1996年8月25日発行 第689号

医科学研究所

がん患者の遺伝子治療承認

国内では初のケース

 本学医科学研究所付属病院の審査委員会(委員長・黒木登志夫名誉教授)は今月六日、腎(じん)臓がん患者に対する遺伝子治療の実施を承認した。治療に当たる谷憲三朗助教授らのグループは十月にも、厚生、文部両省に承認を求める。遺伝子治療が学内で正式に承認されたのは北海道大(実施中)、熊本大(国に申請中)に次いで三件目。がん治療では初のケースである。

 申請に当たって、同グループは特定の患者を対象にしない方針。末期がんが対象であり、この段階で特定したとしても、国に承認されるまでの間に患者が死亡してしまう恐れがあるため、と説明している。一方、北大と熊本大は、患者を特定してから承認を申請している。
 肺や骨などに転移した進行期の腎臓がんでは、手術や抗がん剤の効果はほとんど期待されていない。このため「がんワクチン」で患者の免疫力を高める方法がとられる。
 治療計画によると、対象となるのは、腎臓がんのほとんどを占める腎細胞がん、特に余命六か月から一年の末期進行性のがんの患者。
 患者からがん細胞を取り出し、これにレトロウイルスのベクター(遺伝子の運び役)で、「顆粒球マクロファージコロニー刺激因子」(GM−CSF)の遺伝子を細胞に組み込む。遺伝子導入後のがん細胞に放射線を照射して増殖性を奪った上で、これを皮内注射すると患者の免疫系が活性化され、がん細胞が攻撃されるという。
 医科研によると、本学と同じ方法の腎臓がんの治療は一九九四年一月、米ジョンズホプキンス大学が開始。治療を受けた八人のうち一人は転移が消える効果があったという。
 今後は、厚生省、文部省に申請し、それぞれの審査機関で検討する。米国への依存度が大きいため審査データの確認作業など、最終的な国の承認が得られるまでには時間がかかりそうだ。

●解説● 日本での遺伝子治療の臨床応用は昨年八月、北海道大で始まった。ここでは、生命維持に欠かせない酵素の一種が先天的につくれないまれな病気が対象だったが、遺伝子治療の本命は「がんの克服」とみられている。
 遺伝子治療で先行する米国では、この傾向が顕著だ。一九九五年までに米国立衛生研究所(NIH)の組換えDNA諮問委員会(RAC)で承認された治療計画は百十二件。内訳を見ると、圧倒的に多いのはがんで七十一件あり、全体の六三%を占める。
 がんについてはメラーマ(悪性黒色しゅ)、腎臓がん、肺がん、大腸がん、脳しゅようなど、ほとんどあらゆる種類が対象になっている。そのほか遺伝病が二十四件、エイズが十四件など。
 研究の対象になっているのがはバイオ関連のベンチャー企業だ。北大の場合、本学医科研も基本的には米ソマティックス・セラピー社が開発した技術に依存している。
 本学で患者から採取されたがん細胞は米国に送られ、遺伝子導入や安全性チェックを済ませた後、日本に返送。日本ではがん細胞の採取と、遺伝子導入後の細胞を患者に戻すステップだけを担当する。このため、国内で治療用の遺伝子を組み込むのに使うベクターの開発、安全性チェックなどができる体制をどうつくるかが課題。

丸山真男名誉教授が死去

政治思想界に大きな影響

 「日本政治思想史研究」などで知られ、戦後の政治思想界に大きな影響を与えた本学名誉教授で学士院会員の丸山真男(まるやま・まさお)氏が今月十五日午後七時五分、肝臓ガンのため都内の病院で死去した。八十二歳だった。大阪市出身。自宅は東京都武蔵野市吉祥寺東町二ノ四四ノ五。故人の遺志により、葬儀、告別式は行わず、密葬が十七日に近親者だけで済まされた。二十六日午後一時から新宿区南元町一九ノ二の千日会堂で、門下生の学者や親しい人たちによるしのぶ会が開かれる。遺族は妻ゆか里(ゆかり)さん。
 一九三七年、本学法学部政治学科卒業。助手、助教授を経て、五〇年から七一年まで同学部教授を務めた。東洋政治思想史講座を担当。徳川期、幕末の政治思想史に関する論文を発表。復員後の四六年、雑誌「世界」に「超国家主義の論理と心理」を発表して注目を集めた。
 戦後知識人の代表的存在として、政治思想史の分野で日本の精神風土を鋭く分析、“丸山政治学”と呼ばれる独自の学風を築き、戦後の思想界をリードし続けた。六〇年安保問題など、現実政治についても積極的に発言し、社会的影響力もあった。
 「日本政治思想史研究」「現代政治の思想と行動」「日本の思想」は英独仏語などに翻訳され、西欧では日本研究の“古典”とされるなど、国内外で高い評価を得た。
 七三年、米プリンストン大で名誉文学博士、ハーバード大で名誉法学博士号を授与された。日本人が人文関係で名誉博士称号を受けるのは、ハーバードでは宗教学者の姉崎正治氏以来、プリンストンでは初。
 七七年には、戦中から戦後までの発言を集めた「戦中と戦後の間」で大仏次郎賞を受賞。この間、著作のいくつかは、英独仏中韓など各国語に訳され、八六年には朝日賞も受けた。
 二年ほど前から入退院を繰り返していたが、著述意欲は最後まで衰えなかったという。

国家公務員T種試験

本学437人でトップ

私立大は軒並み減少

 人事院は今月十四日、中央省庁の幹部候補となる平成八年度の国家公務員T種試験の合格者を発表した。合格者は千五百八十三人で、うち女性は前年度比一〇・六%増の二百三十九人と過去最高。全体に占める割合も一五・一%と、初めて一五%を超えた。
 出身大学別では、本学が前年度より九人増の四百三十七人で例年通りトップとなり、全体の合格者数の二七・六%を占めた。
 京大、名大、東工大、東北大なども合格数を伸ばし、国立大出身者の割合は八〇・八%と七年ぶりに八割に達した。
 一方、私立大の合格者は昨年度より五十人少ない二百八十人。早大が一人増やして八十九人になったほかは、慶大が十二人減の五十三人になるなど、軒並み減少した。
 また、「高級官僚」に登用される事務系(行政、法律、経済の三試験区分)に限って見ると、本学の合格者は昨年より十二人増の百九十人。事務系に占める割合も四一・九%と昨年度から四・三ポイント上昇した。
 人事院は女性合格者の増加について「受験申込者数が最も多かったことが影響した」と説明しているが、本学の合格者増については「分析できない」としている。
 本年度の申込者数は前年度比四・二%増の四万五千二百五十四人。しかし政府がT種の試験合格者採用を一割程度削減する方針を決めたことから、合格者は五十三人減少。平均倍率は二八・六倍と前年度をやや上回った。また行政職の倍率は一五三・二倍と過去最高になった。
 各省庁は今後合格者を面接し、十月一日には計約七百二十人の採用者を内定する。

外務も本学16人でトップ

 外務省は今月十四日、将来の幹部職員候補となる平成八年度の外務公務員T種試験の最終合格者を発表した。合格者は前年度より二人減の二十六人で、このうち女性は二人減の一人にとどまった。
 出身大学別の内訳は、本学が十六人でトップ、次いで慶大四人(うち女性一人)、京大三人、一橋大、東京外大、上智大がそれぞれ一人。
 政府は七月三十日の閣議で、国家T種の九年度の新規採用について一割縮減することを決定。外務省は今年四月、外務公務員試験以外の合格者を一人を含め計二十九人を採用しているため、閣議決定に基づき三人減の二十六人を本年度の合格者とした、と説明している。
 今回の受験申込者は千百八十四人(うち女性は百三十九人)と昨年度より三人多いが、実際の受験者数じゃ五百八十六人と平成に入って最も多かった平成七年度(六百三十七人)を下回り、競争率は二二・五倍だった。

コラム・淡青手帳

 夏もそろそろ終わりに近づいてきた。今年は、四年に一度のオリンピックが行われ、たくさんの人が、夜遅くまでテレビを見ていたことであろう。日本選手の成績が良くなかったのは残念だった▼ところで、試合にはそれぞれ勝敗がつきもの。勝者がいれば敗者も当然いる。「負けた方が得られるものは大きい」といわれるが、負けたとき、そこから自分自身の不足さ、幼さを知り、謙虚な姿勢でより上を目指して努力しようという姿勢があるならば、得られるものは大きいだろう。しかし負けたとき、「あの時はたまたま調子がわるかったのだ」「ついてなかっただけだ」と、自分自身の弱さを隠し、不足さを反省しなければ、それ以上の向上はないのではないか▼勝った場合も、「実力で勝ったのだ」と傲慢に思ったり、「自分がうまいからチームも勝ったのだ」と考えるのでは、その人の向上はそこまでと言ってもいいのではないだろうか。つねに謙虚な姿勢で、周りの人々に感謝しようという気持ちが大切だろう▼日本は今まで、「欧米に勝つ」という明確な目標をもって努力してきた。今や、その目標は達成されたとも言える。しかし、日本が経済的に復興したのは「日本に実力があったからだ」と思っていたら、今以上の発展はないだろう。日本一国だけで経済復興できたわけではない。世界にはたくさんの国々がある。そういう国々との共生を考えずして、日本だけの栄光を求めたら、いつまでたっても日本は世界の仲間入りができないだろう。共生共栄を軸にした、新しい目標が必要だ▼これから、日本の将来を担う学生として、経済発展してきた過去の実績に溺れ傲慢になることなく、新たな高い次元の目標を模索しつつ、勉学に励んでいきたい。

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