21世紀はマルチメディア時代になるとも言われている。わが国の景気回復もマルチメディア関連産業がカギを握っているのではないだろうか。そこで今回は時代の先端を行く会社、NTTデータの神林留雄社長に、日本経済の行方や21世紀を担う東大生へのメッセージなどを聞いた。 |
異質の体験をする機会を求めよ |
――先輩が東大に入られたときの様子や大学時代の思い出についてお聞かせください。
私は昭和30年卒だから、26年入学ですね。東京生まれで、高校は都立上野高校です。最近の受験の状況というのはよくわからないけれど、進学校といわれているところは偏った形で学生が集まっていると思うんですが、私たちの頃はある程度のんびりしていて、東京都立高を中心に東大に入って行ったんです。私自身、運動部を二つもやっていたし、自治会もやっていたし、それほど高校時代もガツガツ勉強した覚えはないですね。だから、最近よく言われている知識偏重型だとか、受験のための勉強だとか、あるいは受験勉強は小学校入学前から始まっているとか、そんな時代とはぜんぜん違っていましたね。終戦後ですからね。一億総貧乏で、儲かるのはヤミ屋さんだけという時代でしたから。
私のクラスは文一で、ちょうど50名くらいでしたかね。クラス全体の雰囲気というのはかなりのんびりしていました。麻雀やったりとか、クラスの連中が集まってコーラスやったりとか、そんな雰囲気の中で育っていましたね。
――最近の東大の学生は無気力無関心で、さらにゴミのポイ捨てやカンニング、万引きも横行しているんですが。
カンニングはありましたね。隣に座っている人のを書いているのがほとんどですよ。私は法学部でしたが、法学部というのはだいたい大教室が多いんですよね。だから、あまり先生方もいちいち監視なんかしていたという記憶はないですね。カンニングといえばカンニングなんだろうけど、みんなかなり堂々とやっていましたね。
だけど万引きという話は、聞いたことがないですね。当時、明らかにわれわれの生活レベルというのはケタ違いに低かったわけです。奨学金をもらったり、あるいはアルバイトでお金が入って、せいぜい週に1回飲むということで、張り切って、「金が入ったから、今日は一丁、すげぇ所行こうじゃないか」といって行く所が、渋谷の安い中華料理屋などでしたね(笑)。生活水準は今とは比較にならないほど低いんだけれども、楽しくやっていました。
ただ、当時はもう昭和26年ということですからわかりますように、いわゆる安保闘争の始まりの時だったんです。学生運動が活発でしたから、私のクラスにも捕まってしまった人がいるんですが、少なくとも勉強に関しては、大変のんびりしていました。
世の中の戦後の混乱時代で、当然、政党としては保守派が占めていました。しかし、安保問題や、平和条約に関係していることに対して、過敏症になっている人が、かなりいた時代でした。
これは、思想的共鳴といった面もあるかもしれないけれども、いろんな不満が原因としてあったんですよね。それは社会に対する不満かも知れないし、あるいは、自分の人生はこれからどうなるんだろうという不満のようなものがあったんですね。不満のぶつけ道というのは、反体制という形で動くというのがパターンなんですね。私たちが会社に入った頃の労働組合にも激しい面がありましたね。元をたどると、職場に対する不満だとか、処遇に対する不満だとか、いろんなことに対する不満といったものが、かなり動機になっているんですね。
みんなそれなりに、いろんな生き様をしていましたよ。当時、東大ダンス研究会というのが大学のコンペで優勝したことがあるんですね。だから、結構多彩だったと思うんです。当然お金がないから、あまりお金を使った趣味というものはできないですけどね。
――今の学生は豊かになっている反面、やる気を失っている雰囲気があります。先輩の頃はやはり、日本に対して貢献していきたいとか、自分たちが新しいことを始めていきたいという使命感というか、気概があったのではないでしょうか。
それは時代相でしょうね。A君B君C君がみんな情熱的に燃えつつ、社会、日本経済の復興のためとか、そういう使命感を持っていたわけではないですからね。今にして思うと、非常に低い最貧国ではないけれども、食うのにも事欠いていたなごりがありました。そういう時代相といったものがあったんでしょうね。私は、おかげさまで食うだけは親が食わしてくれて、ひもじい思いをしたという記憶はないですね。ただ、そういう時代相だったから、東大は日本の戦後復興のために何かしなければいけないという気持ちはあったんですよ。
安保闘争などの反体制運動というのは、何かしなければというメンタリティーを裏返したものと思うんですけどね。学生という存在で、日本のため、世のため、人のため、日本経済発展のためという思いを実現できる立場にはない。だけど何かやらないといけない。あのころの安保闘争というのは、そういう思いの裏返しではないかという気もします。
――話は変わりますが、国際化時代を迎えるに当たって、今日本の経済のどこに課題があって、これからどうなっていくべきなのかお聞かせください。
重要な転機を迎えているんでしょうね。メンタリティーというか国民性というか、そういう意味で相当な転機が来ているのではないかと思うんです。日本人というのは欧米に追いつけ追い越せという精神で成功してきたんです。そして、一人あたり国民所得が世界一になりました。その後のことは、皆さんよくご存じのバブルの崩壊です。21世紀は「お手本」のない時代です。追いつけ追い越せ型で進むようなメンタリティーというのは、今後はもう通用しません。これからは、追いつけ追い越せではなくて、他に先駆けてという創造性を、国としても個人としてもしっかりと身につけていかないと、先がないですね。
明治維新の時に、あるいは終戦後の時に、いろんなリーダーという人、あるいは一般の国民がどう動いたかといえば、何とかしなきゃどうしようもない、簡単に言えば頑張ろうと、そうすれば政府もよくなるんだから、と。特に明治維新の頃は列強の侵犯、植民地化されないようにという政治的動機もあったわけですが、情熱というか、そういうものはあったわけですね。
今、日本経済がおかしいといってもどん底ではないのです。夏休みになれば、結構、海外旅行に行くわけですよ。悪いといってもそういう状況なわけですね。お金は、あるところにはあるんです。明治維新や終戦後は、地獄のような状況だったでしょう。今の状況は、あえていえば普通の状況だと。その中でどういう風に日本というものを良くしていく情熱を沸き立たせるかということになると、なかなかにわかにそういう手法はないんですよね。
おそらくこれは長いスパンがかかる問題だと思うんですが、それは何かというと、広い意味で教育なんですね。教育というのは学校でやる教育だけではなくて、家庭という場でのしつけなども含めての教育というものを、相当真剣に考えていかないとこれはダメなんじゃないかと思うんですよ。
われわれ企業が、技術的な教育だけではなくてメンタリティーの教育も含めてやってるわけですけどね。われわれの社会と学校とぜんぜん違う点は、学校というのは月謝を払って、先生のお話を聞く。あと、行きたくなかったら、行かなくてもいい。要すれば教育を受けるのは権利であって義務ではないんですね。でも会社では、新入社員は給料をもらっているから、教育を受けるのは義務ですね。それは、会社自体が伸びないとか、おかしくなるとか、そういうことに関わる問題ですから、残念なことながらそういう教育問題について一番真剣味があるのは、おそらく企業ですよね。
ただ、企業に入ってからでは本当は遅いんです。極めてわかりやすい話をしますと、今はグローバリゼーションと言われて、現実に、外国の金融機関などがたくさん来ていますよね。とにかく世界は狭くなったと、一体化してきたと、グローバリゼーションとこう言われるんですが、たとえばインターネットといっても、おそらく日本のインターネットのホームページとかデーターベースにアクセスするデーターベースがあるのは、全体の中で1%にも満たないと思うんですよ。なぜないかといったら、圧倒的に英語なんですよ。もうおそらく90%近く英語のベースじゃないですかね。いずれにしても、もっとわかりやすく言えば、インターネットというものは、英語がわからないとできないわけですね。十分に使えないわけですよ。
ですから、教育といっても極めて実務的な問題なんですけれど、何も情熱をかき立てるとか、道徳性、倫理性を、頭に叩き込むとかそういう話ではなくて、単に実務的な教育の仕組みの問題なんですが、もっと役に立つ英語教育というものを、していかなければならないと私は思います。
今の英語は、受験用の英語だということはよく言われていますよね。やたらと普段使わないような難しい言葉が出てきたりします。そういうような英語ではなくて、世の中に出て、普通の人とつきあったり、場合によっては、商売のためにつきあう人もいるかも知れない。それで一応話ができるとか、新聞をある程度読めるとか、せめてCNNニュースのアナウンサーの英語は理解できるとか、そういう役に立つ英語の教育をするべきです。
私は卒業後アメリカに留学したんですが、アメリカでは結構勉強させられるんですね。必ず本を読んで行かなければ授業についていけないし、授業についていっても、必ずその後にサブ授業があって、必ず試験があるんです。講義ごとに試験があるような感じですよ。
ここで言いたいのは、学校にいる間だけが勉強時間なのではなくて、大学で勉強してもらうのは結構だけど、もっと大事なのは、学校を卒業して社会に出ても、勉強の対象は違うかも知れないけど、勉強し続ける。単に本を読むということだけではなくて、生活の中でも勉強を兼ねたものはいろいろとあるわけですね。そういう習慣を身につけさせる教育というのが大切なのではないでしょうか。
今は、大学に入ることが目的になっているんですね。入試とか就職試験とか受けるときは、ちょっと勉強したとしても、就職してしまったらおしまいなんですね。こういう仕組みを変えていくようなことを考えなければいけないでしょうね。
――最後に、未来を担う東大生に対するメッセージをお願いします。
やはり、かなり精神的なことになってしまいますね。せっかく東大に入ったんだから、これからいろいろな社会に出ていくんだろうけれども、人間としての幅というものを培う努力をしてもらいたいということでしょうね。それは単に知識を増やすというものだけではなくて、いろんな取り組みをしてもらいたいということでもあります。また、いろんな人とつきあってもらいたいと思うし、世の中のいろんな局面で経験を積んでもらいたいと思うし、それからあえて言えば、よく遊べということにもなるでしょうし。おそらく、東大に入った段階で頭が良い人間が入ってくるような入試の形では、いわば一つのパターンの人間が入ってきちゃうんですね。
今でも協同組合なんかで講義プリントを売っているんでしょうか。私は大変利用しました。極端な例を言えば、1回も講義に出ないでも、試験受けて優をもらった人もいます。さすがに前の晩にプリント買ってきて、優はとれなかったけどね(笑)。だから、おそらくあまり勉強に時間を割いているわけではないと思うんです。だったら、その時間帯を何のために使っているのかはわかりませんが、大きな意味で、遊びに使えと言いたいですね。遊びという言葉は誤解されてしまうかも知れないですけど、要するに、知識という意味でも、友人という意味でも、社会という意味でも、異なった質の体験の幅を広げておけということを、私は一般的に言いたいですね。
みんな時間はあると思うんですよ。もし、何していいかわからないという人がいたら、私はどこかの英会話の学校に行きなさいと言いますね。それだけは絶対間違いなく役に立ちますから。そこで異質の人と出会うでしょうし、社会人も多いでしょう。そういう場所を提供してくれますし、そこで覚えたものは必ず将来役に立ちますよ。
要すれば、『なるべく異質の体験をするという機会を求めよ』ということでしょうね。大学の勉強はしなくてもいいけど、そういうことはしっかり身につけておくことですね。 (談)
(かんばやし・とめお) 1933年生まれ。65歳。東京都出身。55年東京大学法学部卒業、日本電信電話公社入社。80年営業局市場開発室長。83年業務管理局長。86年日本電信電話株式会社取締役東京総支社長。88年常務取締役企業通信システム事業本部長。90年代表取締役副社長。94年NTTデータ通信株式会社顧問。95年代表取締役社長就任、現在に至る。 |