832号(2001年5月25日号)

学部長インタビュー

桐野 高明 教授
医学部長 桐野 高明 教授

医師養成の80分の1を担う

――医学部の簡単な紹介をお願いします。

 医学部では他学部と違い、学生は六年間在籍します。同じように6年間在籍する学部はもう一つ、農学部獣医学科があります。医学部では毎年100人の学生を受け入れ、100人の学生を送り出していますが、外国に1学年200人という大学があるのと比べると、数としては多くはありません。日本では、防衛医大を含めて80の大学から年間8000人の医学生が卒業しており、医師養成の80分の1を東大が担っていることになります。

教養学部で頭を切り替えよ

――医学部では、「教育」というものをどう捉え、それにどのように取り組んでいますか。

 どんな世の中になっても、医師を養成し、そのレベルを上げていくのは重要なことです。最近、医療に対するさまざまな批判が出ていますが、それは期待も大きいということだと思っています。医学部としては、その期待にきちんと応えていかなければなりません。東大生は、受験においては優れた結果を出したわけですが、医師としての能力と、受験時代の能力とがパラレルな関係にあるとはいえません。受験は一つの基準でしかないのです。東大に入ったことを誇りに思うのはかまいませんが、だからといって人格・識見ともに優れていると勘違いしているようでは困ります。本郷に来る前に、ぜひ教養学部で頭を切り替えてほしいと思います。
 教養学部に対しては次のような二つの考えがあります。一つは、東大が教養教育を放棄しなかったことは識見があったとする考え、もう一つは進学先が決まっている学生の場合、駒場での期間を漫然と過ごしてしまう危険性があるという批判です。理科三類のように進路が決まっている科類の場合には、教養学部での自己鍛錬を放棄してしまう学生が出てくるという問題があります。
 医学教育は今、大改革期にあるといえます。医師になるにしても、大学の教官になるとしても、相当の努力が必要とされるので、常に勉強していくという覚悟がない人は、せっかく東大まで来てもその甲斐がありません。知的に能力を発揮して、社会に貢献していくことが、大学で学ぶ目的の一つとして考えられるでしょう。
 医学部では今年の10月に新しい病院をオープンしますが、その一方で独立行政法人化の話が出ています。大学病院はその中で、微妙な立場になりつつあるのが現状です。大学の医学部というのは学生の教育と研究が重要であるから、臨床については先端的な分野だけ扱って一般の医療は他の病院に任せるべきだという意見も多くありますが、そのようなやり方がうまく行くことはあり得ません。医療というのは、先端医療が独立してあるのではないからです。患者は病院に一人の人間として来るのであって、一つの病気として来るわけではありません。どのような病気であっても、それを治すということにおいては同じ意味を持っているのです。欧米の病院で、先端医療で評判の高いところでも、それだけをやっているのではなく、その下にはしっかりとしたベースがあります。先端医療には、非常に広いベースがなければいけないのです。今、大学病院は、先端医療に縮小していくのではなく、むしろそれを含めた規模拡大を目指すべき時にあるといえるでしょう。これは拡張主義でモノを言っているのではなく、医学・医療の性質上、そうならざるを得ないのです。

教育・研究・医療を兼任

 次に基礎医学のことについてですが、大学は大学院大学になったとはいえ、学生教育にも大学院教育にも取り組んでいます。医学部の、附属病院を含めた任務とは、学部の学生に対しては教育を行い、大学院の学生とともに研究を行い、そして病院で診療を行うことなのです。こう言えば、われわれに課せられた任務は教育か研究か診療かのうちのどれかであると思うかもしれませんが、実際はそんなに簡単ではありません。なぜならそれぞれが独立しているのではなく、全て兼任する形となっているからです。私は医学部長であり、大学院の教官であり、学部の教官であり、病院の脳神経外科の科長でもあります。今、これらの4つの役職を兼任しています。それは大学院重点化の際に、人員は増やさないが、一人一人にもっと高いパフォーマンスが要求されることになったためです。しかし、研究で世界的業績をあげながら、病院も一流を目指し、素晴らしいレベルの教育もしなければならないというのは大変です。しかも人は増やさず、予算も増やさないとなれば、いっそう難しい面があるのです。何らかの方法でこの点を解決していかないと、全てを目指して全てを失うということになりかねません。東大医学部の機能分化を図って、ある教官は診療に、ある教官は研究に、ある教官は教育に全力を注ぐ構造を作っていかなければ難しいでしょう。

自分の目標を見出そう

――学生に、特に駒場の学生に求めることは何ですか。

 今の時代は目標を定めにくい時代です。将来何をしますかと聞かれても、答えにくいのが現実ではないでしょうか。しかし逆に、目標を定めにくい時代は、それだけ混沌としていて面白い時代といえるかもしれません。面白い時代というのは、頭の柔らかい、若い人でなければ変化に対応することができない時代です。若い人がよくよく考えて行動をするならば、今は面白い時代といえるでしょう。みんなの行くところにただついて行くというのは得策ではないと私は思います。
 目標が明らかに存在していて、それに向かってまっしぐらに頑張ればいいというのはむしろ簡単な時代の話です。目標を定めること、その選択こそが難しいのです。目標の選択に迷わなければ、いろんなものが簡単に解けていきます。例えていうならば、数学の問題でもつぼに入ったら、すぐに問題が解けていくでしょう。補助線を一本引けば、すぐに解けてしまうこともあります。逆に間違った方に進むと、どうあがいても解くことはできません。つまり、自分の能力を生かすためには、正しい目標を選ばなければいけないということなのです。ただ、目標を持つことが難しいということを自覚していないためにそうできないのです。だから、目標を見出すことは難しいという自覚がまず必要です。今はあらゆる可能性があり、やろうと思えば世界にはばたくチャンスはいくらでもある時だと思います。しかし、目標を定めることが難しいという自覚がないために、漫然と時を過ごしてしまう学生が多いのではないでしょうか。
 私が強調したいのは、自分の目標を見出しなさいということです。それは簡単ではありませんが、ぜひ頑張ってもらいたいと思います。


学部長から
贈る言葉


832号(5月25日号)

831号(5月15日号)

830号(5月5日号)

829号(4月25日号)

828号(4月15日号)