家庭内で「父性」「母性」が欠如 |
東大生は、親の平均年収が他大学生より高い。また、家庭環境も比較的恵まれていると言われる。だからこそ、勉強に専念できる環境を与えられ、東大まで来ることができたのだろう。確かに我々はテストで高い点数、偏差値を稼いできた。しかし、我々東大生が立派な親になり幸せな家庭を築いていけるかどうかは、偏差値とは何の関係もない。それは愛情や人格、人間関係などに関わることだからだ。それでは、一体どうすればいいのか。今回はそれを考えてみたい。
人間は他の動物と比べて「生理的に1年早産」(A・ポルトマン)で生まれてくるという。確かに、生まれてから歩き始めるのに人間は1年もかかる。まるで、親から愛され保護されるのが当然かのように未熟な状態で生まれてくるのだ。
独り立ちも遅い。一人前になるまで10年以上も、親から愛を受け、しつけられ、成長していく。狼に育てられた少女カマラとアマラの例を持ち出すまでもなく、子どもにとって親、そして家族は絶対に必要な存在である。
その家族は、愛情関係で結ばれている。親は子どもを愛するがゆえに、その幸福を願う。そして、善い子に育てようとする。古今東西、わが子を善くしようと思わない親はいない。しかし、現状は願わざる「悪い子」「不幸な子」でいっぱいだ。
他の動物も子どもを「育」てたり、子どもに何かを「教」えたりする。つまり、親が子を「教育」していると言える。しかし人間の場合、「教育」するというのはそんな単純なものではない。ただ育てたり、教えたりするだけでは、「善い子」「幸せな子」に成長しないからややこしいのである。
私たちは両親の愛を受けてこの世に生まれてきた。誕生前後においては、特に母親の愛と苦労は相当なものがある。母親はわが子を命懸けで産む。生まれたばかりの乳児は母親の愛なしでは生きられない。乳児は親のことなど考えず、2時間おきに乳を求め泣く。うんちもし放題だ。しかし、わが子であるという条件のみで、うるさかろうが、汚かろうが無条件に愛する。
エーリッヒ・フロムも世界的ベストセラーになった著書『愛するということ』(紀伊国屋書店、59年)のなかで、「私は現在あるがままの姿で愛されている。あるいはおそらくはもっと正確には、私が私であるゆえに愛される、ということであろう。この母親によって愛されているという経験は受け身の経験である。そこには愛されるために自分がしなければならぬことはなにひとつない―母親の愛は無条件なのである。自分がしなければならぬことは《であること》―彼女の子どもであることにつきるのである」と説明している。善い子だから愛するのではなく、子どもの「存在そのもの」を包含する愛情である。
子どもは、そのような「ありのまま」の自分が愛されているという実感の中で育つと、豊かな感性が形成されていくという。その土台があって、初めて「しつけ」ができるのだ。
ところが、母性愛を十分に備えていない母親の場合、子どもに自分の理想を押しつけてしまい、無理な要求をしたり、イライラしたり、怒りをぶつけることが多くなってしまう。そうすると子どもは心を閉ざしてしまい、感性もあまり育たなくなる。
逆に、溺愛しすぎると、わがままで無規範なこどもになっていく。そして非行に走りやすくなるという。1万人の非行少年をカウンセリングしてきた相部和男氏はそう主張する。
一方、父親の役割も難しい。一昨年、本学経済学部OBの東京女子大学教授・林道義氏は、その著『父性の復権』の中で、教育における父性の役割を強調した。「子どもの心が発達するときに最も大切なことは、価値観がしっかりとゆるぎなく存在していることである。そのとき初めて子どもは統一的な人格、アイデンティティを確立していくことができる。そのためには家族の価値観を体現する、つまり子どもに対して価値観のシンボルになるような存在が必要になる。そのシンボルとしての役割は父が果たすのが望ましいのである」(27頁)。
また、京都大学名誉教授・河合隼雄氏は『母性社会日本の病理』(中央公論社、76年)の中で、「父性原理は『切断する』機能にその特性を示す。それはすべてのものを切断し分割する。主体と客体、善と悪、上と下などに分類」し、「父性は『よい子だけがわが子』という規範によって、子どもを鍛えようとする」という。明確な価値観を示して、子どもを完成へと導くのが父性の役割なのである。
ところが、その価値観を示せない父親が多い。林氏は言う。「父が権威をもって価値を示すことができないと、子どもは自分なりの価値観を持つことができないし、社会人として必要な社会規範を身につけることもできなくなる。信念やモラルという原理に従って行動することができないので、ただその場その場で自分の利益を追求するか、欲望を満たそうとすることしかできない人間になってしまう」(前掲『父性の復権』139頁)。
また、現在、全国を回り「感性・心の教育フォーラム」を開催している感性教育研究所所長の高橋史朗氏はこう言う。「対教師暴力や生徒間暴力、あるいは授業が成り立たないという現象はこれまでは中学校で問題になっていたが、今は小学校の高学年で学級崩壊が始まっている。私語や立ち歩きが多く、先生が注意してもポカンとしている。それに先生がどう対処していいか分からない。ここ2、3年、そうした苦情や相談が急増している。その背景には、家で叱られた体験がないこと、特に、父性の欠如という問題があります」(『正論』98年8月号、136頁)。その背景として、高橋氏は「戦後教育は『子供を叱ること』『厳愛』『子供を鍛練すること』の三つを悪とした」(同、140頁)ということをあげる。
そして何より、家庭の中で最も大切なのは夫婦仲である。夫婦が互いに信頼し、愛し合っていることが重要である。その愛のもとで子どもはスクスクと育っていく。
ところが、夫婦の不和が深刻なのである。離婚が増加し(3.5組に1組)、不倫が横行している。子どもにとって、親の離婚や不倫は、親の愛に対する決定的不信となり、反抗的になったり非行に走りやすいという。
家庭内で、両親からの愛情と価値観が不足している子どもたちは、外でその代償を求めるようになる。それが、青少年たちが安易にセックスや薬物や暴力に走る原因となっているのだ。「いじめ」たり、「ムカつく」「キレる」子どももこのようにしてできる。
また、ベネッセ教育研究所が今年1月1日に発表した「モノグラフ・高校生vol.52 援助交際」によると、援助交際体験のある子どもの親は、子どもの言いなりになっていたり、放任の傾向があることが読み取れる(上図)。また、体験のある子どもは「むやみに寂しくなり」「めちゃくちゃな行動をしたくなる」こともわかった。つまり、家庭内で「父性」「母性」が欠如しているのである。
「善い子」を育てる家庭を再建するためには、正しい価値観をもった「父性」と無条件の愛をもった「母性」が必要であり、また父母仲が良くなければならない、と一つの結論を出すことができるだろう。
それと共に、家庭を崩壊させてきた日本社会全体の堕落、生活環境の悪化、そして戦後の学校教育の誤りも看過できない。それらについては次号で見ていきたい。
(つづく)
(誠)
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