903号(2003年11月15日号)

主張

豊かな人間性育む環境を


学力低下は何の反映か

 学生の学力低下が叫ばれるようになって久しい。それは、週休二日制、新学習指導要領の実施、ゆとり教育などへの批判と共に口にされることが多い。「難関国立大学の学生の何%が、〜の計算ができない」などという形で大学生がやり玉に挙げられることもあり、学力低下は本学の学生にも決して無関係な問題ではない。
 「学力」と一言で言っても、そこには暗記力、読解力、表現力、計算力、思考力などさまざまな力が絡み合っている。新聞などで学力低下が話題になるとき、それは基本的な数学や理科の問題の正答率などを根拠にしていることが多く、それで学力の全体像をつかむことは難しい。
 学力低下を考える上では、学力の一要素のみを根拠として学習時間の低下、意欲の低下、制度の悪さを論じるのではなく、さまざまな力の総合力である「学力」低下という現象は何を反映したものなのか、取り巻く環境を総合的に掘り下げてみる必要があるのではないだろうか。

背景に若者の語学力低下

 私たちは「言葉」に囲まれて生きている。言葉は学問と切っても切り離せない関係にある。なぜなら、私たちは言葉を暗記し、言葉によって読解し、自分の考えを言葉で表現し、言葉によって定義された概念を使って計算し、言葉を使って思考するからだ。今回、学力の問題を考えるために、この「言葉」と私たちとの関係について考えてみようと思う。
 近年の若者は、語学力低下の傾向にあるということをよく耳にする。言葉伝達の場合、伝達度は伝えたいことを100とすると30程度に過ぎないとする人もいる。たしかに、「勉強ができない」と言われている子供たちが、「勉強自体ができない」のではなく、実は「勉強するための語学力がない」ことは意外と多い。例えば、英語で習った構文が過去形になった途端に過去形の日本語が思いつかない、計算問題は機械的に解けるのに文章題になると途端にペンが止まる、社会の重要事項を教えようにも漢字を知らなすぎるなどといった子供のいかに多いことか。これらは問題の意味を理解する読解力、思ったことを相手に正しく伝える表現力の不足を意味する。つまり、語学力の不足である。

情報入手の簡便さという罠

 では、なぜ学力の土台ともなるべき語学力が低下しているのだろうか。
 この原因としてよく指摘されるのが、読書量の低下、コミュニケーション機会の減少である。「ゆとり教育」を学力低下の原因とみる人も少なくないが、学力低下の背景にある語学力低下に問題を絞ったとき、一番に浮かびあがってくるのは、子供を取り巻く社会環境の変化である。
 子供を取り巻く環境は、近年、急激に変化している。核家族化が進み、共働きの両親のもとで、一人で過ごす子供たち。以前は身近だった「おばあちゃんの知恵袋」も今の子供たちにはきわめて遠い存在だ。そして、子供が一人で留守番するときに手にしているのは父親の古ぼけた本ではなくテレビやコンピューターやゲームとなった。何か欲しいものがあるときには24時間営業のコンビニエンスストアがあるように、何か欲しい情報があるときにはインターネットで手軽に手に入る。携帯電話の普及により、人と連絡を取るのも非常に手軽になった。寺子屋で先生の話を聞きながら石盤に何度も字を書いては消しして知識を蓄えた昔の人に比べ、「情報」や「言葉」をインプットしてアウトプットする、その作業がより簡便になってきた、と言えるだろう。
 しかし、これらの「言葉」、「情報」へのアクセスの簡便さは大きな罠である。今私たちが便利に手にすることのできる「情報」の多くは、人の温もりのない無機的な言葉の羅列だ。子供たちはそれをさまざまなメディアを通して一方的に受容する。しかし、まだ脳も心も発達していない子供たちにとって、このような人を介さないコミュニケーションを消化することは決して容易なことではない。

全ての大人に意識改革必要

 狼少女の話をご存知だろうか。狼に育てられた少女が狼として育ち、後に人の手で育てられてるようになっても、言葉もほとんど覚えられず知能も3〜4歳くらいまでしか発達せずに亡くなったという話である。これは、人が人として成長するためには、必ず人の手が必要であるということを物語っている。子供たちは、狼のような動物や、コンピューターやゲームなどのような無機的な世界ではなく、家族や周りの人から受ける愛からしか豊かな人間性を育むことができない。同じように、人の血の通った、「生きた」言葉、愛に満ちた言葉が溢れる世界で育たなければ、子供たちは人間らしい、豊かな語学力を育てることはできないのではないだろうか。
 「教育」は、家庭だけでなせるものでも学校だけでなせるものでもない。家庭と、学校と、社会と、子供を取り巻く全ての環境、そしてそれを構成する人間すべてが子供を育てるのだ。ゆとり教育や新学習指導要領といった制度を批判する前に、周りの環境を作る全ての大人に、意識改革が必要なのではないだろうか。私たち一人一人が、子供たちにとっては師であり教材なのだと。

      (Y・H)


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