選ぶ。そういう楽譜のことを「詞牌」という。「唐詩」も「宋詞」に変名された。有名な詩人は蘇軾、辛棄疾等。それから歴史上有名なモンゴル帝国(1271〜1367)が中国を支配し、異なる民族にも分かりやすい文学作品が要求されるようになった。その時「詞」の代わりに「曲」が生まれた。これを「元曲」ともいう。「曲」は基本的に「詞」に似ているが、話言葉をつかい、より分かりやすい。ある意味で、歌に近いものである。長編のものは数人で演出するものもあり、まるで「東洋オペラ」である。「曲」のことは「劇」と呼ばれたりもする。有名な「曲」は「西廂記」などがある。モンゴル帝国が崩壊し、明(1368〜1644)、清(1616〜1912)時代に大衆文学小説が流行り始めた。4大奇書といわれるのは「三国志」「紅楼夢」「西遊記」と「水滸伝」である。いずれも多くの言語に翻訳され、世界中に伝わっている。これらの小説は古代中国の政治、経済、軍事、宗教、皇室、民衆生活風俗を包羅し、中国の古代社会の縮小図であるといえる。

「年寄りは三国志を読むな」

 中国では「年寄りは三国志を読むな、若者は紅楼夢を読むな」ということわざがある。「紅楼夢」は貴族一家の崩壊を描いているので、これから家を建てる青年に向いていない訳である。逆に「三国志」では劉備、孔明を筆頭に、漢王朝の復興をめざし、結局願いを遂げられずに終わった。のんびりと晩年を暮らそうとする老年にはあまりにも大きく衝撃を与える訳で、向いてないのである。
 「三国志」は漢末(約AD180ごろ)から晋の発起(AD265)までの歴史を背景に、当時の軍事、文学、政治、経済を生々しく描いた。中国文化の影響を大きく受けた日本ではいずれも人気がある。
 「三国志」というのは中国では「三国誌」と「三国誌通俗演義」がある。前者は晋の歴史家陳寿が書いた歴史書である。魯迅(1881〜1936)によって、「24史」に編入されている(中国歴史を研究するための24部公式書)。後者は明の羅貫中が書いた小説である。日本でいう「三国志」は後者である。

兵隊だった原作者 羅貫中

 なぜ三国志はいまだに人気があるのか?
 一番大きな理由は、若者が好きな戦争物語であるからであろう。中国では戦争の小説は「三国志」以外にも数え切れないほどある。中国の歴史では幾度も国が統一されたり、分裂されたりする。統一に向かっての歴史には英雄も多く現われ、小説も多く書かれている。有名なのは周王朝の建国を描く「封神演義」、漢王朝の建国を描く「楚漢春秋演義」(日本では「項羽と劉邦」として知られている)、三国時代の「三国志」、唐帝国の建国を描く「説唐」、宋の建国を描く「楊家将演義」、そして最後の王朝清の建国物語「李自成演義」等々。その中で「三国志」ほど人気があるものは一つもなかった。一般的な戦争小説は大体何人かの英雄、猛将がいて、彼らがいれば戦争も勝つという展開になりがちである。小説家の多くは軍事家ではないゆえ、戦略戦術を知らないからである。
 「三国志」原作の著者は羅貫中である。彼は明末の人間で、清と明の戦いに参加していた。彼は小説家になる前に兵隊に10年ほどいたのである。明が滅ぼされた後、施耐庵(「水滸伝」の著者)を師に文学に転向し、みずから実戦で習った経験を生々しく小説に書き込んだ。

軍事才能が活かされた小説

 「三国志」の小説もののネタは大体三個所から集められる。歴史書の「三国誌」、唐の時代から流行ってきた詩詞歌劇、そして民間の伝説である。「三国誌」は正史であり、本当にいた人物、起こった事件しか記述されていない。事件と事件のつながりがなく、歴史書なので、文学性も全くない。詩詞歌劇と伝説は逆に文学性はあるが、歴史の証拠がないものが多く、中に正史と矛盾するものも多くある。それを統合するのは至難のわざである。完璧ではないが、羅貫中はそれらのネタをうまく収集し、小説の連関性をのぞむため歴史書に欠如した部分を自ら書き上げた。そしてなんと言っても彼の優秀な軍事才能がことごとく現われていた(注1)。「三国志」の軍略は他に比べられないほど「現実性」がある。大将や兵士の数だけではなく、策略、進路、兵糧等さまざまの面で戦いが展開されるのだ。

三国志人気は多方面にわたる

 「三国志」は人気があったため、小説にとどまらず、中国では「連環画」(注2)、テレビドラマ(注3)、映画などが作られ、日本では漫画、アニメ、戦略ゲームソフトが数多く作られている。
 三国志は戦争だけではなく、政治、経済、文学など多くの面からその時代を描いた。この連載では、社会、戦略、人物など、テーマごとに三国志の世界とその魅力を紹介していきたい。第1回目は「三国の君主たち――戦争時代に生き残る秘密は?」というテーマでお送りする予定。お楽しみに。
 (第1回は9月5日号掲載予定)

 注1:「水滸伝」120回本の70回以降も羅貫中が執筆したものの、施耐庵が執筆した前半と思想的に違いがあり、それほど評判が良くなかった。
 注2:「連環画」とは中国独特の漫画形式で、日本の漫画と比べると絵はもっと大人向けに描かれ、ギャグなどほとんどない。通常A6サイズにして、一コマずつに簡単な文字解釈が入る。まるで字幕映画のようである。「三国志連環画」は全60巻あり、1巻はおおよそ150〜250コマぐらい。日本語訳は1995年中央公論社より出版されているが、印刷部数が少ないため、あまり知られていない。
 注3:三国志の大型テレビシリーズが1995年に完成され、全八十数回もあり(各回45〜50分)日本語字幕ビデオは(株)中国映像より発売されている。


ドクター中松 新発明発表

環境ホルモン絶滅発明

新発明「ムカンホ」を発表する中松博士
 6月30日、本学OBの発明王中松義郎博士が70歳の誕生パーティーで「環境ホルモンを絶滅させる」発明を発表した。環境問題が深刻な時だけに、テレビ局をはじめ多くの取材陣も駆けつけた。
 パーティー会場はホテルニューオータニ「鳳凰の間」。約400人が中松博士の古稀のお祝いの場に集まった。
 この日のパーティーに、アメリカのテレビ局のノイマン氏が元大リーガー、ミッキーマントルからのプレゼントを持って駆けつけた。ノイマン氏は「ドクター中松をアメリカのテレビ番組でさらに有名にしていきたい」と祝辞を述べた。また、サンディエゴ大学教授のマルガリータ・ポンス博士もこのパーティーのために日本にやって来た。彼女は「すべてのアメリカ人がドクター中松に会いたいと思っています。代表として私がやって来ました」と祝福した。
 つづいて中松博士が新発明を発表した。今回の発明は「ムカンホ」というもの。「ムカンホ」とは、「無環境ホルモン」の略で、これをカップラーメンや焼酎ボトル、ビールビンなどに応用し、今問題となっている環境ホルモンを絶滅させることができるという。環境問題がクローズアップされている時だけに、タイムリーな発明として関係者の注目が集まりそうだ。
 中松博士は本学でも「創造学」という新しい分野の講義を行い、大学界にも旋風を巻き起こしている。
 今後についても、「2000年の1月1日には新エネルギーの開発について発表します」と抱負を語り、発明意欲の衰えるところを見せない。