淡青手帳

第886号(2003年4月15日号)

 駒場の桜も葉桜になってきた。今年は、雨や風にもよく耐え、ずいぶん長く桜を楽しむことができたように思う。

 以前、「華やかに咲く桜よりもまだ冬の寒い時期に凛と咲く梅の方が好き」と言ったときに「まだまだ若いですね」と答えた古文の先生がいた。先生曰く、「満開の桜が、風に吹かれて一気に散る、その姿に感じるなんともいえない哀愁は、歳を重ねないとわからない」ということだった。そんな哀愁、切なさを美しいと感じるには、十代ではまだ若い、と。

 日本人は古くから桜を愛してきたが、この「散る」美しさが強調されるようになったのはそう古いことではない。近世において、「仮名手本忠臣蔵」という歌舞伎作品での切腹の場面の演出に、散る桜が用いられたのがきっかけだ。「花は桜木、人は武士」という台詞が人気を博し、かつてはその美しさのみを好んで語られてきた桜が、歌舞伎という空間で、「散る」生命の花となった。幕末の革命志士たちは、散り際の潔さを求めて、桜を好んで歌ったという。

 散る生命への哀愁ゆえの美しさ・・・。もっとわかりやすい美しさが良い、と思うのは、やはり若さゆえのことなのだろうか。どうせ歳をとるなら、そんな繊細な美しさがわかるように、素敵に歳を重ねたいものだ。

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