淡青手帳

第836号(2001年7月15日号)

 夏も真っ盛り。冷房で快適な部屋を一歩外に出た瞬間、なんとも言えないむっとした熱気に包まれる。駅から学校という短い距離を歩く中で汗が噴き出す。しかし授業の行われる教室に入れば、また快適な環境に包まれ、その中で講義に聞き入ることができる。

 小さい頃、扇風機を側で回しつつ、それでも流れ出る汗をぬぐいながら机に向かった記憶がかすかに残っている。小学校では下敷きを団扇代わりにしながらあおいだ。いつからだろう、こんな快適な環境が当然と感じるようになったのは。そしてその環境が満たされないことに不満を抱くようになったのは。

 今の環境を当たり前のように感じてはいるが、それが当たり前でなかった時代もあったであろう。その時代から多くの人々が快適な生活を求め、そのためにさまざまな努力がなされ、工夫が凝らされてきた。そのおかげで今、これほどまでに快適な環境が与えられている。

 周りをよく見ればそれが冷房だけではないことに気付く。自動車、電車、エレベータ、パソコン、インターネット…。身近すぎて気にも留めなかったものの中にもそのありがたさ、便利さを発見する。先人たちの苦労の上に成り立つ快適さ。

 ありふれた暑い一日、ありふれた環境の中に、胸の奥深くからこみ上げる感謝の思いがあった。

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