淡青手帳

第860号(2002年5月15日号)

 通学・通勤の時間というのは、人にとってどういう意味を占めるかとふと考えてみる。あるアンケート結果を見ると、電車利用の場合では片道60分から90分というのが大きな割合を占めた。またその間どのようにして過ごすかという質問に対して、主体的な行動の部類としては本を読むなどが挙げられ、受身的なものとしては車内広告を見る、寝るなどが挙げられていた。また最近では、携帯等でのメールのやり取りも比率が伸びてきている。基本的に身動きがとれないので、主体的な行動としては情報収集が主として挙げられるだろう。。

 最近、途中下車して歩くことがすこし趣味になってきている。電車内での唯一の主体的行動である情報収集にうんざりしたときにしばしば行っている。この場合、歩くという行動をとらざるを得ない。また、風景の移り変わりを自動的に確認する。確実に車内と別種の刺激が得られる。

 到着までの時間を計るのも何か楽しい。小中の頃は学校まで30分かけて歩いて通っていたし、また高校へは自転車で30分かけて通っていた。その時間は、いろいろとボーっと考え事をしていた。しかしある意味効率よく頭が回転したのではと今では思う。それに比べると、電車の中で過ごす時間はいろいろ視点から、やはり得るものが少ない。

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