850号(2002年1月15日号)

年頭所感

世界的・長期的な意識を


 「戦争の世紀」といわれた20世紀が過ぎ、人類が希望を託して迎えた21世紀の最初の年を終えた。しかし、振り返れば昨年も、米国同時多発テロや大阪池田小での児童殺傷事件、長引く経済不況など、概して暗いニュースの多い年だった。
 科学技術の高度な発達とは裏腹に凶悪事件が増加の一途をたどる今の世相は、私たちに何を訴えかけているのだろうか。私たちはこれをどのように捉らえ、そしてそこからいかなる教訓を得て未来に対していくべきなのだろうか。

「権力」が力を失った20世紀末

 高度成長期以来、日本の産業は高水準の成長を続けてきた。企業は新技術の開発にしのぎを削り、次々と新商品を生み出しては大量生産・大量販売の軌道に乗せた。「消費は美徳」とのスローガンの下、消費者は次々にモノを買い替え、やがて社会は「使い捨て時代」を迎える。当時、豊さへの憧れやモノに対する人々の欲望は、そのまま経済成長の原動力となり得た。競争原理や購買欲は、経済成長のみならず社会の発展にプラスに働くはず、との共通認識が、当時の日本には根強かった。
 しかし、その成長と発展はいつまでも続くものではなかった。やがて経済成長は鈍化し、社会の至るところで歪みが顕在化するようになる。政界・財界を舞台にした汚職事件が相次ぎ、中学や高校では校内暴力事件が増加、「荒れる学校」が社会問題化した。90年代に入ってもこの歪みは形を変えて現れ続けた。警察官の不祥事、官僚の汚職事件などが紙面をにぎわす一方で、学生や生徒の学力低下、倫理水準の低下などが指摘された。この傾向は一流企業や中央省庁、大学でさえも例外ではなかった。非難の矛先は当該省庁のみならず、毎年多くの官僚を輩出する本学にも向けられた。一昔前には「聖域」とされ、あるいは「権力」視されていたものの多くが、20世紀後半の短期間のうちに次々にその威信を喪失していったのである。
 「権力」を手にする過程には、「競争」があるのが常である。この競争原理は、より優れたものを生み出す上で有効に作用することが多い。日本の企業の技術力が世界的にみて極めて高い水準を維持してきたのも、この競争原理によるところが大きいといっていいだろう。しかしこの競争の勝者に付与される社会的立場、あるいは権利といったものは、これを手にした人間の利己心を誘発し、社会全体にとってはむしろマイナスに働くことが少なくない。前世紀末に表面化した問題の多くが、権力の陰で育まれてきた利己主義、あるいはその社会の中で造成されてきた利己主義に根差すものだと言っても過言ではないだろう。

思いやり持つものが生き残る時代に

 高度成長期には、大量生産、大量消費がそのまま景気の追い風となった。しかし大手企業の経営破たんや大規模なリストラが相次ぎ、完全失業率が五%を越えるに至った今、様相は一変した。これからの時代を生き延びることができる企業は、品質や価格、安全面でより消費者サイドに立ったモノの見方ができる企業だと言われている。同時に、環境対策や衛生管理、安全管理についても、従来以上の取り組みが迫られるようになった。これらをおろそかにする企業はやがて淘汰されざるを得ないことを、企業経営者のみならず、今や社会全体が認識し始めているのである。
 長引く不況によって、今の社会には先の見えない不安感が漂っている。景気が今後さらに悪化すると考える人は、国民の七割を越えるという。しかしこの不況は、一方では企業経営者や雇用者、一般家庭に至るまで、意識の転換を図り、価値観を再構築する上で重要な役割を果たしつつあるとは言えないだろうか。それはすなわち「利己主義からの脱却」であり、「他を思いやる精神への転換」である。
 食品を扱う業者や農家が、安全管理をおろそかにしたまま利潤追求主義を貫くことは可能であろう。しかし、何らかの事件を契機としてその経営姿勢がひとたび発覚しようものなら、その存続すら危うくなるのが今の世の中である。そしてこれは、大手メーカーであれゼネコンであれ、例外ではない。
 従来の価値観やそのもとで形作られた社会制度は今、世界規模で現れる環境問題や長引く不況の中でもまれ、ふるいにかけられていると言っていいだろう。かかる状況下でも通用する価値観はいかなるものなのか、そして100年後、300年後にも残り得るものは何かを模索するには、今の時はむしろ好機でさえあるのである。

世界全体への意識が不可欠に

 行き詰まりを見せたのは日本社会だけではない。環境問題を例に取っても、事態は既に一国の力で解決できる範囲を越えているのが現状である。環境問題が地球規模にまで広がってしまった背景には、産業重視の一方で、当面の利益には結びつかない排出規制を軽視してきた各国の姿勢がある。各国のこれまでの政策に問題があったことはいうまでもないが、しかし、かかる地球規模の問題が私たちに一つの方向性を示してくれているのを見逃してはならない。それは、国の壁を越えた協力の必要性であり、また「共存」という方向性である。昨年11月には京都議定書が米国抜きで基本合意に達したが、この目的の達成如何は、各国が痛みを分かち合い、地球次元の利益を真に優先することができるかどうかにかかっているといえる。各国が自国の当面の利益に固執していては、全人類が共に滅亡の危機にさらされかねないところまできているからである。事態の深刻さはここで改めて述べるまでもないが、しかし各国がこれまでの自国産業の保護という観点から世界全体の利益へとその視点を転じ始め、あるいは短期的利益以上に長期的スパンでの利益を優先する姿勢へと転換を図りつつあることは、意義深いことであるといえよう。

東大は世界・未来に対し貢献を

 現在、本学が目指すべきものを「東京大学憲章」としてまとめる計画が進められている。この草案の前文には「世界の平和と人類の福祉に学術研究及び高等教育を通じて貢献することが大学の普遍的使命であることを自覚し、この使命の達成に向けて、東京大学の依って立つべき理念と目的を明らかにするために、東京大学憲章を制定する」という一文が盛り込まれることになっている。
 東大は、日本を担う国家エリートの育成を主目的として設立された大学である。しかし世界における昨今の日本の役割を考えるなら、東大が貢献すべき対象は「草案」前文が示すようにむしろ世界であり、そして未来であるといえるだろう。
 景気の低迷にせよ環境問題にせよ由々しき問題であるが、しかし昨今の内外の状況を利害を越えた立場から捉らえ、分析することができるのが大学の強みでもある。「知性による社会貢献」の役割、そして国家を主導する役割を東大に期待する声は、社会の至る所に行き詰まりが見られ、閉塞感漂う時代だからこそ、日増しに高まっているはずだ。不況から学び、社会の諸問題を教訓として、新しい時代をリードすべき東大の使命の一翼を担っていきたい。

   (T・M)


■主 張

 豊かな人間性育む環境を
  第903号(2003年11月15日号)

 東アジア友好に向かって
  第878号(2002年12月25日号)

 世界的・長期的な意識を
  第850号(2002年1月15日号)

 東大の誇りを持ち行動を
  第849号(2001年12月25日号)

 共同で「開かれたアジア」を
  第842号(2001年10月15日号)

 大学改革に活発な議論を
  第836号(2001年7月15日号)

 新入生へのアドバイス
  第828号(2001年4月15日号)

 年頭所感
  第821号(2001年1月15日号)


■1面主要記事

 第853号(2月25日号)
 第852号(2月5日号)
 第851号(1月25日号)
 第850号(1月15日号)
 第849号(12月25日号)
 第848号(12月15日号)
 第847号(12月5日号)
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