現代学校の相対化を

 今回は、昨年12月4日に行われた教育学部公開講座4日目のパネル討論を紹介する。
 テーマは「教育のオルタナティヴズ」で、パネラーとして五人の講師が登壇した。土方苑子・本学教育学部教授、汐見稔幸・本学教育学部助教授、西平直・本学教育学部助教授、寺崎弘昭・本学教育学部助教授、奥地圭子・東京シューレ主宰の五人である。
 この五人は、それまでの3日間で、一コマずつ講義を担当している。
 まず前半は、五人がそれぞれの講義のまとめと補足をした。


「学校は変わるもの」歴史は語る

 土方:ずいぶん前から、教員養成でも「日本教育史は知らなくてもよい」ということになっている。しかし、現在の教育は過去の教育の上にあるものだ。過去の教育を知ることも重要。
 「学校というのは、行かなくてはいけないもの」。それとは違った学校観でとらえることが今は難しい。昔は、「お茶の稽古があるので学校を休みます」と届けるのも普通だった。
 国や役所が「学校へ行け」と言っても、本人が本当に役に立つと思わないと学校へ行かないものだ。親も、「学校へ行かせないと社会に出て困る」とわかると、とにかく行かせる。
 学校や教育についての行動は我々自身が何を人生の幸福だと思うか、という一番根っこの身近なところからの行動であり、それが日本全体につながっているように思う。学校は変わるものであること、国ではなく、人々の行動が基本的には重要であること。歴史はそう語っているのではないか。

教師がカギを握るシュタイナー教育

 西平:「シュタイナー教育の秘密」というタイトルで話したが、秘密を解き明かすつもりはなかった。シュタイナーの人間観と教育方法をつなぐカギは何か。それが秘密と言えば秘密。
 シュタイナー教育の本質を受け入れるために、シュタイナー独特の思想・人間観を受け入れないといけないのか。そうではないと思う。シュタイナー教育の本質と彼の人間観の間に隙間がある。そこを教師がつないでいるのではないか。だから、マニュアルがあるわけではない。教師がすべてということになる。実際、シュタイナー学校の教師はかなり大変だろう。
 それから、講義でとばしてしまった「教師の権威」について補足したい。
 シュタイナーは「教師に権威がなければならない」と、繰り返し言う。しかし、押さえつける権威ではない。にじみ出る権威である。
 「尊敬する大人に従うことが必要な時期がある」と、シュタイナーは言う。早く自由になると、不安がつきまとうと言う。だから、「自由な教育」ではなく、「自由への教育」だと言われる。

中高年の自殺増「中高年の危機」

 寺崎:私はヨーロッパ教育史の担当である。今回は「人生区分の思想史」というテーマで講義した。結論として四点。@ライフサイクルは一つのミクロコスモス。A六十歳以上の老人は権威をもっていたが、近代以降凋落した。Byouth(青年・中年)の時期がもっとも危険。悩む時期。C青年期がモラトリアムという形で膨張し、かつ特権化した。
 今、日本は「青少年の危機」と言われているが、中高年の自殺が増えている。「中高年の危機」である。

学校を相対化し東京シューレを

 奥地:私はフリースクール「東京シューレ」を主宰している。
 以前は、学校の教師を22年間やっていた。なぜ公立学校の教師をしていた人間が、オルタナティヴな学校に今いるのか。それは「登校拒否」と出会ったからである。最初は、自分の息子だった。
 登校拒否を、問題がある子、心が病んでいる子、社会性がない子ととらえたら、フリースクールをつくる動きにはならなかっただろう。
 学校を絶対視する価値観が私にもあった。学校に行くのが絶対だと思っていた。しかし、登校拒否と出会い、学校相対化を考えた。そこで「東京シューレ」をつくり出した。
 その理念と特徴は以下のようになる。@子どもたちの居場所である。安心できるところ。A子どもたちの意思を尊重している。シューレに通う・通わないも、授業や行事への参加も自由。B子どもたちの自治を尊重。毎週のミーティングですべてを決定。C子どもたちの個の尊重。一斉・一律に全員が何かをするのではなく、個別性を大事に考えていく。
 やがて、子どもたちが学校を選べるような時代になっていけばいいと思う。

  《東大新報「こころの教育」取材班》