淡青手帳

第896号(2003年8月25日号)

 プロ野球読売ジャイアンツの川相昌弘選手が10日、511打目の犠打を成功させて世界記録に並んだ。犠打は、外野フライやバントで自分自身はアウトになる代わりにランナーを進塁させる戦法で、その成否が試合の勝敗を左右することも少なくない。犠打は、その見た目の地味さから安打や本塁打と比して成功するのが当然のように見られやすい。しかし、その犠打を当然のようにやってのけることは、実は決して容易ではない。だからこそ記録として残され、その蓄積は賞賛の対象となるのだ。

 この夏、1年半ぶりに帰省した。水面に映える花火を家族で観覧したり、お墓参りをして祖先に祈りを捧げたり、親戚への挨拶回りをしたりして久しぶりに一家団らんのひとときを過ごした。家族で過ごすということは、大学に進学するまでは当たり前だったが、親元を離れた今では貴重な時間になっている。

 当たり前のことが当たり前に存在すること、当たり前になされることの喜び。それは、家族が一緒に過ごすことであったり、犠打が成功することであったりする。忘れられやすいことではあるが、この「当たり前」が貴いのだ▽健康であること、食事がいただけること、学問に専心はげめること、なんでもない日常を送れることが、微妙な世界情勢の続く昨今では特にありがたく感じられる。

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