新春特別インタビュー |
和光経済研究所 吉田 春樹 氏(S34・法卒) |
戦後最悪の不況にあえぐ日本経済。1999年、新しい年に日本経済の再生のきざしは見えるだろうか。今年最初のOBインタビューは、日本興業銀行、和光証券など、日本経済の中枢を通過し、現在和光経済研究所の理事長を務めている吉田春樹先輩。経済のプロフェッショナルである先輩に、今後の日本経済の見通しと東大生へのメッセージなどを語ってもらった。
吉田 春樹 氏 |
戦後の混乱期を脱して新時代に |
――まず、先輩の東大時代の思い出を聞かせてください。
私が東大に入ったのは昭和30年(1955年)で、卒業したのが昭和34年です。昭和30年という年は、翌年31年の経済白書によって「もはや戦後ではない」と宣言された年で、経済的には戦後の混乱期をようやく脱出して、高度成長期が始まった時でした。政治の世界では、それ以降の日本の政治体制の基盤となる有名な「55年体制」が確立した年でした。ちょうど日本が戦争に負けて10年たって、新しい時代に入ったと言える時期だったのです。
ただ今になって振り返ってみると、経済的にはそれで良かったのですが、政治的には第二次世界大戦が終わってすぐ東西冷戦体制に入りました。
その中で、西側陣営と東側陣営のどちら側に立つか。資本主義なのか共産主義なのか。そういう選択の中で民主主義が唱えられた結果、民主主義は本来の民主主義とは違う概念で捉えられてしまった。戦時中の反動もあって、階級闘争で労働者の側に立つことがデモクラシーと考えられていました。
しかし、本当の民主主義社会というのは、個々人が自分の「個」を確立して自己責任を問う社会です。ところが、そういう意識改革に手をつけないまま、イデオロギーばかりが前面に出て、日本は民主国家だとみんなが思い込んでしまった。実はそれが今日まで続いているのです。それが今の官民の乱れにつながっているのではないかと思います。
本郷には最高学府の頂点の魅力 |
当時駒場の方にはまだ旧制高校の名残りがありました。私にとっても駒場は人格形成の場であったといえるでしょう。今でも年に一回そのときの仲間でクラス会をしています。
それに対して本郷には最高学府の頂点としての魅力がありました。ただ、正直なところ、その最高学府の頂点で毎年同じ話をする学者の講義には少々不満を感じていましたが…。
私は法律相談所に入っていました。東大の法学部というのは、ただ条文としての法律を勉強するのではなく、法とは何か、社会の本質は何かを問うのです。リーガル・マインドといって、正義というものをものさしにして社会の本質を見極めていく、その修練の場でした。
しかし、今の立場から見てみると、アメリカなんかではビジネススクールがあって、学問を職業の技術として学んでいますが、当時の日本の大学にはそういう考えはありませんでした。人間としての基礎を形成して、社会人になってから改めていろいろな職業の知識を吸収する。だから、企業に入ってから再び教育しなければならないのです。
政治・社会を原点に経済を分析 |
――日本経済の中核を担って来られ、現在和光経済研究所の理事長をされている先輩の眼からご覧になって、21世紀、日本の経済はどうなると思われますか?
まず、私がなぜ法律を勉強して経済を専門にしているのかという疑問があるでしょう。これからの時代は専門家が求められるでしょうが、私たちの時代はというと、オールラウンドプレイヤーが求められていたのです。しかも私が最初に入ったのは銀行なので、そこで経済を勉強することが求められたのです。しかし、私は法律を勉強していましたから、経済を分析する方法としても、やはり政治や社会を原点として考えています。
性急な改善計画で真性デフレに |
次に、なぜ今の日本の経済がこのようになってしまったのかを簡単にお話ししましょう。日本の経済は、株価で言うと89年、土地の価格で言えば90年から91年をピークとして、その後バブルが崩壊しましたが、その時に対応を間違えてしまったのです。バブルが崩壊したという認識も弱かったし、それがどんな影響をもたらすのかという理解も弱かった。その結果、日本経済は資産デフレに入ってしまいました。資産価格の下落と実体経済の悪化という悪循環が90年代はずっと続きました。その上、96年から性急に財政改善計画に取り組んだことによって、今度は真性デフレに陥ってしまったのです。それがずっと今日まで続いています。
もう一つ、日本経済の低迷の背景には”メガ・コンペティション(大競争)”があります。冷戦が終わって、今まで農業国だったアジアの多くの国々が工業化を始めました。それに加えて、東欧諸国などのもともと工業の進んだ国も、民主化によって一斉に工業化を進めるようになったため、世界が大競争の時代に入ったのです。そうなれば、単純にモノを作るということだけで言えば、地価の安いところ、労賃の安いところが一番いいということになる。日本もその競争に巻き込まれて苦戦している現状なのです。
米国は今ポスト工業社会に移行 |
――それでは、日本経済の低迷は今後もかなり続くのでしょうか?
私はそうは思いません。
アメリカの社会学者ダニエル・ベルが30年近くも前に"ポスト工業社会"の到来を予告しました。20世紀の終わりか、21世紀の始めには、アメリカのような先進工業国家が工業社会段階を終わってポスト工業社会の段階に入るというのです。現実には、まさにアメリカは今その段階に入っています。
ポスト工業社会というのは、ダニエル・ベルによれば、情報社会であり、知識社会です。アメリカでは今、情報社会化が進み、それが経済活動を促しています。アメリカは工業社会では日本に負けました。低価格で質の良いものを作るという点においては、日本に負けてしまったのだけれど、いち早く工業社会を卒業してポスト工業社会に移行した。そして今、経済が非常に活気づいています。
ポスト工業社会は"「E」の時代" |
工業社会は人類が初めて動力をエネルギーとして使った社会で、人間の筋肉の代わりを機械がするようになった社会です。それに対してポスト工業社会は、人間の頭脳とか心の働きを機械がして、人間をサポートする社会なのです。コンピューターがその代表例です。私はこの社会を、エレクトロニクス(電子工学)に支えられた時代ということで"「E」の時代"と呼んでいます。これは専門家集団で構成される社会で、生産活動も消費活動も一変します。
工業社会として世界の最高峰を極めた日本ですが、日本がそこにとどまる限りメガ・コンペティションの渦の中から逃れることはできません。日本も早くポスト工業社会へ移行していかなければならないのです。
高齢者も働ける社会システムを |
――21世紀になると、日本はかつてない高齢社会に突入していきますが…。
高齢社会には二つの要素があります。一つは日本人が長生きするようになった、長寿社会になったということ。これは何の問題もありません。元気だから長生きするのだから、働く意欲のある高齢者が働ける社会を作ればいいのです。さきほども言いましたように、これからは頭脳の働き、心の働きが重要になってきます。力仕事はそんなにありません。高齢者も働くことのできる社会システムを作ればいいのです。
しかし、問題はもう一つの要素、少子化です。これだけはみなさん若い世代にお願いするしかありません。ただ、子育てができる社会、子育てが楽しい社会を作る努力を、国の政策として取り組むことは必要です。
先進国として世界の課題に関与 |
――そうしますと、これからの日本が取り組まなければならない課題は何でしょうか?
まず、工業社会を卒業してポスト工業社会へ移行するために、工業社会時代の社会システムを徹底的に変えていく必要があります。経済に関して言えば、徹底した自由化です。一度これを実現しないと、今の日本経済の低迷は打開できません。
また、日本は今でもやはり世界の経済大国です。その日本がこれからどうやって世界のために貢献していけるか。人口増大、地球環境悪化といった人類共通の課題。日本は先進工業国としてもっとこれらの課題に積極的に関与し、提言し、実行していかなければなりません。工業社会は競争社会であり、"モノ"が価値をもっていました。しかし、これからは新しい時代にふさわしい新しい哲学が必要です。これはぜひみなさんに考えていただきたいことですが、今までのモノの価値観から、心に価値を置く、あるいは考えることを重視する、そういう哲学が必要だと思います。私は東洋にある日本なら、それを打ち立てやすいのではないか思っています。
一方で、競争原理の働く市場経済にどのように倫理を確立するか。これも重要な課題です。残念ながら日本の経済界にはまだ倫理が不足しています。もう少し経済活動の中に倫理観を入れていかなければいけないと思います。
実践的学術の場としても最高に |
――最後に21世紀を担う東大生へのメッセージをお願いします。
東大がどういう大学であってほしいかといえば、絶えず世界を考え、日本を考える場であってほしいと思います。特に学生のみなさんには。東大はそのような若者たちの集まりの場であってほしいという思いがあります。
また、欲張っているようですが、人類の未来を担う崇高な思索の場であると同時に、実践的な学術の場としても世界最高水準であってほしいですね。学問というのは本来そういうものです。上に天井はありません。
また、エレクトロニクスが人間の頭脳活動を拡大する21世紀、情報社会時代は、哲学の時代であると思います。モノの時代にはモノの哲学があったように、21世紀、心の時代にはそれにふさわしい新しい哲学が求められます。それが21世紀ポスト工業社会の一つの課題です。哲学は、各学問分野の究極に存在する学問分野です。
英語は徹底的にマスターせよ |
また、これから世界の中で日本を位置付けていくためには、インターネットをもっと活用していかなければなりません。そして世界的な視野を身につけていくのです。ここで、問題となってくるのが言葉の問題です。やはり日本は日本語の社会です。しかし、それではこれからの世界に通用しません。国際用語としての英語だけは徹底的にマスターしてほしいですね。
「個」の確立された社会が急務 |
もう一つ、東大のみなさんに望むこととしては、私たちの世代は誤った認識から民主化に入ってしまいました。当時は東西対立があり、資本主義か共産主義かという議論が本気でありました。そのため論理だけが先走ってしまったのです。しかし、本当の民主主義というのは、各人が自分の「個」を確立し、自己責任を持ちながら、お互いに意見をぶつけあい、最後は多数決で決めていくものだと思います。一日も早く「個」を確立し、21世紀に世界的に通用する民主主義を確立しなければなりません。それをみなさんに託したいと思います。
日本は本当の民主主義が確立していませんが、国民の政治に対する意識が非常に低い国です。政治は国民の姿を鏡で映したようなものだと思います。政治を見て、「何だ。この政治は」と思うならば、それは国民がその程度の意識しか持っていないということです。ここを変えていかないと21世紀の日本の社会は良くなりません。これは非常に大きな課題で、これから将来を担うみなさんに期待しています。
(よしだ・はるき) 昭和10年(1935)1月26日生まれ。昭和34年3月東大法学部卒。同年4月株式会社日本興業銀行入行。昭和52年和光証券株式会社企画管理室長、昭和58年株式会社日本興業銀行業務部副部長、昭和61年同行営業第一部長、昭和62年同行取締役産業調査部長を歴任。平成3年6月からは株式会社和光経済研究所専務取締役に。平成4年6月に同社取締役社長に就任。平成10年同社理事長に就任。 |