1092号(2010年8月25日号)

主張

東大生よ、海外に出よ


 日本のきれいな建物やきれいな町並みを見ると、もはや日本でやることは少ないなと思う。コンビニやスーパー、100円ショップなどのお店に陳列されている商品を見ると、何でも揃っているし、これ以上求めるものがないほどだ。完璧と言ってもいいだろう。ラーメン一つ取ってみても、あらゆる美味しいラーメンが食べられる。東京の地下鉄も、網の目のようにめぐらされ、脅威にも感じるほどだ。これ以上、大きく発展のしようがないぐらいに、できることは全部やったように見える。路線バスに乗ると、降りるまで席を立ないで下さいというアナウンスがあり、運転手は速度を上げたり落としたりするのにも細心の注意を払って運転してくれる。きめ細かで繊細な日本人の性格と、島国でそれほど大きくない国土が相乗効果を生み、日本はあらゆる面が完璧だと言える。もうこれ以上望むことがないほど、望むことはほとんどやってくれていると言ってもいいのが日本である。

 先進国の中の先進国ともなれば、それも当然かも知れない。できることは戦後60年の間に全部やってしまった。勿論そうでない地域も実際たくさんある。だが多くの諸外国と比べれば、大半の国民は生活には困らないし、不便さを感じないのではないか。むしろ、この完璧さが失われると不安でしょうがない。完璧な社会が当たり前だからだ。

 しかし、こういう完璧な社会で、競争して生きていくのは大変だ、社会の中で何かに不完全さを見出して、それを完璧に仕上げていくために努力をしようとするのが多くの人の考え方であり、その競争が経済活動となり、そこから生じるものが経済の糧にもなっている。しかし、すでに完璧な社会なのであるから、その活動が難しくなっているのだ。

 それに比べて、海外のどこでもいいから出かけてみると、日本の基準から見て不足なものをあらゆる所で見出す。生活するには不便な所が山ほどある。道は汚い所が多いし、日本だったら、社会的に大問題になりそうな住環境が実に多い。GDP世界第8位の韓国でも、ぼろぼろの家に平気で住んでいる人が実は山ほどいる。アメリカにしても、テレビで映し出されるようなしっかりした家は少数で、日本の家と比べると華奢で心配になるくらい木造で簡単に作った家が普通だ(地震が少ないからか)。お店に並んでいる商品も日本のように繊細に気の利いたものは少ない(そういうものを求める文化が市場にないからか)。日本で洗練して製品を持って行ったら文句なく当たるだろうと思われるようなアイテムが、海外の町の所々で思い当たる。それが世界の実情だ。

 そのように海外では探せばチャンスがたくさんあり、日本人のやるべきことが山ほどあるのに、海外への留学は減り続けているという。アメリカへの留学も90年代後半からずっと減り、留学生が最も多かった時期から比べると今は30%以上も減っているという。海外に行って苦労するより、日本でやれることをやろうという、チャレンジ・スピリットのなさがその原因の一つだ。しかし、極論すると、今の日本の若者は日本にいても仕方がない。若さを生かして創造的な仕事をやるべきだと言っても、そのような仕事を行う機会がかなり少ないからだ。やはり海外に行くべきなのだ。

 海外というと、言語の問題が引っかかるという人も多いだろう。しかし、言語が運用できるから海外に行くのではなく、海外にまず行ってそこで言語を学ぶのだと考えればよい。例えばある日本の一流新聞社では、海外特派員は、言語ができるから海外に送るのではなく、まず海外に送ってそこで塾に通い半年とか1年は言語学習をし、その後正式に海外特派員として活用すると聞く。つまり、言語ができるかどうかを気にする必要はない。本学に入学できた学生であれば、少し努力すればさほど困難なく言語を習得できるであろう。

 ただ、勿論、日本でやるべき大切なこともある。世界に行って役立つ自分になるために、まず日本で基本的なことを学んでおかねばならない。日本でのノウハウや技術を、世界を生かすために使うために。日本では十の努力をしても一の成果にも結び付かないことが、海外では百にもなって返ってくる潜在性がある。そうした努力は世界の経済的平準化にも役に立つであろうし、また世界から日本と日本人への評価を高める効果ももつ。医者を志す者でも、確かに日本でも十分仕事はあるだろうが、それでも海外に目を向けることもできるはずだ。日本でも確かに医者は不足しているが、海外のそれとは比較になるまい。本学から、シュバイツァーのような世界的視野に立って、世界で一番必要なところに行くという医師の人材が現れても良いはずだ。そのように考えて行動すべきなのが、今の学生たちがおかれている事情であり務めではないか。

 日本では、自分がやらなければ誰か代わりの人がいるという場合も多い。しかし、海外に行ったら、自分にしかできないことは山ほどある。そしてそれは宝の山と言えるかも知れない。宝は、日本の中にはなく、海外に出たら見つかると考えて、チャレンジすることだ。もし、海外でお金を稼ぐ方法がうまくいかなかったら、日本語を教えながら生きていくという手段もあるではないか。

 東大は既得権益の上に生きるのが設立当時からの恩恵であり運命とも言えるが、既得権益でしか生きられない本学OBOGがいるとしたら、それは哀れなものだ。実際のところ、既得権益の味を味わい続けようと思ったら日本にいるしかないが、それでは本当の生き甲斐を既に放棄しているようなものだ。一般に日本ではもはややることは余りなく、日本にいても重箱の隅をつつくぐらいのことしかできないのが実情かも知れない。海外に行けば、大きな仕事ができる可能性が高まる。日本にずっといながら大きな人間と言われるようになった人もいるが、海外に行けば大きな人間になる可能性がずっと高まる。勿論、日本にいるよりも多くの苦労は必要だが、結局は日本にずっと留まるよりは生き甲斐のある人生を送る道が準備されている。

 日本にいる人と、海外に住んでいる人の平均寿命を比較したデータでは、海外に住んでいる人の方が平均寿命が長い。これも上述を裏付ける参考資料となるだろう。海外での仕事は、苦労が多く、助けてくれる人は少ないし、緊張感があるが、やり甲斐があり変なストレスは少ない。そのあたりが平均寿命の差になって表れているのではないか。長い人生の一時期でもいいから、海外に出ることを真剣に考えてみよう。


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