今、何が必要なのか13

 今回と次回にわたり、日本の現代教育を振り返りながら、「日教組」と「日本教育学会」の弊害について見ていきたい。

戦後教育をミスリードした「日教組」「日本教育学会」

戦前は「教育勅語」が教育の中心だった

 明治5年、「学制」を公布するための趣意書として政府から「仰せ出され書」が出された。これは、その文中に「学問は身を立るの財本ともいうべきものにして、人たるもの誰か学ばずして可ならんや」とあるように、国家のための学問というよりは、各自の身を立てるための学問という位置づけである。これに基づいて師範学校がつくられ、優秀な外国人教師を多数招いた。
 そして明治23年、「教育勅語」(正式には「教育に関する勅語」)が発布された。「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」(父母に孝をつくし、兄弟は仲良く、夫婦はなごやかに、友だちは信頼しあい)などと天皇が説いたもので、伝統的な国家観に基づく国民道徳のあり方が明示された。戦前の学校では、この教育勅語が入学式や卒業式に捧読され、教育の中心に位置づけられていた。

GHQにより教育勅語が廃止に

 しかし、敗戦後、主権在民の日本国憲法のもと、教育勅語を教育の中心に置くことはできなくなった。昭和22年に教育基本法が公布されると、当時の文部大臣高橋誠一郎氏は、教育勅語と教育基本法の間に矛盾はないと明言していた。ところが、GHQ(連合国軍総司令部)の勧告により、昭和23年6月、衆参両院で執行排除決議が行われた。このことに対し、武蔵野女子大教授・杉原誠四郎氏は次のように言う。「占領軍は国会に強要して教育勅語を教育からいっさい排除する決議を行わせました。この決議はたとえ私立学校でも聖書を教育に使ってはならないというような、それ自体無効と言うべき乱暴な内容のものでした。この乱暴な決議を占領軍は日本に押し付けたのです。この決議によって戦前の教育のよい部分を引き継ぐことも困難となり、道徳の基本を軽視した偏った教育しかできなくなりました」(「産経新聞」97年2月21日付)。
 その後、天野貞祐・当時文相が、教育勅語の廃止に伴う道徳教育の空白を埋めるため、昭和26年9月、国民道徳実践要領を示そうとしたが、マスコミや教育界から猛反発を食らった。

政治闘争に明け暮れてきた日教組

 日教組(日本教職員組合)は昭和22年6月に結成された。「われらは、平和と自由を愛する民主国家の建設のため団結する」を綱領に掲げて、教育界に君臨していく。組織率も昭和33年には最高の86.3%に上った。しかし、昭和27年に日教組が打ち出した『教師の倫理綱領』の中で、「教師は労働者である」と宣言し、その後、労働運動の先頭に立っていった。勤務評定闘争、道徳特設反対闘争、安保闘争、三池闘争などに明け暮れ、政治闘争第1、教育第2の路線を取ってきたのである。
 このような日教組の共産主義的闘争姿勢は、入学式や卒業式で「国旗」を掲げさせない、「君が代」を歌わせないなど、無視できない状況を生み出してきた。

共産主義崩壊により日教組も低落

 教育問題研究家の四方遼氏は日教組に対し、「社会主義国家建設を目指し、教育現場にマルクス・レーニン主義に基づいて社会的秩序の破壊をもたらす階級闘争史観を持ち込み、……(中略)……日教組の足跡は、『教師は聖職である』と信じ切ってきた国民の教師に対する期待と畏敬の念を完全に拭い去りました」という。
 その日教組も、組織率はどんどん低下している。勤評闘争時代の昭和33年には86.3%あった組織率も、40年代に50%台になり、今や35%を切っている。世界的共産主義崩壊に伴い、新採加入率もわずか18%に低落した。
 さらに、派閥闘争、内部抗争によって、平成元年11月、共産党系の反主流派が全教(全日本教職員組合)を結成し、日教組はついに分裂した。

日本の教育学は外国の学説紹介偏重

 また、わが国の教育界をミスリードしてきたもう一つの団体に「日本教育学会」がある。
 昭和16年に発足した日本教育学会は、平成3年8月、第50回大会を本学で開いた。このとき、かなり厳しい意見も飛び交った。「心理学者の波多野誼余夫氏(独協大学教授)は、教育学者の多くが文部行政の批判ばかりをおこなってきて、教育学者が教育実践に生産的な貢献をした事例は少ない、とこれまでの教育学を批判した。また水越敏行氏(大阪大学教授)も、日本の教育学は、極端に外国の学説の紹介にかたよった文化的輸入超過≠セから、もっと日本の受験教育や教師教育など日本の教育をめぐる現状を正確に外国に紹介すべきだと訴えた」(「朝日新聞」91年9月2日付夕刊)。
 本学教育学部の授業もかつては外国の学説の紹介ばかりであった。本学卒の河上亮一氏(プロ教師の会)も学生時代に教育学部の授業を受けて「東大の教育学部は、当時も今も日本の教育学の最高峰である。それがこの程度かという感想を持ったことは、教師になってからの私に、大きな影響を残している」と感想を漏らしている。

左翼学者ズラリの日本教育学会

 当時の日本教育学会の会長は、日教組の『倫理綱領』を作成した一人でもあった大田堯・本学名誉教授であった。かつて大田氏は、本学教育学部教授の宗像誠也氏、宮原誠一氏、勝田守一氏らと共に、本学教育学部のみならず、日教組、日本教育学会を支えてきたメンバーである。その流れを引き継ぎ、現在は堀尾輝久氏(元本学教育学部長)が日本教育学会会長を務めている。もちろん堀尾氏も左翼的教育理論を本学教授時代に教え広めていた。
 彼らが左翼思想に彩られた的外れな教育論を展開しているうちに、青少年たちはどんどん無気力になり、乱れ、ついにはキレるところまで行き着いてしまったのである。     (つづく)

               (誠)

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