明けましておめでとうございます。
いよいよ21世紀まであと2年と迫りました。21世紀の日本と世界を教導する指導者を輩出すべき使命と責任を持っているのが本学です。その本学において、オピニオン・リーダーたるべき本紙もさらなる努力を重ね、本学の健全な発展と活性化に貢献していきたいと思います。本年もよろしくお願いします。
昨年は本当に暗いニュースが多い年でした。戦後最悪の不況と言われた日本経済。失業率も過去最悪の4.4%となり、悪い意味で過去の記録を更新してしまいました。また、和歌山の毒入りカレー事件に始まり、それに連鎖するようにして立て続けに起こった毒物混入事件。昨年一年間を象徴する漢字として選ばれたのは「毒」という字でしたが、まさに日本列島全体が物心両面の毒物によって麻痺している、そんな印象すら受ける今のわが国の状況です。
1999年、今年はノストラダムスが予言した終末の年です。天変地異や隕石の衝突によって、いきなりこの世が終わってしまうなどということはとても考えられないことですが、すでに日本の至る所に終末的様相が現れており、このまま行けば日本の未来は危ういだろうということは多くの人が感じるところではないでしょうか。
ネット文化の負の側面を露呈
今年こそは明るいニュースの多い年であってほしい、と思って出発した1999年でしたが、その期待は早くも裏切られてしまいました。昨年暮れから新春にかけて、これからの時代を占うような悲惨な事件が立て続けに新聞紙上を賑わしたのです。
昨年12月15日、東京都杉並区に住む無職の女性が、宅急便で届いた毒物を飲んで自殺するという事件が起こりましたが、その女性は毒物をインターネットを通じて入手していました。しかも事件はそれだけに止まらず、毒物を送った男性も同15日に服毒自殺しており、さらに別の5人の男女にも毒物を送付していたことが判明したのです。男性はネット上に「ドクター・キリコの診察室」というホームページを開設しており、自殺願望者からの質問に答える形で、自殺に関する情報の提供と毒物の販売を行っていたのです。
また年明けの7日には、伝言ダイヤルを通じて知り合った女性に薬物を飲ませ、金品を奪っていた23歳の無職男性が逮捕されました。捜査の結果、同様の手口で二人の女性がすでに殺害されており、他にも被害にあった女性が数人いることがわかりました。
さらにさる9日にも、インターネットを通じて購入したクロロホルムを女性にかがせ、暴行しようとした埼玉県在住の会社員が逮捕されるというニュースが流れました。
まさに、発達したネット文化の負の部分を露呈するような事件が立て続けに起こっているのです。
ネット上には有害情報が氾濫
近年急速に発達しているインターネット。今まではその利便性ばかりが強調され、それがもたらすマイナスの影響についてはあまり論じられて来ませんでした。しかし、今回の事件によって、やっとその危険性に多くの人が気付き始めています。
ネット上に溢れる有害情報。検索のページで、「毒物」「自殺」「殺人」「ポルノ」などのキーワードを入力すれば、何百件にも上るホームページにヒットします。そしてそれぞれのページには実に詳細で、具体的な情報が掲載されており、誰でも簡単にそれらの情報を入手できるのです。「これでプルトニウムでも手に入れれば、核爆弾だって製造できてしまう」(科学ジャーナリスト・那野比古氏)と指摘されるほどです。
インターネットの利便性は、身分・国籍を問わず、誰でも簡単に利用できるところにあります。しかしそれは同時に、誰でも簡単に有害情報を流すことができ、またそれに触れることができるということも意味するのです。そして現実に、ネット上には無数の有害情報が氾濫し、そのアクセス数も急増しているのです。
一昨年7月、警視庁の「ネットワーク上の少年に有害な環境に関する調査委員会」が都内の高校生を対象に行なったアンケート調査によれば、男子高校生の5人に1人は、アダルト画面などの「性」に関する情報を利用中、または利用したいと思っていることが分かっています。
技術的な発達だけではいけない
急速なインターネットや携帯電話の普及によって、私たちの生活環境はより便利になり、国を越えての交流が盛んになったことは事実です。しかしその反面、発達したネット網を利用した犯罪や有害環境も確実に増え続けているのです。ここに目をつむって、ただ技術の発達だけを手放しで喜び、称えることはできないのです。
情報先進国、メディア先進国とはどのような国を言うのでしょうか? これは単に技術的に発達した国を指して言う言葉ではありません。技術的な発達とともに、それを正しく用いるための環境が整っていなければならないのです。さらに言えば、それを用いる人間の側の倫理・道徳的な発達も伴っていなければならないのです。
それを用いることが社会全体の福利につながり、その発達によってより多くの人が幸福で安楽な生活環境を享受することができるようになった、そのときに初めて、「わが国の情報環境は発達している」と言うことができるのではないでしょうか。技術の発達によって被害を被る人が増加している限りは、決してその技術を使いこなしているとは言えないのです。
発信者の自主規制が求められる
ネット上の情報に対する規制に関しては、規制することがインターネットの利便性と特質までも奪うことに繋がるという指摘も多く、具体的な政策として成立するのにはまだまだ多くの論議と時間を要することでしょう。しかも、たとえわが国で規制法が成立したとしても、それですべての問題が解決されるわけではありません。インターネットは国際的なものであるために、海外のプロバイダーを通じて情報を発信した場合、あるいは海外に向けて情報を発信する場合には、その規制の網を容易にくぐり抜けることができるのです。
国際的な基準の制定が急がれることですが、現段階では情報を発信する側の自主規制に頼らざるを得ません。そのためにはまず、なぜ有害な情報を流してはならないのか、なぜ未成年にポルノ情報を提供してはいけないのか、それを発信者の一人一人が自覚することが必要です。
情報提供者としての責任感必要
ホームページは個人の自由が最大限に許された空間です。しかし、いくら自由が保証されていると言っても、有害な情報を流し、社会の秩序を乱し、他人を危険にさらす自由は保証されていないのです。ホームページがいくら個人の情報を提供する場であったとしても、一度それがネット上に流されれば、その瞬間から情報提供者としての責任が要求されるのだということをよく自覚しておかなければなりません。
メディアは、それを正しい方向に活用すれば、人の生命を救うことも、社会全体を活性化させることも、世界の平和に貢献することもできる大きな可能性を持っています。しかしその力の大きさゆえに、それが悪用されたときの被害もまた大きなものとなるのです。しかも間接的に人に影響を及ぼすものであるために、その責任に関してはあいまいになりやすいのです。
日本は倫理の高さで一流国家に
ホームページが多くの人を対象に情報を提供している以上、それも一種のメディアとしての性格を持ちあわせています。メディアは本来、「社会の木鐸(先達。指導者の意)」「社会の公器」と称される、あくまでも公的な媒介体であり、社会の健全なる発展に寄与する役割と使命を担っているのです。ホームページ開設者やプロバイダーのような情報発信者が、このことをはっきりと自覚し、自らを規制して良心に適った行動をとらない限り、今回のような事件は後を絶たないでしょう。そして、国民一人一人がそのレベルに止まっている限りは、日本全体の発展も見込めないのです。
今、日本が情報発展途上国の領域を越えて、真の情報先進国の段階に突入するためには、官民あわせての取り組みと国民一人一人の意識改革が必要です。「経済も二流」と言われはじめたわが国が、「これは一流である」と世界に誇るべきなのは、まず何よりも国民一人一人の倫理の高さであり、意識の高さであるべきではないでしょうか。そしてそのときになってはじめて、政治・経済・情報・教育においても一流な、「真の一流国家・日本」が誕生するのです。
21世紀まであと2年と迫った1999年。期しくもノストラダムスが予言した世界の滅亡の年。この年が日本にとって新生の幕開けの年となるか、滅亡への序章となるか、それは私たち国民一人一人の意識と行動にかかっているのです。
(A・Y)