石川正俊助教授ら

高速で動く物体とらえる半導体チップ開発

 本学工学系研究科の石川正俊助教授のグループは、高速で動く物体を1000分の1ミリ秒ごとにとらえて追跡できる半導体チップを開発した。今後、ロボットの視覚センサーや自動車の衝突防止センサー、半導体検査装置など幅広い用途があるという。
 「超並列ビジョンチップ」と名付けられたこの新素子は、指先に載る大きさの「デジタル人工視覚」と呼ぶマイクロプロセッサーが64個搭載されている。デジタル人工視覚は、人間の視覚細胞と脳が持つ画像処理機能を併せ持った新しい素子で、光センサーとさまざまなプログラムが入力できる演算装置からできている。
 既存の視覚センサーでは、CCDなどでとらえた画像データを処理装置に送り出す仕組みで、データ転送速度である30分の1より速く動く物体はとらえられない。
 新素子は光センサーと画像処理部を一体化することで高速に動く物体をとらえることを可能にした。
 石川教授らは現在、より解像度を高めるため、デジタル人工知能を4096個搭載したチップの開発に取りかかっている。


本学地震研など

人工地震で地殻調査

 岩手から秋田県にかけての地殻構造を調べている本学地震研究所、東北大など全国15の大学と気象庁、地質調査所などの合同観測チームは8月3日、岩手県内で4日から人工地震を利用した本格的な地震調査を行うと発表した。
 合同調査は昨年10月に始まった。今回は花巻市など岩手県内13所にダイナマイトを仕掛けたり、地震に似た振動を起こす車(バイブロサイス)で人工地震を起こし、約1000個の地震計で計測する。人工地震の揺れを解析して、地震活動と密接に関係する活断層の広がりや地中深部の構造を調べるという。来年春をめどに、地殻の組成などを描いた「地下地図」を完成させ、防災対策に役立てたい、としている。
 観測の中心は、1896(明治29)年の陸羽地震(M7.2)で現れた奥羽山脈付近の千屋断層を含む、岩手県沖から秋田県沖の東西約150km。地下で千屋断層につながる、岩手県側の北上低地帯西縁断層系の地下への広がりなどを調べる。


■ 評 伝 ■

日韓友好親善の架け橋(下)
―金山政英氏の軌跡と業績

韓国の芸術文化を日本に紹介

 次に遭遇した問題は、1970年3月に勃発したよど号ハイジャック事件をどう解決するかであった。羽田空港を飛び立った福岡行きの日航機よど号が、赤軍派9人にハイジャックされた。犯人は「北朝鮮に行け」と脅迫したが、石田機長は「北朝鮮に行くには燃料不足」として、いったん福岡空港に着陸、給油後、老人、女子供23人を降ろして離陸した。犯人にソウルと平壌を誤認させる作戦を敢行して、韓国・ソウルの金浦空港に非常着陸した。犯人たちはそこが金浦空港であることに気がつかないようだった。いかに事態を収拾すべきか、韓国政府の首脳たちは苦慮していた。その時、朴大統領(当時)が断を下した。
 「ここは平壌ではなく、大韓民国の首都ソウルであるという事実を知らせて犯人を説得し、乗客を降ろすことに同意すれば、飛行機はどこに行ってもよい」「もし最後まで犯人達が説得に応じず、乗客の生命に危険があれば、日本政府が責任をもって乗客とともに飛行機をどこにでも飛ばすようにしろ」。
 この朴大統領の指示を受けて、金山氏は人質の解放に全力で臨んだ。説得は2日間続いた。鬼気迫る金山氏の言葉に動かされたのか、犯人は説得に応じ、山村新治郎運輸政務次官を交代の人質として乗客は全員解放された。ソウルを離陸したよど号は、犯人を北朝鮮に降ろし、羽田空港に帰った。

日韓文化交流協会会長時代

 1972年3月に外交官を退官した後は、日韓の友好親善に努めた。1982年12月には日韓文化交流協会中央会会長に就任。日韓の友好親善を推進するには、まず多くの日本人が韓国を正しく理解することが重要だとして、定期的に文化交流訪韓団を派遣、その回数はこれまで160回に及び、延べ参加人数は2万人を超えた。
 優れた韓国の芸術文化を日本に紹介するため、韓国の代表的な少女民族舞踊団リトルエンジェルスや、「踊る東洋の真珠」とソウル新聞(1996年12月21日付)に絶賛されたユニバーサルバレエ団を日本に招聘、全国各地で毎年公演活動を行い、数万の人々に感動を与えた。
 第二次大戦中、日本軍によってサハリンに連行されたまま帰還できない韓国人男性の妻たちのために、無料で入れる老人ホーム・大昌養老院の建設に協力した。その建設費の大半は、金山氏自らが経団連や大手企業を訪問して集めたもので、総額は約1億1千万円に達した。
 1993年5月、金山氏は落成式後の談話の中で、老人ホーム完成の喜びをこう語った。
 「ただ良い目的だからといって盲信しただけでは出来ないのであり、善意の人たちの協力が必要であると思います。今後の老人ホームの設立には、そういう意味において、理想的な成果が得られたと考えます」。
 金山氏は善意に満ちた人だった。人のため、国のために生きた人だった。金山氏の遺徳は末永く人々に記憶され、その名は歴史に残るであろう。

  ◆       ◆       ◆       ◆       ◆

 金山政英氏の軌跡と業績をまとめた小冊子「日韓友好親善の架け橋」が刊行されました。希望者にはお頒けします。問い合わせは日韓文化交流協会、TEL 03-3331-4784 まで。 (日韓文化交流協会広報室長 浜中敏幸)