コンピュータゲーム機の歴史を語る時、任天堂とセガ抜きには何も語ることができない。しかし一九八三年七月に任天堂からファミリー・コンピュータ(以下、ファミコンと呼ぶ)が登場した頃、国内の家庭用テレビゲーム市場には、既に十四のライバルメーカーがひしめき合ってし烈な販売競争を展開していた。米国アタリ社「アタリ二八〇〇」を筆頭に、コモドール社「マックスマシーン」、に日本ではエポック社「カセットビジョン」、バンダイ「インテレビジョン」(一九八一)、ツクダ「オセロマルチビジョン」、セガ「SG−一〇〇〇」、それに統一規格パソコンのMSXを製造していたシャープ、カシオなどの家電メーカーの製品がそれである。任天堂はその中で最後発だった。アタリ社の「アタリ二八〇〇」は、累計二千万台を売るヒット商品であったし、バンダイの「インテレビジョン」やトミーの「ぴゅう太」は当時としては高級な一六ビットのCPUを搭載していた。
だが、勝負はあっけなくついた。ファミコンは、発売半年で四十四万台を売って早くも独走態勢に入り、一年後の八四年には百六十万台と、またたくまにシェアの九〇%を押さえてしまったのだ。
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これにはハードの失敗とソフトの失敗という二つの理由が挙げられる。まずハードの失敗についてだが、これは価格設定の失敗、それに、パソコンとゲーム機とのすみわけの問題が考えられる。
アタリ社「アタリ二八〇〇」は米国での成功から強気の営業姿勢をくずさず、当初は三万九千八百円売って欲しいと玩具問屋に話を持ち込んだ。その頃は多くの競合商品が既にあったから、問屋側は申し出に反発。二万九千八百円に下げたが、それでも難しいとわかり、一万九千八百円になった。場当たり的な価格政策や日本市場への無理解により、基本的な仕様を変えなかった。
モノで稼ぐ他社は失敗 |
バンダイ「インテレビジョン」は高級機種のため、価格は四万九千八百円。しかし、玩具としてはどう見ても高すぎたため、結局、一部のマニア層の熱狂的な支持を得るにとどまり、三万台弱の販売にとどまった。
バンダイは、「インテレビジョン」の失敗から、「アルカディア」を売出すことにしたが、発売にあたり、当初の予定価格二万九千八百円を一万九千八百円へと大幅に引き下げて万全を期し、まずまずのスタートをみせた。しかし、拡販しようとした矢先の同年七月になって、不幸にも「ファミコン」が登場し、普及までにはいたらなかった。
トミーの「ぴゅう太」の場合、「ゲーム専用機か、ゲームパソコンか」という問題が玩具業界で起こった。パソコンでもありゲーム機でもある、というのはとても魅力的だ。一台のマシンで二度おいしいのがこの特徴だ。価格も高めに設定できる。しかし、それが裏目にでた。ゲームパソコンという半端な位置で、一六ビットCPUという超最先端の技術は、開発にあたる技術者の多くの機能は詰込みがたがった。最初はもの珍しいかもしれないが、結局消費者にとっては使いにくく、見捨てられてしまい、八五年二月で発売中止に至った。
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失敗の原因は、ハード屋の思想を脱出できなかったことだ。モノで稼ぐという意識が強い各社は『ハードはなるべく安く、たくさん出して、ソフトで後から稼ぐ』という発想ができなかった。この発想を十分に生かしたのが任天堂であった。
次にソフトの失敗という点では、アタリ社の「アタリ2800」が良いケース・スタディになる。二千万台も売るブームとなったこのゲーム機も、そのブームが急速に冷え込むことで、アタリ社の経営が傾き始めてしまった。この唐突なブーム終焉の理由の一つがソフトの氾濫であった。
アタリ社は、パソコンのソフトの場合と同様に、ソフト会社がゲームソフトを開発、販売するのに際してなんら、歯止めをかけなかった。一方、ゲーム機は大ヒットとなり、“おいしい市場”とみたソフト会社が続々とアタリ社のゲーム機用のソフト市場に参入した。
その結果、多種多様のソフトが市場に出回った。中には質の悪いソフトも多く、ポルノまがいのソフトまで出回った。情報誌も発達していなかったので、消費者が粗悪なソフトを買ってプレイしてがっかりする、というケースも続質。ブームに水をかけることになってしまった。その後の、ファミコンの登場はアタリ社のゲーム機を完全に駆逐してしまった。ここで任天堂が学んだことは、『ゲーム機メーカーがソフトの品質を維持し粗製乱造をチェックする仕組を作らなければ“アタリショック”は避けられない』ということであった。
そこで任天堂はサードパーティとロイヤリティ契約を結び、開発したソフトは、全て任天堂にOEM生産を委託しなければならないというシステムを作り上げた。
このような理由で任天堂の「ファミコン」は一万四千八百円という安さで人気を博し、あっさりとシェアを伸ばしていった。
当時、日本では任天堂の「ゲームウオッチ」が大市場になっていた(ゲームボーイ(八九年四月発売)の原形と考えてよい)。その価格は三千円から六千円で、本体は二、三インチのモノクロ液晶画面より成り、簡単なゲームができる玩具だ。附属機能としてデジタルの時計がついていた。わずか数年でだめになってしまったが、最盛時は年間一千万台以上も売れる大ヒット商品になった。だから上のようなゲーム機の苦戦は、「日本ではゲーム機の代わりにゲームウオッチが大ヒットして」という考え方が支配的だった。SHかしこれはファミコンの登場で見事に覆された。
しかし、最後発であるファミコンがシェアを食っていったのは、『ハードはなるべく安く、たくさん出して、ソフトで後から稼ぐ』、『ゲーム機メーカーがソフトの品質を維持し粗製乱造をチェックする仕組を作らなければ“アタリショック”は避けられない』という考えと、最後発だからという強みがあったからだろう。
(注) OEM:(Original equipment Manufacturing)生産・相手先商標生産。ここでは任天堂がソフトメーカーからカセットの製造注文を受けて、相手先ブランドで供給する方式。 ゲームボーイ:八九年四月に発売された。携帯用のゲーム機。ファミコンのようにカセット交換ができ、八千円という安さもあって、大人気だった。特に芸能人やミュージシャンに絶大な人気を博した。初めは白いボディーだけであったが、最近は七〜八色の中から選べる。又はスーパーゲームボーイというカセットを買えば、スーファミでもゲームボーイができる。これは親切。無駄もなくなる、 液晶画面:(liquid crystal display)デジタル時計の画面と同じ。 |
タテのカギ
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