赤門ひろば |
東京裁判(戦勝国史観が出発点の裁判を装った復讐劇)を題材にした映画『プライド 運命の瞬間』を感銘深く観た。『もののけ姫』や『タイタニック』も話題となったが、製作・配給元の東映によれば「観客動員数も120万人を超え、本年度邦画の興業成績は第1位になるだろう」という。
日本には日露戦争の記述にも東郷平八郎はなくて幸徳秋水や与謝野晶子しか姿を見せぬ偏向教科書や自虐史観がはびこり、「木が沈み石が浮かび」正義が不義に詫びる価値観の転倒した「退廃の季節」となったが、この濁世に清流を流した加瀬英明製作委員会代表や制作費20億を出した中村功氏の功績は正に「殊勲甲」である。
案の定、中国外交部が鑑賞もしない映画を非難した。村山元総理が北京に飛び、李鵬委員長に「日本政府はそのような考えは持っていません」と弁解したそうだ。「日本は中国と違って表現の自由があり、各種の書物も出版され、映画も作られます」くらいのことは言ってほしかったと加瀬氏は語る。吉田・岸・佐藤・池田・福田・大平諸氏等硬骨の元首相は口が裂けても中国や韓国に詫びることはなかったのに最近の小粒首相の軽挙妄動は情けない話だ。
映画の反響は大きく『産経新聞』(6月27日付「映画プライドのメッセージ」西義之東大名誉教授)が紙面を飾り、同紙7月5日付に豊田昌靖氏の反論「まず東京裁判否定から始まる」が載り、さらに同紙7月9日付には西義之氏が「豊田氏の反論にお答えする」再主張が踊り、同紙7月6日付には岡崎久彦元駐タイ大使も「映画プライドの印象」を寄せている。ドイツのシュピーゲル誌は3ページに亘って酷評、『朝日』『毎日』は反対だが、朝日系の『アエラ』は同情的で、安保闘争の前年、社会党が米・帝国主義は日中共同の敵と声明した昭和34年、新東宝が『大東亜戦争と国際裁判』という映画を作り、大ヒットで左翼方面からは「逆コース」として非難されたことがあるが、唯一のフィクションは立花泰男(大鶴義丹)の青年だけで、史実に基づいたという『プライド』は世の濁流の流れを変えるだろう。私の母(平成4年11月4日付本紙に「済南病院での懐しき日々」を執筆)は済南病院で中国人の赤ちゃん500人を取りあげて中国人から慈母観音のように慕われ、排日運動が激しくなった時にも中国服を作ってくれ、「これを着ていらっしゃい。排日運動もアメリカからのお金が切れれば止みますから」というのが実情で、人道とか正義を旗印の米国もそんな一面があったのである。自らを「中華」と稱し、「東夷・西戒・南蛮・北狄」と呼ぶ中国も補償や日本の教科書にまで干渉するが、日本は当時蒋介石と戦ったのであって八路軍や人民解放軍ではない。侵略云々まで主張するが自らの内蒙古やチベットへの干渉は何なのか。
戦前は佐佐木信綱作詞・文部省唱歌「水師営の会見」がよく歌われた。全部で9節あり「旅順開城約成りて、敵の将軍ステッセル、乃木大将との会見の、所はいずこ、水師営」に始まり、「昨日の敵は今日の友、語る言葉も打ちとけて我はたたえつかの防備、彼は称えつ我が武勇」と続き、「両将昼食共にしてなおも尽きせぬ物語…」「さらばと握手ねんごろに別れて行くや右左、砲音絶えし砲台にひらめき立てり日の御旗」とあって、どこを見ても東京裁判のようにステッセル等主脳部を絞首刑に処す、東京裁判的リンチはない。
日本の国技・相撲も戦うのは土俵の上で、勝負がつけばライバルに手を貸して引き上げてやる。一方、ボクシングはダウンしても「ワン・ツー…」とレフェリーはくたばるのを数える。合気道創始者・植芝盛平は「武道の極致は愛だぞ」と言われたが、侵略などとは異質の日本人の性状が彷彿するようだ。
20世紀はもう終わるが、同世紀中に人類に起こった最大の出来事は「科学技術の発達とか労働者の消費者への転向など多くの答えがあろうが、日本が戦わなかったならば人種平等の世界は20世紀中には来なかったことだ」と加瀬氏は力説する。今年はヴァスコダガマがインド航路を発見し、西洋がアジア・アフリカ諸民族を支配して500年目だ。20世紀に入って日本が日露戦争に勝ち、先の大戦を戦い5世紀に亘って白人による植民地支配を打倒した。伝説のフェニックスは500年に1度その身を火に投じて新しき生命を把握するというが、この『プライド』の上映こそその500年目の新天地を創る契機となるであろうと私は堅く信じて疑わない。
(H・Kさん)
本書は、月刊誌『黙』に「茶道・一期一会」「茶の湯心得」というタイトルで3年半にわたって連載された記事を加筆、再編集し、章ごとにまとめたもの。著者の原啓次郎氏は本学法学部OBで、卒業後ビジネスマンとして活躍、現在、経営教育コンサルタントとして幅広い活動を展開している。その一方で77年、裏千家馬場宗幸先生門下に入門、90年紋許および茶名「宗啓(そうけい)」を授与されるなど、茶の湯の稽古にその身を注いできた。この書はそうした経歴を持つ著者が、「茶の湯」と「ビジネス」双方に関連した書物をという要望に応えようと書き綴ったものである。
一般に「茶の湯」あるいは「茶道」という言葉を聞くと、女性が嗜むものというイメージがある。実際、茶道人口の99%は女性だともいう。かくいう著者も男の人がなぜ茶の湯を始めたのか、という質問を幾度となく受けてきたという。しかし本書を読み進むに従って、茶の湯が主に女性のための「礼儀作法」習得の手段という一般的な認識から、より普遍的な「こころ」の鍛練のための道へと通じているのだと認識を転換させられていく。さらにビジネスを通過した筆者らしく、茶の湯は日本古来の「もてなしの文化」といわれるが、それを「茶の湯は日本古来のCS(顧客満足度)の文化である」というマネージメントの言葉に置き換え、茶道に対する新たな視点を提供している。加えて、茶道の起源や分派の歴史やそれにまつわる興味深いエピソード、茶道に見られる日本人の感性や稽古と教育の意味など、非常に豊かで普遍的な内容を含んでいる。
なお8章からなる本書の各章には、漫画による「茶の湯心得」をはじめ、禅語の解説、茶道Q&Aがついており、非常に分かり易い構成となっている。茶の湯、茶道にまったく無縁だった人、特に男性は非常に近付きやすい書と言えよう。
(F)
(黙出版、本体1,300円)
国連の推計によると、世界人口は2025年には85億人、そして21世紀の半ばには、いよいよ100億人に達するという。本書では、その人口問題を踏まえて、人類の生存のために克服しなければならない環境問題や食糧問題を取り扱っている。
例えば、「第1章 ヒトは反地球型生命体か」(綿抜邦彦)、「第3章 危機に瀕する『土壌』―地力の回復と保全をどうするか―」(松本聰)、「第5章 世界を養う作物」(山口彦之)などである。
また別の表を借りれば、今日の「トリレンマ問題」の現状を把握し、その克服の道を模索するものである。すなわち、3E問題とも言われる「エネルギー」・「環境」・「経済」の調和的発展をいかに実現していくかをテーマとしている。
人間地球圏の持続可能な発展のためには、科学技術のブレークスルーが必要であることは間違いない。しかし、本書でも指摘されているように「顔のみえる関係、相互に関心と責任をもつ関係を構築していくこと」(土屋智子)も不可欠の要素であろう。いずれにせよ、私たち一人ひとりの問題であり、明るい未来にできるか否かは、私たちの選択にかかっている。
そのような中で、農学生命科学の問題を総合的に把握し、またその解決の方法を考察するにあたり、まさに格好の本と言えるだろう。
(Y)
(農林統計協会、本体2,000円)
世界の多くの国が不況にあえいでいる中、今一番安定した国力を保持しているのはアメリカである。しかしそんなアメリカ社会も、幾多の病弊によって侵された病んだ社会≠ナあることに気付いている人は少ない。この書はその病弊を明らかにしている。
著者が掲げる問題提起は実に多岐に亘っており、政治、社会、宗教、科学、工学、医療などあらゆる分野に対し厳正な態度で検討、批判を加えている。中でもこの書を一貫して流れている信念は、拝金主義に対する警告である。今日の社会全体が一刻も早く拝金主義から脱却し、真の神を悟らなければならないと筆者は声を大にして訴えている。また医者としての立場から、アメリカの保険医療制度に対しても厳しい批判を投げかけている。医者としての体験から語られるその内容は実に説得力があり、危機感を抱かせる。ここに書かれた内容は決してアメリカ社会だけに当てはまる問題ではなく、我が国の社会にも、そして世界中の国々に当てはまる内容だと言えよう。
筆者は医学博士であり、哲学博士でもある。それゆえ宗教的色彩の強いこの書の中にも、医学博士らしい科学的思考法が所々に導入されている。例えば紀元前600年にゾロアスター教、ヒンズー教、仏教、儒教、道教などの東方宗教が同時発生したが、それが偶然起こり得る確率を計算したうえで、その根本原因としてユダヤ人の東方移動があったことを説明している。また他の章では、ダビデの子孫が世界のどこからでもあらわれ得ることを証明するために、ダビデの遺伝子を数学的な計算によって追跡している。
この書に書かれている内容はたやすく信じられることではない。しかし数学的思考法、科学的証明から導き出されたその結論に対し、明確な反論を投げかけることができるものは少ないだろう。
さらにこの書は、やみくもに現代社会の問題を提起することで終わることなく、それに対し真の世界平和を実現するための緻密な世界秩序の構想を提案している。民族紛争、宗教戦争終焉の兆しすら見えない現代に、この書は一つの解決の道を示してくれる。(A)
(新日本公法、本体4,600円)