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今回は20世紀最優秀選手に、ペレと共に選ばれたスーパースター、ディエゴ・マラドーナを紹介する。「サッカーの申し子」なる異名を持つ天才プレーヤーは、そのプレーで多くのサッカーファンを魅了した。 1960年、アルゼンチン・ブエノスアイレスの郊外でその天才は生まれた。小柄な背丈にも関わらず、屈強な身体能力を備えていた彼は、幼い頃から才能を露わにしていた。8才でアルヘンチノス・ジュニオルズに入団。16才で1軍デビューし、20才まで在籍したあと、ボカ・ジュニアーズに移り優勝に貢献する。また彼の代表デビューの16歳4カ月という年齢は、アルゼンチン代表の最年少の記録となっている。国内での活躍が欧州クラブの目に留まり、82年、スペインの名門バルセロナに移籍。その年のスペインW杯では注目選手の一人として初出場するが、2次リーグで敗退してしまう。 しかし86年のメキシコW杯は、世界史に刻むマラドーナの大会≠ニなった。予選リーグを2勝1分けで突破。決勝トーナメントも順調に準決勝まで駒を進めた。準々決勝の相手はイングランド。この大会の4年前に勃発したフォークランド紛争の影響で両国の交流も途絶えていたということもあり、異様な雰囲気の中での対戦となった。前半から押し気味に進めてきたアルゼンチンは後半5分、ゴール前に放り込まれたボールをマラドーナがキーパーと競り合い、ジャンプ。ボールはゴールに飛び込んでいった。GKはハンドであると主張。後から確認すると明らかに手で押し込んだのだが、そのとき審判の判定は覆らなかった。これが有名な「神の手」である。そしてその4分後、「5人抜き」の伝説が生まれる。ハーフウェーライン手前でボールを受けたマラドーナは、彼を囲んだ2人のDFを巧みなタッチで置き去りにし、加速してもう一人抜き、さらにカバーに来たDFのタックルもかわし、最後のGKまであっさりかわしてゴールを奪った。数えてみれば5人を抜き去るという離れ業だった。しかもその間、左足1本でのプレーであった。ひざまずき両手を高々と掲げるマラドーナに、観衆は熱烈な拍手と大きな歓声を浴びせた。プロの神髄を見せつけたテクニックは「神の手」さえも正当化してしまったのだ。2−1でこの試合をものにすると、アルゼンチンは勢いに乗り、2大会ぶり2度目の優勝を飾る。 1984年、バルセロナからイタリアのナポリに移籍。ここでマラドーナの黄金時代は幕開けする。リーグを2度制覇、87年の国内カップと、89年のUEFAカップも優勝。 しかし、この先に待ち受けていたのは屈辱の人生だった。91年にコカイン使用が摘発され、15カ月の出場停止、そしてイタリアからの追放。さらにアメリカW杯でも、薬物反応が出て出場停止となった。アメリカ大会のあと、古巣のボカ・ジュニアーズに戻って1年プレーしたのち、マラドーナは引退を迎える。 アルゼンチン国民とナポリの市民は、「マラドーナの再来」を未だに願って止まないという。それは、ディエゴ・マラドーナが間違いなく、人々をサッカーの虜にした「申し子」だったという証なのだろう。 (つづく) (Y)
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845号(11月15日号) | ||