第24代 有馬 朗人

史上初の「くじ引き」総長

 史上初の「くじ引き」で決定した総長として有名な有馬総長は、原子核物理学の権威だが、俳人としても有名である。
 有馬総長は昭和5年9月13日、大阪市生まれ。東京大学理学部物理学科卒。東京大学原子核研究所助手を務めた後、東京大学理学部講師、助教授を経て教授に。56〜57年日本物理学会会長、56〜60年東京大学大型計算機センター長を歴任し、62年春から総長特別補佐として、大学院重点化構想の旗振り役を務めた。そして平成元年(1989年)、第24代総長に就任。
 総長選挙は激戦であった。予備選挙で5人の候補(有馬朗人、本間長世、猪瀬博、宇沢弘文、松尾浩也)が争ったが、2日後の投票で過半数を獲得した候補者がなく、上位2人の有馬教授と本間長世・教養学部教授が決選投票。得票が同数の586票だったため、くじ引きの結果、有馬教授に決まった。くじ引きで総長が決まったのは、120年の東大の歴史で初めてであった。
 就任直後「貧弱な教育、研究環境の改善を進めたい」と強調し、そのために尽力した。
 平成元年6月から国立大学協会長にも就任。日本の大学の研究費があまりにも少なすぎることを嘆き、大幅に増額することに努めた。留学生の受け入れにも腐心し、三鷹国際学生宿舎を造った業績は大きい。
 また、有馬総長時代のできごととして、平成3年3月、東大紛争以降実施されていなかった全学卒業式が24年ぶりに復活。前年改修を終えたばかりの安田講堂で、有馬総長が卒業生たちに告辞を述べた。
 総長退任後は中央教育審議会会長の大役を務め、大学への「飛び入学」制度を導入した。
 有馬総長は理論物理学者として多くの功績を残し、数々の受賞を受けた。昭和53年、「原子核の集団運動の研究」で仁科記念賞、。昭和59年、グラスゴー大学名誉博士。昭和63年、「原子核の構造理論の解明」で西独フンボルト財団からフンボルト賞。平成2年、ウェザリル・メダル。平成3年、ドイツ功労勲章功労大十字賞。平成4年、オランダのオラニエ・ナッソウ勲章。同年、ドレックセル大学名誉博士。平成5年、「原子核の力学的模型と電磁相互作用の理論的研究」で日本学士院賞。平成6年、オランダのフローニンゲン大学名誉博士号。
 主な専門書に『科学の饗宴』『原子と原子核』など。
 現在は理化学研究所理事長。俳人としても知られ、学生時代、工学部教授の山口青頓氏に師事。昭和63年、第三句集『天為』で俳人協会賞受賞。現在、国際俳句交流協会会長を務めている。句集に『母国』『知命』などがある。
 平成10年7月、参院選比例区に自民党名簿1位で立候補し、当選。政界での活躍も楽しみである。


材料工学科研究生

アルメル・フコさん(仏)

アルメル・フコさん

面白い研究が
できるところ

 フコさんの研究は主にセラミックスなどの材料工学の分野。将来は、現在学んでいる専門の分野を生かした仕事に就きたいと目標を語る。
 サッカーの話題になると、ワールドカップでフランスが優勝したことがとても嬉しかったと喜んでいた。日本のテレビ中継は明け方であったが、さすがに試合終了まで全部見ていたという。フランス対ブラジルは3対0でフランスの圧倒的な勝利のように思えたが、フコさんによれば試合が終わるまで勝負は判断できなかったそうだ。
 日本へ来ようとしたきっかけは、日本の言葉や文化、考え方に興味を持ったから。フランスも個性的だけれど、日本もかなり個性的に感じるそうで、いろいろと学んで行きたいと思っている。
 東大に来て感じたことについて、「大きくて広いけれど、本当に古い感じがします。それにキャンパスとキャンパスが全部くっついてなくて、キャンパス内でも学部ごとに建物がくっついてないから、特別な感じがします。でも、研究内容によっては本当に面白い研究が出来る所だと思います。学生が自由に好きな研究を選んで出来るからとても良い」と話していた。
 最近は、日本やアジアの経済の事が気になっているらしい。でも、日本にいると、周りの人はあまり気にしていないようにも見えるようだ。「新聞とかでは大きく取り上げられているけれど、みんなは普段から忙しそうにしています」と。また、青少年の問題については「簡単には、解決できない問題なので、家族やみんなで真剣に考えなくてはならない」と語っていた。

アルメル・フコ
 フランスのエコールソントラルパリエンジニアリングスクール出身。
材料工学の研究生として1997年9月に研究生として日本へ留学。