Soccer新世紀 vol.3

第821号(2001年1月15日号)

 第二次世界大戦後、初のW杯はブラジルで開催された。予選から棄権が相次ぎ、本大会は13チームによる変則的なリーグ方式で行われた。急激に力をつけてきたブラジルは地元開催のW杯で圧倒的な力を見せて、決勝リーグで2勝。ウルグアイとの優勝決定戦では引き分けでも優勝だった。しかし母国の優勝を信じて疑わない約20万人の観衆の前でウルグアイのギジャが決勝点を挙げ、ウルグアイの逆転優勝で幕を閉じる。
 この大会には、格下のアメリカに予想外に破れ一次リーグ敗退となったが、イングランドの初参加があった。開催国ブラジルの隣国アルゼンチン、それに東欧圏は殆どは不参加であったが、世界のサッカー大国の多くが顔を揃え、W杯は名実共に実力No.1を決める大会となった。これは、第二次世界大戦中に航空機産業が飛躍的に発達し、飛行機による移動が容易になったこともあったのもひとつの理由である。もっとも飛行機の信頼性はまだ低く、イングランドのクラブ、マンチェスター・ユナイテッドは'58年、飛行機事故で多くの名選手を失ってしまう。
 ヨーロッパでは「マジック・マジャール」と呼ばれていたハンガリーが4年間負けなしを記録していた。1954年のW杯では、優勝候補の大本命であった。前評判どおりの圧倒的な攻撃力で決勝に勝ち進むが、決勝で西独が予想に反して逆転勝利して優勝。第5回スイス大会は幕を閉じる。
 飛行機の普及により移動が安易になり、またナイトゲームも普及したこともあり、'50年代後半にはヨーロッパ・チャンピオンズカップも始まった。
 '50年代後半になり、西ヨーロッパでは、戦前からの名選手が引退し、また戦争の傷痕が大きかったこともあり、衰退していった。変わって王座に着いたのがブラジル。'58年、スウェーデンで行われたW杯では地元スウェーデンを破って初優勝する。この大会、後に“サッカーの神様”と呼ばれているペレが、弱冠17歳で鮮烈なW杯デビューを果たす。この大会では世界の強豪国がすべて参加を表明した初めての大会でもあった。
 西欧諸国の弱体化と同じように、日本のサッカーも'50年代の末までに第二次大戦の後遺症ですっかり弱体化してしまい、'58年、東京でのアジア大会ではフィリピンにまで敗れてしまう。
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