自分を客観的に見つめよう
新入生のみなさん、入学おめでとうございます。おそらくみなさんはこれから始まる大学生活に期待し、胸ふくらませながら新学期を迎えたことと思います。そんなみなさんに、ちょっと先に入学した先輩という立場から、大学生活に求められる姿勢について、最近のできごとに触れつつアドバイスを贈りたいと思います。
教科書の多様性は認められるべき
先日、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)メンバーの執筆した教科書が、文部科学省の教科書検定に合格しました。これに対し、中国や韓国などから反発があるようですが、みなさんはどう考えるでしょうか。
そのために、まずは教科書検定とは何かについて考えてみたいと思います。教科書検定制度は、民間の著作、編集によって多様な教科書が発行されることを前提とした制度であり、検定はそれらの教科書の質を保つため、すなわち内容の誤りやバランスの欠如などがないかをチェックするためのものです。
この制度に基づき、「つくる会」の教科書も検定を受けました。その結果、内容の誤りやバランスを欠いたと思われる記述に対し、137の修正意見が出されました。そして出版社側がそれらを修正し、教科書として一定の基準が満たされたため、検定合格となったのです。
これに対し、近隣諸国から反発が挙がるのはなぜでしょうか。そこには歴史認識の差があるからです。「つくる会」の教科書は、自国に対する誇り、愛着心を持てるように配慮して書かれていますが、それが先の戦争で被害を受けた側から見れば、「戦争を美化した」ものと映ったようです。
もちろん、過去に日本が近隣諸国に対して被害を与えたことは事実であり、それを正当化することはできません。しかし、それを正当化するような記述があるのなら、そのような教科書が検定に合格するはずはないのです。検定の基準を満たした上で自国に対する誇りや愛着心が持てるように書かれているとすれば、それはその教科書の特色であり、まさに教科書の多様性をもたらすものになるでしょう。事実、「つくる会」の教科書は、神話を多く取り入れるなどの方法で、自国に対し誇りや愛着が持てるようにしているところもあります。そのような特色は指導要領に何ら反するものではなく、むしろ教科書検定の理念に沿ったものであると言えます。
各国の間に歴史認識という点で相違があるのは事実であり、反発がある以上、検定制度や認識の差などについてきちんと説明し、納得してもらえるように最大限の努力を払うべきでしょう。そしてその責任の一部はマスコミも担っているということは言うまでもありません。しかし今回、一部のマスコミが検定結果に反対し、さらに近隣諸国の反発を煽るような報道をしたことは残念でなりません。本来このような多様性自体は認められるべきものであるはずなのに、検定前の白表紙本を用いて、そのような新たな多様性を排除しようとすることは、許されるべきことではないはずです。
自分の視点でものごと判断するな
さて、大学に目を向けてみたいと思います。大学という場は、今まで述べてきたような価値観、思想の多様性が認められる場です。もちろん教授の中にもいろいろな考え方を持った人がおり、講義もそのような思想をもとに行われていることもあります。
では、私たちはそのような中でどのようにすべきでしょうか。高校までは、どちらかといえば教えられたことをそのごとくに受け取ってきたことが多かったと思います。しかし大学ではそうする必要はありません。むしろそうすべきではないのです。様々な考え方を持った人に接するわけですから、当然一つの事柄に対して様々な違った意見が出てきます。そのような時に求められるのは、それらを客観的に比較、分析し、正しいと思われるものを見つけようとする姿勢なのです。時には物事を批判的に見ることも必要でしょう。
ただし、その際に注意すべきことがあります。それは、その批判が独善的なものであってはいけないということです。つまり、自分と考え方が違うという理由だけで批判したり排除したりすべきではないのです。というのは、今まで自分が正しいと思ってきたことが、実は間違いだったということが十分にあり得るからです。かつてコペルニクスやガリレオが地動説を唱えたとき、天動説を正しいと思ってきた人々はそれを批判しました。そして宗教裁判にかけて地動説を亡きものにしようとしたのです。そこで客観的に観測を行えば、おそらく地動説が正しいことは確かめられたはずなのに、天動説を信じてきた人々はそれに固執するあまり、本来正しいはずの地動説が誤ったもののように見えたのです。
私たちは、そのような過ちを繰り返してはなりません。そのためには、自分と異なる考え方、思想が出てきたとき、それを自分の視点で捉えて批判するのではなく、客観的にものごとを捉える姿勢が重要になってきます。その上でなお相手の考えが違うと感じる時は、単に排除するのではなく、むしろそのことをきちんと論理立てて、相手に説明すべきでしょう。先ほど述べた一部マスコミは、自分たちと考えが違う「つくる会」の教科書の存在を認めず、排除しようとした点からすれば、天動説に固執した人々と似ていると言えなくもありません。
客観的にものごとを捉えるためには、相手の意見に耳を傾けることも重要です。というのは、最も客観的に捉えにくいものはむしろ自分自身だからです。他人を通して自分自身を見つめる中で、今まで見えなかったものが見えてくることがあります。そうすると、今まで一つの視点からのみ見ていたものを別の角度から見つめることができひいてはこれが、新たな観点を発見することにもつながり得るのです。
みなさんのこれからの大学生活が、多くの考え、価値観に触れる中で自分自身が磨かれ、よりよいものを吸収する機会となるよう期待しています。
(K・T)
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