今、何が必要なのか14
今回は、日教組や日本教育学会によって戦後教育がどのように荒廃してきたかを具体的に見ていきたい。
所沢高生徒会の背後に共産党・民青
今年4月、入学式をボイコットしたことで全国的に有名になった埼玉県立所沢高校は、もともと生徒の政治活動が盛んな学校だった。日本中で学園紛争の嵐が吹き荒れた昭和44年から45年にかけ、ハンスト(=ハンガーストライキ)騒ぎや校長室に火炎瓶を持った生徒が侵入する事件が発生した。49年には、過激派生徒グループによる授業妨害事件が起きた。公安当局は所沢高校を民青同盟(=共産党の青年学生組織)の勢力が強く、活動が活発化している学校と位置づけているようだ。
所沢高の生徒会室には『生徒人権手帳――生徒手帳はもういらない』という本が置いてある。この本には「生徒の人権」として「飲酒・喫煙を理由に処分を受けない権利」「セックスするかしないかを自分で決める権利」「子供を産むか産まないかを決めるのは女性自身の権利」など、自分勝手な権利主張の項目が並んでいる。
同校は、共産党系の全日本教職員組合(全教)に加盟する埼玉県高等学校教職員組合(埼高教)に所属する教師の発言力が強い。校長批判で戒告処分を受けた教諭も埼高教組合員だった。
国旗・国歌の否定は児童の権利条約違反
入学式ボイコットに際し、「生徒の意見を聞かないまま卒業式や入学式を強行することは、子どもの権利条約に違反する」と、所沢高生徒会側の弁護士は発言した。左翼系の弁護士・教育学者・教師・生徒らが絶賛する「子どもの権利条約」(正式には「児童の権利に関する条約」という)は、平成元年に国連で採択され、日本でも平成6年に国会で批准、発効した。彼らは、その条約を盾にして、子どもの権利を異様に強調し、子どもが大人並みの権利を行使できるかのように主張する。
しかし、公立学校が学校行事として入学式・卒業式を実施し、国旗掲揚や国歌斉唱を行うことは児童の権利条約に違反しているのだろうか。そのことに関して、お茶の水女子大名誉教授・森隆夫氏は「生徒が入学式、卒業式をボイコットできると解釈できる条文はない。組織に入れば秩序に従うのは当然」(「産経新聞」98年4月9日付)と言う。また、明星大教授・高橋史朗氏は「条約には、教育の目的が自国の価値観の尊重にあると明記されており、国旗や国歌の否定こそ条約違反」(「産経新聞」同日付)と指摘している。
ほとんどのマスコミは、所沢高の入学式ボイコットに対して、最初は「生徒たちの自主的な活動」と好意的に報じたが、背後で共産党系の教職員、PTA、弁護士などが画策していたことが明るみにでると、急に報道を控えるようになった。
悲惨な広島県公立学校の実態
最近、広島の公立学校が問題視されている。広島県福山市立加茂中学の佐藤康典教諭(36)が今年4月1日、参院予算委員会で、いじめや暴力など、同市内の「荒れる学校」の実態を報告した。
「始業のチャイムが鳴っても、生徒たちは席についていない。その生徒たちを教室に入れて席に着かせるのに5分から10分かかる。やっとの思いで授業を始めても、教室の窓から抜け出したり、もっとひどい時は、廊下を自転車でイェーイ≠ニ声を上げながら走っているという状態だ。教室に残った生徒も、後ろの方でボール遊びをしたり、机の上に足を上げて、漫画を読んでいる」。「教師が手を出すと、状況がどうであろうとマスコミから非難され、教育委員会から処分される。教員は生徒に殴られるままで抵抗もできない」。
この報告は全国に大きな衝撃を与えた。
マルクス主義から人権・差別問題へ
広島では、「人権」教育の名の下に、徹底した反日教育が行われている。元号・国歌・国旗を敵視し、歴史や国家に対して憎悪と怒りを持つことを教える。日教組などが、「日の丸・君が代は侵略戦争の象徴であり、軍国主義の復活につながる」と盛んに主張するのだ。
しかし、これに対して大森武之氏は『戦後教育50年の反省点』(北国新聞社出版局)の中で、こう反論する。「戦争時は、いずれの国の国旗・国歌も国家の象徴として当然の宿命であり、受難時代であった。しかし、過去に不幸な戦争があったからといっても、それは、国旗や国歌の責任ではない」「『日の丸』の旗自身が、時によって軍国主義の象徴になったり、平和主義の象徴になったりするものではない。国旗を掲げるわれわれ国民が、それを軍国主義の象徴ともし、平和主義の象徴ともするのである。『日の丸』『君が代』には罪はない」。
政治評論家の吉原恒雄氏は、広島県全体で展開されている「人権」教育に対して、厳しく批判する。「マルクス・レーニン主義が没落し、その看板ではもはや革命運動がし難いので、現在は人権・差別問題などが悪用されている。彼らが人権擁護を掲げながら、思想を異にする内容の映画や講演の中止を強要したり、反対者への人権の侵害を平気で行うのはこのためだ」。
「怒り」教育は親や教師に跳ね返る
また、広島では悲惨な原爆体験ゆえに平和運動が盛んだ。しかし、左翼思想に基づく歪んだ運動になっていることは周知の通りである。吉原氏はこう言う。「当地の平和運動、平和教育は、ただ末期ガンの悲惨さを紹介しているようなものだ。悲惨さをいくら叫んでもガンは治らない。ガンという病気の病理を究明し、それを踏まえ予防策を講じたり治療をして、健康維持や病気回復が可能になる。平和と戦争の関係もこれに似ており、戦争の究明なくして平和は実現できない」。
人権・平和教育という名の下に、子どもに「怒り」を教えることについて、お茶の水大学名誉教授で日本道徳学会会長・勝部真長氏(昭和15年本学卒)は「それは、最後には親や教師に跳ね返っていくでしょう。上に立つものに対する反抗を教えているのですから」という。その結果が、まさに栃木県黒磯北中学の女性教師刺殺事件であると言えよう。
小学低学年から道徳教育の徹底を
「道徳」の授業が「人権」に、あるいは「M」に名称変更されていた学校は広島県全体でなんと小学校7校、中学校36校にも上った。「M」は英語の「モラル」の頭文字だという。このように、「道徳」の時間は非常に歪められ、また軽視されてきた。正式な「教科」でないために「道徳」の専門家が育成されていないことや、教科書がないから教える側も責任感が薄いことなども原因として指摘されている。
「キレる」子どもをつくらないためにも、やはり小学低学年からの道徳教育の徹底が急務である。
先月から、東京都内の小中学校で、学校・家庭・地域社会の連携による「道徳」の公開授業が始まった。中教審の「心の教育」に関する答申を受け、学校だけでなく、家庭や地域社会にも道徳教育を担ってもらおうという目的で行われている。
新しい試みとして評価したい。
(つづく)
(誠)
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