ホームページ紹介 Vol.36 |
体操部は、駒場のトレーニング体育館を中心に活動している。部員数は、3年生11人、2年生6人、1年生6人の合わせて23人である。
体操というと、テレビなどで見て「俺には無理だ」と思う人も多いだろう。でも、体操部の新入生向けの案内では、「そんなことはない」と書いてある。
まず初心者は、倒立やスイングなどの基本から始める。それから、前方転回や蹴上がり、宙返りや車輪を練習していく。経験を積めば、新しい技ややりたい技にどんどん挑戦していくことができる。
体操の醍醐味について、新入生向けの紹介文にはこう書いてある。「新しい技ができたときの感動というものは絶大なものです。これを味わったら否が応でも体操にはまります」と。
練習は、週に5日。年間行事としては、6月の東日本インカレ、8月の七帝戦、8月の全日本インカレ、9月の秋合宿、10月の10大学対抗戦などの試合があり、秋と春には合宿も行っている。戦績としては、今年8月の七帝戦で優勝するなど、目覚しい活躍をしている。
ホームページには、部員一人一人の紹介や、試合の得点表、近況報告、掲示板などが載せられており、体操部について詳しく知りたい人はぜひ参考にするといいだろう。
断片化された政治の下では万能の問題解決の用具なし |
現代アメリカ社会は、日英とならび世界で最先端に位置するポスト産業社会に属する。その特徴は、社会変革を促す技術革新の基盤を構成する理論的知識と材料科学との一体化した合成体の成立、コンピューターによる線形計画法、マルコフ連鎖、確率過程などを基層とし新たな数学的・経済的技術の開発・応用による経済的・工学的諸問題の能率的・合法的解決を目指すシミュレーション、システム分析、意志決定理論などの新知的技術の創造、知識階層の拡大を意味する賃金・地位階統制における古典的職業配分図のピラミッド形から菱形への転換であるHereford to Brahman syndromeの出現、財貨生産経済から用役給付経済への移行、人対人の間のゲームである労働の変質、婦人の社会・経済・政治上の役割の伸長と自立の達成、調査研究業務の官僚制化・国家の指定目標への知的探究の従属・功利的見地からの成果の評価などと縦横に錯綜するimageとしての科学の確立、政治的帰属意識の所在点である一連の垂直的秩序単位のsitusの形成、実力主義の支配、貧困の逓減、情報経済学への理論的・実践的関心の増大、インフラストラクチャーと消費財に対する需要減による経済成長の鈍化などである。こうした稜線で囲まれるポスト産業社会の基本目標は、公権力の行使による人間の生活環境保全の秩序形成に求められる。
ポスト産業社会に輩出する公共問題は、二種に大別される。実質問題と象徴問題がこれである。実質問題とは、経済統制や社会福祉改革などの社会全般に重大な影響力を及ぼす係争問題であり、政府が保有する諸資源の配分に関連する問題である。この問題は、社会に及ぼす影響範囲の包括性の故に利害関係が複雑に入りくみ、それ故当該問題の解決は困難であり長期にわたって解決日程表上に留まる。実質問題は一般に経済問題と等記号で結ばれる。しかし、最近にいたって、人種統合や銃砲等規制のような社会問題がこれに併合され、実質問題は、経済問題を核としそこに凝集した一つの甘美な果肉を含む全体像を形成する。実質問題には、社会・経済両問題は同胎といってよいような主題的相関が看取される。他方、象徴問題とは、《いらいらさせる公共問題》(irritating public problems)といわれ解決日程表から速やかに下ろすために《一時しのぎの応急策》(quick fixes)を中心として解決策を編成し、政治的価値に関する意思決定を公共政策決定者に喚び起す問題である。こうした問題領域への対応は、政治体系内の現実的変化よりもむしろ社会に対する心理的救済ないし安堵の給付である。この場合、問題解決の指針は社会・政治・経済の諸資源に関する重大な配分変更を意図するわけではない。したがって、解決結果は総じて論争の的にはならない。係争問題が象徴性の結晶の硬度を高めるならば、それだけその解決策は解決意図ないし解決指針の声明の宣言をもって足り、大部分の懸案事項は未解決のまま放置される。
もとより、現代の公共問題が截然と二種に大別され、双方の対立の枠組を支える緊張が常にあるというわけではない。両者は微妙に響き合い、互いに干渉し液状化して一条の白光のように混淆と融化を遂げている。しかし、問題解決の効果というプリズムを媒介とする照明の光学によって、両者間の少なからぬ差異が照らしだされる。
実質問題の解決は、権力の地域的・機能的分割を組織原理とする合衆国憲法の中に固く内造されている《取引政治》の問題解決様式を通して行われる。公共問題もしくは政策計画の周辺に明確な輪郭を整えて結集し同一平面関係に立って相互尊重・相互依存・相互牽制を行動模範とする政府諸機関・準政府諸機関・主要な私的組織などの行為者間における安定した社会関係、すなわち《政策ネットワーク》の作動がこれに当る。象徴問題を解決する場合、この問題と実質問題との溶融と連動に注目し、象徴問題を一旦煉瓦のように一つあるいはそれ以上の実質問題の断片に碎き、これらの解決を通じて、その解決結果を構成単位として象徴問題の解決結果の全体を再び造形化するということも不可能ではない。しかし、すべての象徴問題が必ずしも実質問題に還元されるわけではない。現代における利益分化の錯雑性の亢進と政策・イデオロギー体系の分節化・多様化の《断片化された政治》の下では、相対的に小規模の数多の単一利益集団が簇生し、あるいは、既成の主要利益集団内にも集団利益をめぐる葛藤と緊迫が生じ亀裂を産み、利益共同体としての実質の確保が困難な状況が現出している。こうした数多の細分化された利益を標榜する利益集団は、社会に広く共有されることのない自己利益の社会的実現に向かって一本の直線的な視線を透徹させ、自己利益へ視力を集中し公共政策決定者に自己利益について価値付与の特段の配慮を要求する。一つの狭隘な関心事項に焦点を置き、単眼的な物の見方を採り、公共政策決定過程における諸利益間の取引・折衝・妥協の政治技術に必ずしも習熟していない数多の集団の間では、《政策ネットワーク》の発動は決して容易ではない。また問題解決日程に上る係争問題は、実質・象徴の別を問わず、本質において多面・多層の構造体を形づくっているため、公共政策決定者が社会・経済領域の勢威ある利益諸集団からの圧力の奔騰の真只中に身を投し、こうした諸種の圧力を個別に秤にかけて計測しこれらを均衡させ自己の絶妙な静止点を探りあて、ここから諸集団の政策要求の数量的平均化による問題の解決を図るということは、きわめて難しい。これ故に、《断片化された政治》の下では、実質・象徴のいずれの係争問題に対しても象徴的対応が試みられる。象徴性を標榜する公共政策の《安全弁》性は、事象に屹立する救済の幻影を提示する。それは空中楼閣めいた高踏性に自足するものに他ならない。象徴的対応は、こうして、幻影と実像との一致を信じさせる幸福な蜜月期感覚を、政策要求の充足を求める標的諸集団の間に創りだし、彼らの間に静穏状態を効果的に演出する。このような象徴的救済や安堵は、具体的な政策要求事項の実現の見込みがない場合でも集団や個人に満足感を与える。こうして、それはあるべき問題解決結果の現実と直接にかかわりのない虚構の世界を紡ぎだしていく。
ポスト産業社会を基底的状況として成り立つ《断片化された政治》の下では、政党一体感であれ、また明確な政策・イデオロギー体系であれ、そこにおける複雑なモザイク模様のように互いに縺れ合いながら共存している錯綜した利害関係や恰も迷宮のごとき複雑な構造をもつ多岐な政策要求の一切を収束し、平盤化し、同質化してしまうことによって、状況収拾を可能にするような《万能の問題解決の用具》は、もはや現実に存在しうる余地はない。同じく、この用具を中軸に据え、これによって問題解決に当るかつての民主・共和両党のごとき《優越的全目的的政治組織》も、自己の存在を主張しえないのである。
(昭和39年、大学院法学系研究科修了)