1996年9月5日発行 第690号

特集

バイオビレッジ建設構想

―21世紀の地球環境を考える―

 二十一世紀に向けて、ますますその深刻さを増している地球環境の現状……。自然と人間が調和し、しかも永続的発展を可能にする社会の構築はいったい可能なのであろうか。ここでは、日本から最も近い半沙漠地帯にあたる中国内蒙古自治区ホルチン沙漠で、沙漠化防止と自然生態系の復元を本格的にスタートした「バイオビレッジプロジェクト」に焦点をあててみる。

1.プロジェクトの概要

 場所は、中国内蒙古自治区哲里木盟(ジリムメイ)庫倫旗(クリンチ)地域で、北京から東北へ約五〇〇q、瀋陽から北西へ約一五〇qに位置する(図1)。この地は、日本から最も近い半沙漠であり、世界の沙漠化が進行している地域としても最も近い場所にあたる。
 そこで、地元政府機関および住民と協力し、植林活動等の沙漠化防止と並行して、中小規模の地元主体の地場産業を興し、地域住民の生活の安定化・活性化を図り、持続可能な生産活動ができるようにし、自然と調和のとれた緑豊かな村落「バイオビレッジ」を創設することをめざす。つまり、沙漠化防治(沙漠化を防止し、さらに永続的に治める)とともに、持続的な自然生態系復元の達成に寄与することを目的とするプロジェクトである。
 一九九四年、菊池豊氏(沙漠植林ボランティア協会会長)が、庫倫旗政府の要請で、約三〇〇〇fの共有地を緑化すべく、二十五年間の無償貸与契約を交わしており、このプロジェクトは、そのうちの約五〇〇fの地区を担当している。チームリーダーは、現在、日本沙漠学会事務局長兼バイオビレッジ分科会会長の長濱直氏である。

2. 基本構想

 従来の開発の背景には、二つの理念があり、一つは自然(生態系)中心主義で、もう一つは技術中心主義である。真に可能な持続的開発は、この両者の組み合わせにより、地域社会主義や調和型開発主義などが融合した理念、すなわち、自然と生態系を維持しながら、持続的な開発をすることであり、このような観点から、バイオビレッジ構想は出発している。
 沙漠化が進行している、あるいは、今のままではその恐れがある地域を、かつての緑豊かな生態系に戻すことを目標にし、自然環境を悪化させない技術、環境蘇生型技術を積極的に活用して、地域主体の農・林・畜・水・工・複合による持続可能な自立社会を形成していくことだという。いわゆる総合的な森林農場づくりの構想である。

3. プロジェクト実施計画

 すでに第一の候補地である烏旦他拉地域を選定(図2参照)。以前は、森と草原の豊かな大地が広がっていたが、行き過ぎた放牧や土地管理の失敗などの影響で、百年ほど前から急速に沙漠化が進み、現在も歯止めがかかっていない。実際、90%以上が、半沙漠といった状況である。気候は大陸性半乾燥、年間降水量は約400o(6月〜8月に集中)である。
 しかし、良質の水資源は得やすく、防風林の苗木の活着率は高く、緑化の成功の確率は非常に高い。実際、四年前に囲柵・植林をした地域には、野生草花が咲き誇り、数多くの鳥の巣に卵が発見される等、自然生態系の回復力は大きいという。
今年度、環境事業団の地球環境基金から助成金が交付され、大きく前進することができた。
 この八月には、その地域最大の夏祭り「ナーダム大会」が、バイオビレッジ構想をもとにしたプロジェクト名称である「環境教育林建設工事」の開業式を兼ねて行われた。そこで村長は、環境教育林の建設のスタートが我々にとって大きな励ましとなり、千年に亘り忘れない財産になるという内容のスピーチを行った。
具体的には、まず、建設予定地の周囲十二・五qに囲い柵をつくり、沙漠化の原因にもつながる、山羊、馬、牛、羊など、放牧家畜の侵入を防ぐ。次に、防風林・防砂林として、ポプラ、松、柳、沙棘などを植林していく。その他、針葉樹等の経済林を植えたり、果樹園や水田をつくったり、そして養殖場など、農林水産業が計画されている。もちろん、地域主体の地場産業の具体的検討も行われている。
 バイオビレッジプロジェクトの未来においては、まだ漠然としているところもあるが、着実に前進しているのは確かである。二十一世紀の人類に大きな夢と希望を与えうる可能性を秘めている。
 また、未来を担う学生・青年の参加が待たれるところである。

蛇と文明(20)

ストーンサークル

4.ストーンサークル(環状列石)

 ストーンサークルはメンヒルが円形に並べられたもので、フランス語ではクロムレク(cromlech)といい、アリニュマンと組み合わされている場合もある。直径五〇メートルに及ぶものから一メートル程度のものまであり、時代的には新石器時代から金属器時代初期のものが多いが、中には歴史時代に造られたものもある。  ストーンサークルには、大別して二種類ある。一つは巨石墓などの墳墓の部分として個々の墓の外縁に造られるもの、もう一つは我々がこれから取り上げるメンヒルを含む組石が円形に並んだものや、信仰の対象と考えられるものなどである。これにはイギリスのストーンヘンジ、エイバリー、フランスのエル・ラ二ック、インドのブラフマギリ、日本では秋田県の大湯などがよく知られている。大湯の環状列石遺跡のすぐ近くから、縄文時代中期に属する日本最大の直径六〇メートルのストーンサークルが発見された。  エル・ラニック島はロクマリアケの町から約三.五キロの海上、モルビアン湾の入口近くにある小さな無人島である。島にあるクロムレクは、列石の半数を地上に残して海に沈んでしまったが、紀元前四〇〇〇〜三五〇〇年頃には陸の上にあったと思われている。  次にストーンヘンジとエイバリーについて簡単に紹介しよう。

(1)ストーンヘンジ

 この巨石記念物は、直径約一〇〇メートルの円形の内側の堤に囲まれている。構造図が示すように、初めにオーブレー穴、あるいはX穴と呼ばれる五十六個の穴があり、その内側に三十個のY穴と、二十九個のZ穴が掘られていた。今はそのうちの約半数が、ほぼ半円をなして残っている。  その内側の部分がストーンヘンジの主要な部分で、中心へ向かってサルセン石(sarsenとは「邪教」の意)からなる円、ブルーストーンからなる円、サルセン石からなる馬蹄形、およびブルーストーンからなる馬蹄形があって、中心部に薄緑の祭壇の石が埋められている。この馬蹄形の列石はヒールストーン(かかと石)のあるアヴェニューに向かって開き、四つのオブレー穴(構造図の91〜94番)がZ穴のすぐ内側のサルセン石のサークルを囲んで、長方形を描くように造られていた。このアヴェニューは夏至の日の出方向に向かって延びているが、しばらく行くと方向を変えて、東南東にあるエイボン川まで全長約二七八〇メートル続いている。

天体観測に最も 相応しい位置に

 G・S・ホーキンズは、オーブレー穴五十六という数が、日月食に関係のある月の交点の逆行周期をなす十八.六一年の三倍に近い数である点、そして三十個のY穴と二十九個のZ穴の合計五十九という数が、一朔望月(新月から新月まで、あるいは満月から満月まで)の二倍の数である点に注目した。そしてコンピューターで検証した結果、ストーンヘンジは夏至や冬至、春秋分点の太陽や月の出入りの方向を観測し、また新月や満月の日に起こる日月食をも予測する天文台であったと判断している。  太陽と月の動きを細かいところまで眺めようとすると、ストーンヘンジは今日あるところに存在せねばならない。もしもストーンヘンジの位置が、ほんの幾分かでも北か南にずれていたら、外側にある測点石がなしている完全な長方形は、現在の状態で実現されている多目的な観測には役に立たないものになったであろう、とホーキンズは言う。実際、ワシントンDCの近くに造られたストーンヘンジの複製は、原型が緯度にして五度も離れたはるか南にあったために、それを天文学上の目的に用いることは不可能となった。巨石時代人はその目的を達成するために、明確なブループリントを持ち、あれだけの石を遠距離をいとわず運搬して天体観測をなすために最も適した、地球上の緯度と経度がなす一点に据えたのである。

建設者は異常 な能力の持主

 ホーキンズは、ストーンヘンジの建設者たちが、天文と幾何学の理論、設計能力、実際の建設技術を有する異常な能力の持主であると言っている。  G・ヴォークルールはストーンヘンジの影の位置を計算したが、サルセン円の最も南側のマグサ石の影は、記念碑のまさに中心点に落ちる。さらにサルセン円のマグサ石の影は、青い石の円の上へ落ちる。その位置が決まってしまえば、サルセン円や三石塔はどの高さにも建てることができる。建設者にとって、高さは自由に選べるパラメーターであった。従って、影の条件はよく考えられた上でのことである。  またボストン大学のG・ウィーベ博士によると、ストーンヘンジはオハイオの蛇塚と同様、上から眺めた場合に限って、特に強い印象を与えるという(G・S・ホーキンズ「ストーンヘンジの謎は解かれた」竹内均訳 新潮社 一九八三年 一五九、一九九〜二〇〇頁)

魔術師メルリン が造ったもの?

 ストーンヘンジは紀元前二八〇〇〜一一〇〇年までの約一七〇〇年の間に、四期にわたりこの地にやってきた幾つかの民族の手によって成ったものであるという。  BBCは一九五四年に、どのようにして平均四トンのブルーストーンを三八五キロも離れたウェールズのプレセリ山脈から運びだし、どのようにして平均三〇トンのサルセン砂岩を三〇キロ離れたエイバリー近くの丘陵地帯から運びだして、巨石を組立てていったかを再現している。  土地の人は魔術師メルリンが造ったものだと信じ、ストーンヘンジの石を水に入れて飲むと万病に効くと言っている。また、オーブレー穴からは、火葬に付された骨が発見されている。

         (つづく)
        

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