淡青手帳

第884号(2003年3月25日号)

 3月は卒業式のシーズンである。教育期間を終了し卒業していく先輩方を見ていると、大人の世界へ押し出される者の逃げ場のない真剣さを感じる。

 教育改革は古くて新しい問題だ。教育基本法の改正や、青少年の道徳的問題など議論すべきことは多い。これらの問題の中に人間を教育する、人間をつくるという社会の根本事業に対する意識の低さを見る人も少なくない。

 「戦後」とは国民国家の解体の始まりであったといえるのではないか。未来を担うべき人間を教育していくことは、まさしく社会をつくることだと言い換えることができる。この自明の事実が国家概念や伝統的価値観の解体、廃棄と共に忘れられていったとしても、それは驚くにはあたらない。だが、そうした現状に抗して、人間をつくるという観点から伝統的価値観を見直していくことが必要である。

 映画、壬生義士伝を見た。そもそも義士という言葉の魅力を感じられる日本人がどれだけいるのだろうか。義、誠、信といった価値が、日本人の中からするりと流れ落ちてしまったと感ずる。果たしてそのような人間が日本人と言えるのか。日本国籍を持ったものでしかなく、日本の歴史、伝統を受け継いだ人間とは言えないのではないか。それではあまりにも悲しすぎる。

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