Soccer新世紀 vol.6

第829号(2001年4月25日号)

 今回は、プラティニ、マラドーナと言うふたりの天才が現れた80年代。
 1978年にW杯デビューを果たしたフランスの“将軍”プラティニはユヴェントス(イタリア・セリエAの有名クラブ)で得点感覚に磨きをかけ、結局はW杯は獲得できなかったが、84年の地元フランスでのヨーロッパ選手権で華々しいサッカーを展開して優勝。自らもMVPに輝いた。
 82年の第12回W杯、スペイン大会。テレ・サンタ―ナ監督が「私の夢のチーム」と豪語したブラジルが絶対的な優勝候補であった。実際、ジーコ(日本では鹿島アントラーズでプレイした)、ファルカン(元日本代表監督)、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾという「黄金のカルテット」を擁し、ブラジル史上最強と呼ばれていた。しかし、ブラジルは2次リーグで早くも姿を消してしまう。優勝は、このブラジル戦でハットトリックを決めたロッシ率いるイタリアであった。また、“将軍”プラティニのフランスは華麗なシャンパンサッカーを披露し、ベスト4入りを果たす。名勝負が数多く生まれ、見所の多い大会となった。
 次の1986年、第13回メキシコW杯はマラドーナのために開催されたと言っても過言ではない。82年大会ではブラジル選手を蹴って退場となるなど、失意の大会であったが、この大会では数々の伝説的なプレーを披露した。特に準々決勝、イングランド戦での「神の手」と「60m5人抜き」によるゴールはまさにW杯史上最も鮮烈な得点であるといえる。5得点、MVPの活躍でアルゼンチンの王座奪回に貢献。ペレに次ぐサッカーの王様の地位を手に入れた。プラティニのフランスが2大会連続のベスト4進出、ルンメニゲの西ドイツが2大会連続の準優勝と順当な結果を残す。しかし、またもジーコのブラジルは準々決勝敗退と不本意な成績に終わった。
 このころ、ヨーロッパでは、イングランドなどのフーリガンが社会問題化した。様々な理由からサッカー場で乱闘を起こす集団である。このフーリガンにより、多くの死傷者が様々な大会で出た。現在でも彼らは存在し、問題となっている。
 アフリカ勢の台頭も80年代の画期的な出来事であった。82年のW杯では、カメルーンが1次リーグ3戦3勝。アルジェリアは西ドイツを破った。86年大会でもモロッコが1次リーグトップで決勝トーナメントに進むなど、アフリカの時代到来を予感させた。
 日本は、ジョージ与那城、ラモスらが作り出す驚きに満ちたサッカーを魅せる読売クラブが、多くのサッカーファンの支持を得た。木村和司、金田喜稔、水沼貴史らのタレントを擁した日産自動車も、読売クラブと人気を二分。「読売vs日産」――日本のサッカーはつまらないと言われる中、このカードだけは特別であった。

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