842号(2001年10月15日号)

知の肖像

◆総合文化研究科人類学講座
 伊藤 亞人 教授

まず隣の国を知るべき

伊藤 亞人 教授
 東京大学の韓国研究は文化人類学の泉靖一教授から始まったといえる。この先生は戦前に京城帝国大学で学び、終戦時には助教授を務めていた。終戦後はしばらく引揚者の支援活動に携わっていたが、東京大学に文化人類学分科が設置されたと同時に東大に迎え入れられた。この先生は、日韓国交回復後まもなく韓国の友人を訪ねたり、国際学会を機に韓国の学者と交流を持ち、ついに67年8月にはじめて韓国からの客員教授を迎え入れた。その頃の東京大学には客員教授という制度はなかったと思われるが、日韓国交正常化に伴い、泉教授が関係省庁に要請して、これを実現させたのである。その頃から本格的な韓国研究が立ち上げられていった。
 この頃伊藤教授は学生だった。当時の文化人類学の研究室では、遠いインドや南米、オセアニアに憧れを持つ学生が多かった中で、あえて韓国を選んだ伊藤教授は「隣の人を知らずにその向こうの人と付き合うわけにはいかない。まずは足元。身のまわりの社会、文化を理解するというのが先決ではないか」と話す。先生が学生だった当時、日本のジャーナリストや学者の間では、韓国について軍事独裁、人権抑圧国家と見る向きが強く、そういった中で韓国について研究することはまるでその政権を容認して、手を結ぶかのごとくに考える人も少なくなかったそうだ。政治的な緊張に加え、情報政治によって民衆の自由が抑圧されているような暗いイメージばかりが作り出されていたため、日本中がそうした新しい偏見で占められていた。東大出版会でも、「韓国」という言葉をタイトルに入れた本は出版しづらかったという。しかし「行ってみれば別になんでもなかった」という。先生が韓国へ行ったとき、戒厳令が敷かれたこともあったが、ソウルに戒厳令が敷かれたことを田舎の村の人たちは誰も知らなかったそうで、しかも外国人が全く規制を受けず村にずっと住んでいたと当時を振り返る。
 人類学はどこの社会にでも入っていくけれど、現地調査の許可なく自由に入国して調査できた国は、西洋以外では日本と韓国ぐらいしかなかった。現地の人との交流においても、最初は意見の違いから、いろいろ反論されたり、問い詰められたりすることがあったが、あるがままに接し、あるがままに対応し、一緒に考えていった。「基本的にどこの社会に行っても自分の社会できちんと通用するものはまあ通用する。最初は誤解があったとしても少なくとも理解してもらえる。そう思っていればいい。あいさつの仕方やしきたり、順序に多少の違いはあっても、社会性を身につけている人であればどこでもそれなりに大丈夫」と話す。そうして、お互いに分かり合えるようになっていくという。日本と全てにおいて似て非なる社会だから、文化的な差について深く考えさせられることが多く、あっという間に時間が過ぎていったそうだ。

韓国研究はやりがいある

 伊藤教授が研究を始めた頃は、歴史の文献研究はあっても、人類学や民俗学の分野での基礎的な作業である本格的な現地研究はまだなされていなかったという。だから、やることはたくさんあった。「自分にとっても初めての異文化だったし、韓国というフィールドが人類学のフィールドとして初めて一人の日本人の目の前にある。これは知的な興奮以外の何ものでもない。韓国の研究は非常にやりがいのある仕事だった」と伊藤教授は当時を振り返る。

「自分流」に研究分野広げる

 しかし当時、韓国研究は日本の社会の中で市民権を得ていたわけではなかった。研究費が全然出なかったのである。
 例えば文部省は若手研究者の現地研究生活を支援するためのスカラーシップを出しているのだが、韓国はその対象になってはいなかった。韓国研究でそれが始まったのは70年代中葉で、しかも毎年ではなくネパールと1年交代だった。タイやインドネシアはずっと早くから出ていたのだが、すぐ隣の韓国には研究費がなかったのだ。
 他方で「誰からもお金をもらわない研究というのは自由でよかった」と話す。研究費の援助を受ければ、財団や文部省に研究計画書や報告書を書かなくてはならない。研究計画を書くとそれを優先しないといけないし、とにかく形になる報告書を書こうとするため、時間やテーマなど、小さく完結させてしまいがちになる。
 そういう必要がなかったので、なんでもかんでも自由にできた。計画にとらわれずに自分流で研究ができたという。やりたいことからできる。やれることからやる。それから関連を追っていくといくらでも広がっていった。歴史も必要になってくる。儒学、思想も研究したい。文学や詩、文人画、伝統音楽、宗教儀礼などもみんな関連してくる。そうして時折わき道にそれたとしても韓国というフィールドがなくなってしまうわけではない。生活がある程度保障されていればずっと研究を続けていける。お金はなくても、そういう条件に恵まれていたことが何よりも幸いで、悠然と時間を掛けてやってきたという。
 先生の本棚にはいろんな分野の本がある。宗教や新宗教、思想から、考古学、音楽に至るまで、所狭しと並んでいる。

学者の方が見識狭いことも

 日本において韓国のイメージが大きく変化したのは、八八年のソウルオリンピックの時だという。オリンピックが開催できるような国になったということで、世界的に韓国に対する見方が変わったのだ。国際的なキリスト教世界においても充分に認知されていなかった韓国だったが、そのころローマ法王も訪韓して、人口の4分の1がクリスチャンということも注目を集め、殉教者もその地位に列せられたという。今日本と韓国の間では、グルメやショッピング、エステやスポーツなど、自分で見て、楽しんで、経験したい、そういう世界の交流が進んでいる。一般の民衆は自分が関心を持っている生活世界の中で交流を図っているといえる。
 逆に一番遅れているのがむしろ政治や学問、思想といった分野の交流だという。伊藤教授は「日常生活や文化面で何ら共有できるものを持たない人がいろんな重要なポストにいて、あるいは文筆活動を通して、現実から離れた虚構の世界、観念の世界を支配してきた」とした上で「その人たちの弊害が大きい」と指摘する。
 東大にも身体を動かさなくても本を読めばすむと思っている学生が多い。自分の経験世界の延長で、自分の体で味わってこよう、見てこようという学生が少ないようだ。やらずに済ませようとする。東大はそういう体質を持っている。人間の行動や活動の広がりに伴い、いろいろな知識をどのように論理化していくか、あるいはより普遍性のある枠組みの中でどのように表現するか、あるいはコミュニケートするかということに意識・関心が向くのは人間の営みとして自然で、その先に学問というものが視野に入ってくる。ところが初めから学問に入って非常に独占的な地位と機会に恵まれて、それが職業化し特権化したりすると、学者の世界のほうが逆に狭くなる可能性があると指摘する。

新たな形での研究成果還元

 先生は一昨年から、希望者を自分のフィールドへツアーに連れて行っている。現地の村では豚をつぶしてもてなしてくれたり、いろんな伝統文化を見せてくれたり、先生がいろいろ案内してあげたりする。最初は「研究者がそういうことをしてていいのかな」と多少後ろめたい気持ちもあったそうだが、日本人にとって韓国はよその国とは違う特殊な関係にあり、そういう唯一の国に対しては我々の活動と研究のスタイルも、そして研究還元のあり方もおのずと違ってくると今は考えている。専門的な論文を書くだけでなく、研究者であり、旅行者であり時にはツアーコンダクターみたいなこともやる。今年のツアーには東大の学生が4人参加した。他にもいろいろな人が参加している。ものすごい知的なおばあさんがいたり、大学の先生が3人ぐらい混じっていたり。昨年参加してまた今年も、という人もいるそうだ。
 先生が70年代初めの頃に韓国で撮った4000枚もの農村の写真は、この時期にしっかり撮っていた人がほとんどいないため、非常に貴重な資料となっている。いいフィルムを買えなかったため、色あせてきているこれらの写真を、今外語大のプロジェクトでCDに保存しているところだという。これらは将来誰もが学術的に利用できるように公開する予定だそうだ。

 【いとう あびと】1943年東京生まれ。東京都立明正高校、本学教養学部教養学科、同大学院社会学研究科を修了し、現在総合文化研究科文化人類学講座教授。日本の民俗学への関心と漁民研究から転じて、1972年からは韓国を中心とした東アジア諸地域の調査研究に従事。済州島、全羅南道の珍島、慶尚北道の安東、ソウルにおいて、信仰と儀礼、親族組織、契などの相互扶助組織、農村振興とセマウル運動、儒教と教育、歴史認識、都市移住などの調査研究を行っている。



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