淡青手帳

第835号(2001年7月5日号)

 テストシーズン。シケプリ(試験対策プリント)集めに奔走する学生の姿が学内のあちこちで見られるようになる。普段は交流がないクラスメートとも、このときばかりは交流が復活。アクセスすれば、シケプリを簡単に手に入れられるホームページも大活躍だ。真面目に授業に出たかよりも、シケプリ集めのネットワークの確保といった要領のよさが問われるのが実情で、大学の勉強とはこうして乗り切るものなのだと偏見を持ってしまう一年生がいても責めることはできない。これが有名な「東大の悪習」である。

 何のために勉強するのかという大きな目標が見えなくなりやすい時期でもある。しかし専門課程に進めば、また東大を卒業すれば、そこでは全く別の評価基準が待ち構えていることを忘れてはならない。

 しかし、かくいう淡青子もまさに悪習に染まっていた一人だった。そうやってとりあえず乗り切ってきた講義は、今は全く身についてはおらず、勉強に対する充実感を持てなかったことを後悔している。

 最終的には、どれだけ自分が納得のいく学生生活を送ったかが大学の意義を決定する。社会に出ても、またどの世界に行ったとしても通用するような普遍の価値を、この東大で身につけたいという情熱だけは失いたくはない。

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